2026年1月9日の聖書通読 人間の計画と神の計画が交差するとき ―創世記50章・Ⅰ歴代誌18-19章・ルカ2章を貫く「摂理」のテーマ― 

通読

本日の通読箇所:創世記50:15-26/Ⅰ歴代誌18-19章/ルカ2:1-20

はじめに

今日の三つの通読箇所には、一見すると無関係に思える内容が並んでいます。ヨセフの死、ダビデの軍事的勝利、そしてイエス・キリストの降誕。しかし、これらを貫く一つの壮大なテーマがあります。それは「人間の計画と神の計画の交差」です。

創世記50章:同じ動詞、正反対の計画

ヘブル語に見る深い対比

創世記50:20は、聖書全体の中でも最も深遠な神学的声明の一つです。

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました」

ここで注目すべきは、ヘブル語の動詞です。「計った」と訳されている言葉は、どちらも同じ動詞「ハシャヴ」(חשב)から来ています。

ヘブル語読み方意味
חֲשַׁבְתֶּםハシャヴテムあなたがたは計った
חֲשָׁבָהּハシャヴァー神は計った

兄たちの「悪い計算」と神の「良い計算」が、同じ言葉で表現されています。人間が計画を立てるその同じ次元で、神はより大きな計画を立てておられる。これが聖書の語る「摂理」(providence)の核心です。

「顧みる」という約束

ヨセフは臨終の際、兄弟たちにこう言いました。

「神は必ずあなたがたを顧みて(פָּקֹד יִפְקֹד パコード・イフコード)、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます」(50:24)

「パコード・イフコード」は同じ動詞を重ねる強調形で、「必ず顧みる」という確実性を表します。この言葉は出エジプト記3:16でモーセを通じて成就し、究極的にはルカ1:68「神はその民を顧みて、これを贖い…」というイエス・キリストにおいて完全に成就しました。

「神は顧みてくださる」― 約束から成就へ

「神は顧みてくださる」― 約束から成就へ

パーカド(פקד)の系譜をたどる

פָּקֹד יִפְקֹד
パコード・イフコード =「必ず顧みる」(強調形)
創世記
① ヨセフの約束
創世記50:24-25
「神は必ずあなたがたを顧みて、この地から…誓われた地へ上らせてくださいます」
ヨセフは臨終の際、エジプトで死ぬ自分の「骨を携え上る」ことを兄弟たちに約束させました。神が必ず民を顧み、約束の地へ導くという信仰告白です。
約BC1800年頃
出エジプト記
② モーセへの啓示
出エジプト記3:16
「わたしは確かに、あなたがたを顧み、エジプトであなたがたになされていることを確かに見た」
約400年後、燃える柴の中から神はモーセに語られました。ヨセフの約束した「顧み」が、ついに実現する時が来たのです。同じ動詞「パーカド」が使われています。
出エジプト記
③ 約束の成就
出エジプト記13:19
モーセはヨセフの遺骸を携えて出た。それはヨセフが「神は必ずあなたがたを顧みてくださる」と言って…誓わせていたからである。
モーセはヨセフの骨を携えてエジプトを出ました。ヨセフの信仰の言葉が、400年の時を超えて成就した瞬間です。
預言書
④ メシヤ待望
エレミヤ29:10, イザヤ40:1など
「わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる」
バビロン捕囚の中で、預言者たちは神が再び民を「顧みる」日を語りました。この希望は、究極的にはメシヤの到来へとつながっていきます。
福音書
⑤ 究極の成就
ルカ1:68, 78
「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、これを贖い…」
バプテスマのヨハネの父ザカリヤは、聖霊に満たされてこう預言しました。ギリシャ語「エピスケプトマイ」はヘブル語「パーカド」の訳語。ヨセフから始まった「顧みの約束」が、イエス・キリストにおいて完全に成就しました。
約2000年を貫く「顧み」の糸
ヨセフがエジプトで語った「神は必ず顧みてくださる」という言葉は、
モーセの時代に成就し、預言者たちに受け継がれ、
最終的にイエス・キリストの誕生において完全に実現しました。

一つの動詞「パーカド」が、聖書全体を貫いて神の真実を証ししています。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
ルカ2:11

Ⅰ歴代誌18-19章:勝利を与えるのは主

繰り返される定型句

18章には、意図的に繰り返される言葉があります。

「こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」(18:6, 13)

ダビデは戦い、将軍たちは指揮を執りました。しかし歴代誌記者が強調したいのは、勝利を「与える」のは主であるということです。人間の軍事行動と神の主権的介入が交差しています。

ハヌンの失敗から学ぶこと

19章のアモン人の王ハヌンは、父ナハシュがダビデと築いた良好な関係を理解していませんでした。側近たちの疑心暗鬼に乗せられ、ダビデの使者を侮辱するという取り返しのつかない行動を取りました。結果として、銀1,000タラント(約34トン)を費やして傭兵を雇い、最終的には完全敗北。恵みの関係を壊すのは一瞬、修復は困難という教訓です。

ヨアブの信仰告白

前後を敵に挟まれた状況で、ヨアブは兄弟アブシャイにこう言いました。

「強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる」(19:13)

「全力を尽くす」という人間の責任と、「主はみこころにかなうことをされる」という神への信頼。この両方を持つことが、聖書的な信仰の姿勢です。

ルカ2章:皇帝の勅令と神の計画

アウグスト帝の「理由」と神の「目的」

皇帝アウグストは「全世界の住民登録」を命じました。彼の理由は徴税と支配の強化でした。しかし神の目的は全く別のところにありました。ミカ5:2の預言「ベツレヘムから支配者が出る」を成就させることです。ナザレに住んでいたヨセフとマリヤがベツレヘムに行く「理由」は住民登録。しかし神の「目的」は預言の成就。ここでも人間の計画と神の計画が交差しています。

飼い葉おけという「しるし」

御使いは羊飼いたちに「しるし」(σημεῖον セーメイオン)を告げました。

「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです」(2:12)

メシヤの「しるし」が王宮ではなく飼葉おけ(φάτνη ファトネー)。これは神の国の価値観の逆転を示しています。世界の支配者アウグストは宮殿にいましたが、真の王イエスは家畜の餌箱に寝かされました。しかし、どちらが本当に世界を変えたでしょうか。

人間の理由と神の目的の交差

人間の理由と神の目的の交差

Providence(摂理)― 神は人間の行動を通してご自身の計画を実現される

人間の理由・計画
→ 人間の意図した結果
神の永遠の目的
↓ 神の計画の成就
摂理の
交差点
① 兄たちの行動
人間:ヨセフを排除したい
神:多くの人を生かす(創50:20)
② 皇帝の勅令
人間:徴税と支配の強化
神:ミカ5:2の預言成就
③ 十字架刑
人間:イエスを殺したい
神:人類の救いを成し遂げる
聖書が教える摂理(Providence)
人間には人間の「理由」があります。兄たちにはヨセフへの嫉妬が、皇帝には帝国支配の野心が、宗教指導者たちにはイエスへの敵意がありました。

しかし神は、それらの人間的な動機や行動を否定するのではなくより大きな目的のために用いられました

これが聖書の語る「摂理」です。人間の自由意志と神の主権は矛盾せず、交差して働いています。

羊飼いたちの応答

羊飼いたちの応答は、私たちの信仰の模範です。

1. 御使いの言葉を聞いた

2. ベツレヘムに行って確かめた

3. 「御使いの話のとおりだった」と確認した

4. 神をあがめ、賛美しながら帰った

これは使徒17:11のベレアの信徒と同じ姿勢です。聞いたことを鵜呑みにするのではなく、実際に確かめる。そして確かめた結果、信仰と賛美に至る。

ヨセフとイエス:型と成就

今日の創世記とルカの組み合わせで、ヨセフがイエス・キリストの「型」(タイプ)であることが浮かび上がります。

ヨセフ(型)イエス(成就)
兄弟に拒絶された自分の民に拒絶された
エジプトに下ったエジプトに逃れた(マタイ2章)
飢饉の時に多くの人を「生かした」霊的飢饉の時に人々を「救う」
父の家族を養った神の家族(教会)を養う
骨をカナンに携え上げる約束復活して天に上げられた
ヨセフとイエスの類型

ヨセフとイエス ― 型と成就

旧約の「型」(テュポス)が新約で成就する

旧約聖書・創世記
ヨセフ(型)
1 兄弟たちに拒絶された
2 エジプトに下った
3 無実の罪で苦しんだ
4 飢饉の時に多くの人を生かした
5 拒絶した兄弟たちを赦した
6 父の家族を養った
7 骨をカナンに携え上げる約束
成就
新約聖書・福音書
イエス・キリスト(成就)
1 自分の民に拒絶された
2 エジプトに逃れた(マタイ2章)
3 無実の罪で十字架につけられた
4 霊的飢饉の時に人々を救う
5 十字架上で「赦してください」と祈った
6 神の家族(教会)を養う
7 復活して天に上げられた
鍵となる御言葉
「あなたがたは、私に悪を計りましたが、
神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。
それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」
創世記50:20

結び:私たちへの適用

今日の通読から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

第一に、人間の悪意さえも神は良いことのために用いることができるということ。これは悪を正当化するものではありませんが、私たちに希望を与えます。

第二に、「全力を尽くしつつ、結果は主に委ねる」というヨアブの姿勢。私たちの責任と神の主権は矛盾しません。

第三に、神は世界の権力者をも用いて、ご自身の計画を成就されるということ。アウグスト帝は知らずして預言成就の道具となりました。

第四に、羊飼いたちのように、聞いたことを確かめ、確かめたことを賛美に変えていく信仰の姿勢。

私たちの人生にも、理解できない出来事、不条理に思える状況があるかもしれません。しかし、神は私たちの「理由」の背後で、より大きな「目的」を持って働いておられます。それが聖書の語る摂理の恵みです。

【祈り】

天の父なる神様。今日の御言葉を通して、あなたの摂理の深さを教えてくださり感謝します。人間の計画を超えて働かれるあなたの主権を信頼し、全力を尽くしつつ結果をお委ねする信仰を与えてください。飼い葉おけにまで降りてきてくださったイエス様の謙遜を覚え、感謝をもって歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

noteの方では聖書が初めての方にも分かりやすく今日の創世記の箇所を記事にしています是非読んでみてくださいね 👇

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