もしあなたを何年も追い回し、命を奪おうとしている敵が、無防備な状態であなたの目の前にいたら、どうしますか?
これは想像上の質問ではありません。ダビデが実際に直面した状況です。第一サムエル記24章は、復讐のチャンスと赦しの選択の間で、ダビデがどう決断したかを記録しています。
この物語から、私たちは復讐しない力の源泉を学ぶことができます。
偶然?それとも摂理?
サウル王は3000人の精鋭を率いて、エン・ゲディの荒野でダビデを追っていました。
「彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用をたすためにその中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥のほうにすわっていた。」(第一サムエル24:3)
信じられない偶然です。いや、偶然でしょうか?
数え切れないほどのほら穴がある荒野で、サウルが選んだほら穴が、まさにダビデたちが隠れているほら穴でした。
人は「偶然」と呼ぶかもしれません。しかし、聖書を読む者は、ここに神の摂理を見ます。
神はダビデに、選択の機会を与えられたのです。
部下たちの声:「今こそその時です!」
ダビデの部下たちは興奮して言いました:
「今こそ、【主】があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」(第一サムエル24:4)
彼らの論理は明快でした:
- 神はダビデを王として選ばれた
- サウルはダビデを殺そうとしている
- 神がサウルをダビデの手に渡された
- だから、今、サウルを殺すべきだ
人間的には、完全に正しい論理です。
しかも、ダビデには殺す理由が山ほどありました:
- サウルは何年もダビデを追い回した
- 無実のノブの祭司たち85人を殺した(22章)
- ダビデの家族や仲間を危険にさらした
- イスラエル全体を混乱させていた
正当防衛とさえ言えるでしょう。
ダビデの選択:上着のすそを切る
しかし、ダビデは違う選択をしました。
「そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。」(第一サムエル24:4-5)
ダビデは殺さなかった。それだけでなく、上着のすそを切っただけで心を痛めた。
これは驚くべき繊細さです。
現代の私たちは、こう思うかもしれません:「上着のすそを切るくらい、何でもないじゃないか。命を奪わなかっただけでも十分ではないか」
しかし、ダビデの良心は、それを許しませんでした。
なぜでしょうか?
「主に油そそがれた方」への敬意
ダビデは部下たちに言いました:
「私が、主に逆らって、【主】に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、【主】の前に絶対にできないことだ。彼は【主】に油そそがれた方だから。」(第一サムエル24:6)
ここに、復讐しない力の第一の源泉があります。
神への敬意です。
ダビデはサウル個人を見ていたのではありません。彼は神が立てられた権威を見ていました。
サウルがどんなに堕落していても、どんなに不当であっても、彼は依然として「主に油そそがれた方」でした。ダビデにはその立場を侵す権利がありませんでした。
これは、現代の私たちには理解しづらい概念かもしれません。
「悪い指導者なら、引きずり降ろしてもいいのでは?」 「不正な権威には従わなくていいのでは?」
しかし、ダビデの原則は明確でした:神が立てられたものは、神ご自身が対処される。
これは後に、使徒パウロも教えています:
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)
もちろん、これは絶対的な服従を意味しません。神の命令に反する命令には従わなくてもよいのです(使徒5:29)。
しかし、ダビデの姿勢は、復讐や暴力で問題を解決しないというものでした。
「悪は悪者から出る」
ダビデはサウルに語りかけます:
「昔のことわざに、『悪は悪者から出る』と言っているので、私はあなたを手にかけることはしません。」(第一サムエル24:13)
この短い諺に、深い知恵があります。
「悪は悪者から出る」――つまり、悪人は悪い行いをする。それが彼らの本質だからです。
しかし、逆に言えば:正しい人は、悪い行いをしない。
もしダビデがサウルを殺したら、どうなっていたでしょうか?
確かに、サウルという問題は解決したかもしれません。しかし、ダビデ自身が「悪者」になってしまいます。
手段は目的を正当化しません。
正しい目的(王座に就く)のために、悪い手段(殺人)を使うことはできないのです。
これは、復讐しない力の第二の源泉です:自分自身の品性を守ること。
私たちは、敵に対してどう反応するかによって、自分が何者であるかを示します。
「主が復讐してくださる」
ダビデは続けます:
「どうか【主】が、私とあなたの間をさばき、【主】が私の仇を、あなたに報いられますように。私はあなたを手にかけることはしません。」(第一サムエル24:12)
ここに、復讐しない力の第三の源泉があります。
復讐は主のものであるという信仰です。
ダビデは復讐を放棄したのではありません。彼は復讐を主に委ねたのです。
これは受動的な態度ではありません。これは積極的な信仰です。
神が正しくさばかれることを信じる。 神が適切な時に、適切な方法で対処されることを信じる。 自分が介入する必要はないと信じる。
新約聖書も、同じ原則を教えています:
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」(ローマ12:19)
ダビデは自分の手で復讐する代わりに、神の手に委ねました。
そして、神は実際に対処されました。数年後、サウルはペリシテ人との戦いで命を落とします。ダビデの手によってではなく、神のさばきによって。
サウルの一時的な悔い改め
ダビデの言葉を聞いて、サウルは泣きました:
「ダビデがこのようにサウルに語り終えたとき、サウルは、『これはあなたの声なのか。わが子ダビデよ』と言った。サウルは声をあげて泣いた。そしてダビデに言った。『あなたは私より正しい。あなたは私に良くしてくれたのに、私はあなたに悪いしうちをした。』」(第一サムエル24:16-17)
感動的な場面です。
サウルは自分の過ちを認め、ダビデの正しさを認めました。
しかし、この悔い改めは長続きしませんでした。第一サムエル記26章で、サウルは再びダビデを追います。
一時的な感情と、真の悔い改めは違います。
サウルの涙は本物だったかもしれません。その瞬間は。しかし、彼の心は変わりませんでした。
真の悔い改めは、感情ではなく、行動の変化によって証明されます。
現代への適用:復讐しない力を持つために
この物語から、私たちは何を学べるでしょうか?
1. 不当な扱いを受けた時
職場で不当な扱いを受けた。 友人に裏切られた。 家族に傷つけられた。
復讐したい衝動に駆られるかもしれません。
しかし、ダビデの姿勢を思い出してください:
- 神への敬意:神が立てられた秩序を尊重する
- 自分の品性を守る:「悪は悪者から出る」、あなたは悪者ではない
- 主に委ねる:復讐は主のもの
2. SNSでの攻撃
現代社会では、SNSで誹謗中傷を受けることがあります。
反撃したくなります。相手の過ちを暴露したくなります。
しかし、ダビデは上着のすそを切っただけで心を痛めました。
私たちは、どれほど繊細な良心を持っているでしょうか?
「相手が悪いから、やり返してもいい」――これは世の論理です。
しかし、聖書の論理は違います:悪をもって悪に報いるのではなく、善をもって悪に打ち勝つ(ローマ12:21)。
3. 権威への対応
不当な上司、不公平な制度、腐敗した指導者。
どう対応すべきでしょうか?
ダビデの原則:
- 神が対処されると信じる
- 自分で暴力的に解決しない
- しかし、正しいことは正しいと言う(ダビデはサウルに真実を語った)
- 必要ならその場から離れる(ダビデは逃げた)
ダビデは盲目的に服従したのではありません。彼はサウルから逃げました。しかし、復讐はしませんでした。
4. 長期的な視点
復讐は、短期的には満足を与えるかもしれません。
しかし、長期的には:
- あなた自身を傷つける
- あなたの品性を損なう
- 問題を拡大させる
- 神の計画を妨げる
ダビデが待った結果、何が起こりましたか?
彼は血を流さずに王座に就きました。 全イスラエルが彼の正しさを認めました。 神が彼を高く上げられました。
「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイ23:12)
「復讐しないこと」は「無防備でいること」ではない
ここまで読んで、あなたはこう思うかもしれません。
「でも、仕返ししないと相手から軽く見られて、また同じことをされるのではないか?」
これは、非常に現実的で重要な疑問です。
実際、聖書も隠していません。ダビデがサウルを赦したのに、サウルは再び追ってきました(第一サムエル26章)。
「赦したら舐められる」「優しさは弱さと見なされる」――これは現実です。
しかし、重要な区別があります。
ダビデは復讐しなかったが、無防備でもなかった
ダビデの行動をよく見てください:
- サウルを殺さなかった(復讐しない)
- でも、サウルのもとには戻らなかった(境界線を引いた)
- 逃げ続けた(自己防衛)
- 600人の仲間を集めた(サポートシステム)
- 危険な時はペリシテ人の地に避難した(物理的距離)
- 主に祈り、主の導きを求め続けた(霊的な備え)
つまり、ダビデは:
- 復讐はしなかった
- しかし、賢く自分を守った
これは非常に重要な原則です。
復讐と自己防衛の違い
復讐とは:
- 相手に害を加えて報いること
- 自分の手で正義を執行すること
- 怒りや憎しみから行動すること
自己防衛とは:
- 自分を守るために必要な措置を取ること
- 適切な権威や法的手段を使うこと
- 知恵をもって距離を保つこと
ダビデはサウルに復讐しませんでしたが、自分を守ることは怠りませんでした。
「赦す」と「信頼する」は違う
もう一つの重要な区別があります。
赦すこと ≠ 信頼すること
ダビデはサウルの罪を赦しました。サウルを殺さず、主に委ねました。
しかし、ダビデはサウルを信頼しませんでした。だから、サウルのもとに戻らなかったのです。
赦しは一方的な決断です:「あなたの罪を私は主に委ねます。私は復讐しません。」
信頼は双方向の関係です:「あなたの悔い改めと変化を見て、再び関係を築きます。」
サウルは一時的に悔いましたが、真に変わりませんでした。だから、ダビデは距離を保ち続けたのです。
これは知恵です。
「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」(マタイ10:16)
現代社会での実践的な境界線
では、現代の私たちは具体的にどうすべきでしょうか?
職場でのハラスメント
あなたが上司から不当な扱いを受けているとします。
復讐:
- 上司の悪評を社内に流す
- 上司の仕事を妨害する
- SNSで上司を攻撃する
適切な自己防衛:
- すべてのやり取りを記録する(メール、メモ)
- 人事部や労働基準監督署に相談する
- 必要なら弁護士に相談する
- 転職を検討する(その環境から離れる)
- 信頼できる同僚とサポートネットワークを作る
ダビデのように:復讐はしないが、記録は取り、距離は保つ。
家庭内の問題(DV、モラハラ)
配偶者から精神的・身体的虐待を受けているとします。
復讐:
- 相手を傷つけ返す
- 相手の評判を落とすために周囲に言いふらす
適切な自己防衛:
- 証拠を集める(写真、医療記録、証言)
- 警察や専門の支援機関に相談する
- 一時的に別居する(物理的安全を確保)
- 法的措置を取る(接近禁止命令、離婚)
- カウンセリングやサポートグループに参加する
ダビデのように:復讐はしないが、自分の命を守る。
SNSでの攻撃
オンラインで誹謗中傷を受けているとします。
復讐:
- 相手を特定して攻撃し返す
- 相手の個人情報を晒す
適切な自己防衛:
- 相手をブロックする
- 証拠のスクリーンショットを保存する
- プラットフォームに報告する
- 必要なら法的措置を検討する
- しばらくSNSから距離を置く
ダビデのように:復讐はしないが、関わらない。
イエスも「逃げる」ことを教えた
イエスご自身も、弟子たちにこう教えました:
「この町で迫害されたら、次の町に逃げなさい。」(マタイ10:23)
イエスは「そこに留まって殴られ続けなさい」とは言いませんでした。
また、イエスご自身も、何度も群衆や敵対者から身を隠しました(ヨハネ8:59、10:39)。
逃げることは弱さではありません。それは知恵です。
サウルは軽く見たかもしれないが、神は見ておられた
「仕返ししないと軽く見られる」――確かに、サウルはダビデを軽く見たかもしれません。
しかし、誰に軽く見られるかが問題です。
- サウルに軽く見られても、神に認められる
- 悪人に軽く見られても、正しい人々に尊敬される
- 一時的に弱く見えても、長期的に評価される
ダビデが王になった時、全イスラエルは彼の正しさを認めました。誰も「彼は暴力で王座を奪った」とは言えませんでした。
神の評価こそが、最も重要です。
「人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」(第一サムエル16:7)
まとめ:知恵ある対応
復讐しないことは:
- 無防備でいることではない
- 境界線を引かないことではない
- 自己防衛しないことではない
- 何もしないことではない
それは:
- 主に委ねながら、賢く行動する
- 復讐はしないが、記録は取る
- 赦すが、無条件に信頼はしない
- 敵を愛するが、敵から離れる
ダビデはこの原則を完璧に実践しました。
あなたも、同じようにできます。
復讐する代わりに:
- 主に委ねる(祈る)
- 記録を取る(証拠を残す)
- 適切な権威に訴える(法的手段、相談機関)
- 距離を保つ(物理的・心理的境界線)
- サポートを得る(信頼できる人々、専門家)
- 必要なら逃げる(その環境から離れる)
これが、聖書的で、現実的な対応です。
復讐しない力の源泉
では、どうすれば復讐しない力を持てるでしょうか?
1. 神への敬意を持つ
すべての権威は神から来ています。 すべての人は神のかたちに造られています。
相手がどんなに悪くても、神への敬意があれば、一線を越えることはありません。
2. 自分の品性を守る
「悪は悪者から出る」――あなたは悪者になりたくないはずです。
短期的な満足のために、永続的な品性を犠牲にしないでください。
3. 主に委ねる信仰を持つ
これが最も重要です。
神が正しくさばかれることを信じる。 神が適切な時に介入されることを信じる。 自分が復讐する必要はないと信じる。
この信仰がなければ、復讐しない力は持てません。
4. 長期的視点を持つ
目の前の不当さに焦点を当てるのではなく、神の大きな計画を見てください。
ダビデは数年の逃亡生活を通して、王としての訓練を受けました。 ヨセフは13年の奴隷と囚人生活を通して、エジプトの総理大臣になりました。
あなたの試練も、神の計画の一部です。
結論:復讐しない力は、信仰の力
復讐しないことは、弱さではありません。
それは信仰の強さです。
ダビデには、サウルを殺す力がありました。しかし、彼には殺さない力もありました。
そして、殺さない力の方が、はるかに大きな力でした。
今日、あなたは誰かに復讐したい気持ちを抱いているでしょうか?
誰かが不当にあなたを扱いましたか?
ダビデの姿勢を思い出してください:
「私はあなたを手にかけることはしません。主が、私とあなたの間をさばいてくださいますように。」
これは逃げではありません。 これは無関心でもありません。
これは最も強い信仰の表明です。
なぜなら、それは言っているからです:
「私は神を信じます。 神が正しくさばかれることを信じます。 神の正義を信じます。 神の時を信じます。 だから、私は復讐しません。 しかし、私は賢く自分を守ります。 私は境界線を引きます。 私は必要なら逃げます。 それでも、復讐は主に委ねます。」
「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:21)
復讐しない力。
それは、神を信じる力です。
そして同時に、それは自分を守る知恵です。
関連聖句
- ローマ12:19-21(復讐は主のもの、善をもって悪に打ち勝つ)
- ローマ13:1(神によって立てられた権威)
- マタイ5:38-48(敵を愛しなさい)
- マタイ10:16(蛇のようにさとく、鳩のようにすなおに)
- マタイ10:23(迫害されたら次の町に逃げなさい)
- 第一サムエル16:7(人はうわべを見るが、主は心を見る)
- 第一ペテロ2:23(ののしられても、ののしり返さず)
- 箴言20:22(悪に報いてはならない)
- 箴言25:21-22(敵が飢えているなら食べさせよ)
さらに深く学ぶために
- ダビデとサウルの第二の出会い:第一サムエル26章(ダビデは再び、サウルを殺すチャンスを得るが、殺さない)
- ヨセフの赦し:創世記50:15-21(兄弟たちへの赦し)
- ステパノの殉教:使徒7:54-60(石打ちの中で敵のために祈る)


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