今日の通読箇所もとても豊かなので、一つの記事まとめるよりも別記事に書いた方が書きやすかったので、①創世記48章②第一歴代誌7章8章③マルコ15章となります。
トーラーポーションで、通読するようになって、トーラー以外にも同時に読むことで、毎回豊かな通読を与えられていることを感謝します。
目次
マルコが伝える十字架
マルコ15章22-47節は、イエス・キリストの十字架刑から埋葬までを記録しています。マルコは最も短い福音書ですが、十字架の場面は詳細に、しかも独自の視点で描かれています。
今日の通読箇所から、いくつかの重要なポイントを見ていきましょう。
没薬を混ぜたぶどう酒 ― なぜ拒否されたか
「そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。」
(マルコ15:23)
没薬(σμύρνα / スミルナ)とは
没薬はヘブル語で「モル」(מֹר)、ギリシャ語で「スミルナ」(σμύρνα)と呼ばれる樹脂です。これには麻酔作用があり、十字架刑の苦痛を和らげる目的で与えられました。
当時のユダヤの慣習として、処刑される者に痛みを和らげる飲み物を与えることがありました。これは一種の慈悲の行為でした。
なぜイエス様は拒否されたのか
イエス様がこの飲み物を拒否された理由について、伝統的に次のように理解されています。
- 完全な意識で苦しみを受けるため:贖いのわざを意識が朦朧とした状態ではなく、完全に自覚した状態で成し遂げられた
- 人類の罪の重さを完全に負うため:痛みを和らげることなく、罪の刑罰を完全に受けられた
- 最後まで父なる神との対話を保つため:十字架上での祈りと叫びは、明瞭な意識のもとで発せられた
なお、マタイ27:34では「苦いものを混ぜた」とあり、マルコの「没薬」と若干異なりますが、同じ出来事の異なる描写と考えられています。
十字架上の叫び ― 四福音書の比較
「そして、三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは訳すと『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」
(マルコ15:34)
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」
これはアラム語で、詩篇22篇1節の引用です。
- אֵלִי אֵלִי לָמָה עֲזַבְתָּנִי(エリ、エリ、ラマ、アザブタニ ― ヘブル語)
- マルコはアラム語形(エロイ)で記録し、マタイはヘブル語形(エリ)で記録しています
この叫びは、イエス様が全人類の罪を負われ、その瞬間、父なる神との霊的な交わりが断たれた苦悩を表しています。罪なきお方が、私たちの罪のために「神から見放される」という経験をされたのです。
四福音書に記録された十字架上の言葉
四福音書を合わせると、イエス様は十字架上で七つの言葉を語られました。
- 「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ23:34)
- 「今日、あなたは私とともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)
- 「女の方、ご覧なさい、あなたの息子です」(ヨハネ19:26-27)
- 「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(マタイ27:46、マルコ15:34)
- 「わたしは渇く」(ヨハネ19:28)
- 「完了した」(ヨハネ19:30)― ギリシャ語「テテレスタイ」(τετέλεσται)
- 「父よ、わが霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)
マルコ15:37の「大声をあげて息を引き取られた」は、おそらく「完了した」と「父よ、わが霊を御手にゆだねます」を含んでいたと考えられます。通常、十字架刑では呼吸困難のため大声を出せませんが、イエス様は最期まで力強く叫ぶことができました。
✝️ 十字架上の七つの言葉
四福音書に記録された主イエスの最期の言葉
四福音書を合わせると、イエス様は十字架上で七つの言葉を語られました。それぞれの福音書は異なる言葉を記録しており、合わせて読むことで十字架の全体像が見えてきます。
(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)
(τετέλεσται / テテレスタイ)
📖 七つの言葉が示すもの
十字架上の七つの言葉は、イエス・キリストの完全な神性と人性を示しています。
他者を赦し、愛し、救いを宣言する神としての権威。
渇き、苦しみ、見捨てられる人としての苦悩。
そして最後に「完了した」と宣言し、贖いのわざを成し遂げられました。
神殿の幕が裂けた ― 隔ての除去
「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」
(マルコ15:38)
神殿の幕とは
この幕は、神殿の「聖所」と「至聖所」を隔てていた垂れ幕です。ヨセフスによると、この幕は約18メートルの高さがあり、非常に厚いものでした。
至聖所には大祭司だけが、年に一度だけ(贖罪の日)入ることが許されていました。この幕は、聖なる神と罪ある人間との隔てを象徴していました。
「上から下まで」の意味
幕が「上から下まで」裂けたことは重要です。これは人間の手によるものではなく、神ご自身の業であることを示しています。
ヘブル人への手紙はこの意味を解説しています。
「私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために新しい生ける道を開いてくださいました。」
(ヘブル10:19-20)
キリストの十字架によって、神と人との隔ては取り除かれ、すべての信じる者が神に近づく道が開かれたのです。
十字架から復活まで ― ユダヤ式の数え方
「すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので…」
(マルコ15:42)
時系列の整理
- 金曜日 午前9時:十字架につけられた(マルコ15:25)
- 金曜日 正午〜午後3時:全地が暗くなった(マルコ15:33)
- 金曜日 午後3時頃:イエス様が息を引き取られた
- 金曜日 日没前:アリマタヤのヨセフが埋葬
- 土曜日(安息日):墓に留まった
- 日曜日 早朝:復活(週の初めの日)
「三日目」の数え方
イエス様は「三日目によみがえる」と預言されていました。ユダヤ式の数え方では、日の一部も一日と数えます。
- 1日目:金曜日(午後3時以降)
- 2日目:土曜日(安息日・丸一日)
- 3日目:日曜日(早朝)
こうして「三日目によみがえる」という預言は文字通り成就しました。
📅 十字架から復活までの時系列
「三日目によみがえる」預言の成就
イエス様は「三日目によみがえる」と預言されていました。ユダヤ式の数え方では、日の一部も一日と数えます。金曜日の午後から日曜日の早朝まで、預言は文字通り成就しました。
📝 「三日目」のユダヤ式数え方
※ ユダヤ暦では日没から新しい日が始まります。日の一部も一日と数えるのがユダヤの慣習です。
預言の成就 ― 三日目によみがえった!
イエス様は何度も「三日目によみがえる」と預言されていました。
(マタイ16:21, 17:23, 20:19, マルコ8:31, 9:31, 10:34, ルカ9:22, 18:33)
金曜日、土曜日、日曜日 ― この三日間の出来事は、
預言が文字通り成就したことを証明しています。
十字架のそばにいた人々
サロメとは誰か
「また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。」
(マルコ15:40)
サロメ(Σαλώμη)は、マタイ27:56との比較から、ゼベダイの妻であり、使徒ヤコブとヨハネの母だったと考えられています。
彼女は、息子たちのために「御国で、一人を右に、一人を左に座らせてください」と願った母親でもあります(マタイ20:20-21)。その願いは退けられましたが、彼女は最後まで主のそばに留まりました。
ヨセとは誰か
「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。」
(マルコ15:47)
「ヨセ」(Ἰωσῆ)は「ヨセフ」の短縮形です。マルコ6:3によると、イエス様の兄弟の名前は「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」です。
ただし、「小ヤコブとヨセの母マリヤ」は、イエス様の母マリヤとは別人と考えられています。「小ヤコブ」という呼び方は、使徒ヤコブ(ゼベダイの子)と区別するためのものでしょう。
アリマタヤのヨセフ
「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。」
(マルコ15:43)
アリマタヤのヨセフは、サンヘドリン(最高議会)の議員でありながら、イエス様の弟子でした(マタイ27:57)。彼は「思い切って」(τολμήσας / トルメーサス)ピラトのところに行きました。
議員がローマ総督に処刑された者の遺体を求めることは、大きな勇気を必要としました。彼は自分の新しい墓にイエス様を葬り、イザヤ53:9の預言(「富む者とともに葬られた」)を成就させました。
百人隊長の告白
「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった』と言った。」
(マルコ15:39)
十字架刑を執行したローマの百人隊長が、最初にイエス様を「神の子」と告白しました。これは驚くべきことです。
ユダヤの宗教指導者たちが嘲り、弟子たちが逃げ去った中で、異邦人の軍人が真実を見抜いたのです。これは、福音が全世界に広がることの預表とも言えます。
結論:十字架の意味と私たちへの招き
マルコ15章は、イエス・キリストの受難を淡々と、しかし力強く伝えています。
- 没薬入りのぶどう酒を拒否されたのは、完全な意識で贖いを成し遂げるため
- 「わが神、わが神」の叫びは、私たちの罪を負われた苦悩の表れ
- 神殿の幕が裂けたのは、神と人との隔てが取り除かれた証拠
- 百人隊長の告白は、福音が全世界に広がる預表
十字架は終わりではありませんでした。三日目の復活によって、死は打ち破られました。
そして今、この十字架と復活を信じるすべての者に、永遠のいのちが約束されています。
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「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネ3:16)




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