今日の通読箇所もとても豊かなので、一つの記事まとめるよりも別記事に書いた方が書きやすかったので、①創世記48章②第一歴代誌7章8章③マルコ15章となります。
トーラーポーションで、通読するようになって、トーラー以外にも同時に読むことで、毎回豊かな通読を与えられていることを感謝します。
目次
死を前にしたヤコブの祝福
創世記48章は、ヤコブ(イスラエル)が死を前にして、ヨセフの二人の息子マナセとエフライムを祝福する場面です。
この祝福の中で、ヤコブは驚くべき行動を取ります。ヨセフは長男マナセをヤコブの右手の前に、次男エフライムを左手の前に立たせました。当時の文化では、右手は優位を示すもので、長子に右手を置くのが当然でした。
ところが、ヤコブは手を交差させて、右手を弟エフライムの頭に、左手を兄マナセの頭に置いたのです。
「すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。」
(創世記48:14)
「交差した」の原語 ― 意図的な行為
ヘブル語原文で「手を交差させた」と訳されている動詞は、
שִׂכֵּל(sikkel / シッケル)
です。この動詞の語根は ש-כ-ל(s-k-l)で、「賢く行動する」「悟りをもって行う」「熟考して行う」という意味があります。
つまり、ヤコブは老齢で目がかすんでいたために「間違えた」のではありません。彼は意図的に・知恵をもって・悟りをもって手を交差させたのです。
ヨセフが「父上、そうではありません。こちらが長子なのですから」と訂正しようとした時、ヤコブはこう答えました。
「わかっている。わが子よ。私にはわかっている。」
(創世記48:19)
ヤコブは自分が何をしているか完全に理解していました。これは預言的な行為だったのです。
長子権の逆転 ― 神の選びの原則
聖書には、長子権の逆転というパターンが繰り返し現れます。
- カインとアベル:長子カインではなく、弟アベルのささげ物が受け入れられた
- イシュマエルとイサク:長子イシュマエルではなく、弟イサクが約束の子となった
- エサウとヤコブ:長子エサウではなく、弟ヤコブが祝福を受け継いだ
- ルベンとユダ/ヨセフ:長子ルベンではなく、ユダとヨセフが指導的役割を担った
- マナセとエフライム:長子マナセではなく、弟エフライムが大きくなった
これは偶然ではありません。神様は人間的な秩序や資格(長子権)に縛られず、ご自身の主権的な選びによって祝福を与えられるのです。
後にイエス様はこう言われました。
「先の者が後になり、後の者が先になる。」
(マタイ20:16)
シェケムの謎 ―「剣と弓で取った」とは?
創世記48章の終わりに、興味深い記述があります。
「私は、あなたの兄弟よりも、むしろあなたに、私が剣と弓とをもってエモリ人の手から取ったあのシェケムを与えよう。」
(創世記48:22)
ここで問題が生じます。ヤコブが「剣と弓で」シェケムを取ったという記事は、創世記の他の箇所には見当たりません。
創世記に記録されているシェケムとの関わり
- 創世記33:19:ヤコブはシェケムの父ハモルの子らから土地を「購入」した
- 創世記34章:シメオンとレビがシェケムの住民を殺害したが、ヤコブはこれを非難した(34:30)
つまり、ヤコブ自身が「剣と弓で」戦った記録はないのです。
解釈の可能性
この謎について、いくつかの解釈が提案されています。
- 記録されていない出来事説:聖書に記されていない何らかの戦いがあった
- 預言的完了形説:「私が取った」は預言的な表現で、子孫が将来取ることを指す
- 代表説:息子たち(シメオンとレビ)の行為を、家長として自分のものとして表現した
ユダヤの伝承(タルグム)では、ヤコブが実際に戦ったという伝説を補っています。
ヨセフの骨とシェケム
興味深いことに、ヨセフの骨は最終的にシェケムに葬られました。
「イスラエル人がエジプトから携えて来たヨセフの骨は、シェケムに、かつてヤコブがシェケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買った土地の一部に葬られ、ヨセフの子らの所有となった。」
(ヨシュア記24:32)
ヤコブの約束は成就し、シェケムはヨセフの子孫の所有となりました。
十字架との関連 ― 交差した手の預言的意味
キリスト教の伝統的な予型論(タイポロジー)では、ヤコブの交差した手に十字架の象徴を見出してきました。
交差した形そのもの
ヤコブが手を交差させた形は、十字架(✝)の形を連想させます。古代の教父たちは、この箇所にキリストの十字架の予表を見ました。
逆転の恵み
長子権の逆転は、十字架による「逆転の恵み」を予表しています。
- 人間的な資格(行い、出自、地位)によらない救い
- 最も低い者が高くされる恵み
- 神の主権的な選びによる祝福
十字架上で、イエス様は人間的な評価では「呪われた者」となりました。しかし、その十字架こそが救いの源となったのです。これは究極の「逆転」です。
祝福の媒介
ヤコブの交差した手を通して祝福が流れたように、キリストの十字架を通して神の祝福が全人類に流れています。
「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」
(ガラテヤ3:13)
結論:神の選びと恵みの福音
創世記48章のヤコブの交差した手は、単なる老人の間違いではありませんでした。
それは、神の主権的な選びと人間的秩序の逆転を示す預言的な行為でした。
そして、この「交差」は、やがて来るキリストの十字架を予表していたのです。
私たちは誰も、生まれや行いによって神の祝福を「当然の権利」として受けることはできません。しかし、神様は恵みによって、キリストの十字架を通して、すべての人に救いの道を開いてくださいました。
それこそが、「先の者が後になり、後の者が先になる」という福音の逆転なのです。
✦ ✦ ✦
「あなたがたが召されたことを考えてみなさい。
人間的に見れば、知恵のある者は多くはなく、
力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、
この世の愚かな者を選び、
強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。」
(第一コリント1:26-27)
✋ ヤコブの交差した手 ✋
創世記48:14 ― 十字架を予表する祝福
しかしヤコブは手を交差させて、右手を弟エフライムに置いた。
これは「間違い」ではなく、意図的な預言的行為だった。
語根の意味:「賢く行動する」「悟りをもって行う」「熟考して行う」
→ ヤコブは間違えたのではなく、意図的に・知恵をもって手を交差させた
📌 この出来事のポイント
- ヤコブは目がかすんでいたが、誰が誰かわかっていた(48:19「わかっている」)
- 長子権の逆転 ― 弟が兄より大きくなるという預言
- 人間的な秩序ではなく、神の主権的な選びによる祝福
- 交差した手の形は十字架の形を連想させる
✨ 十字架との関連(予型論)
超えた祝福の媒介
予表
→
恵みによる救いの媒介
📜 聖書における長子権の逆転
「先の者が後になり、後の者が先になる」パターン
聖書には「長子権の逆転」というパターンが繰り返し現れます。これは偶然ではなく、神様が人間的な秩序や資格に縛られず、ご自身の主権的な選びによって祝福を与えられることを示しています。
🔸 カインとアベル
長子カインのささげ物は退けられ、弟アベルのささげ物が神に受け入れられました。心の態度が問われた最初の例。
🔸 イシュマエルとイサク
人間的な計画(ハガルによる子)ではなく、神の約束による子イサクが選ばれました。
🔸 エサウとヤコブ
生まれる前から「兄が弟に仕える」と預言されていました。神の主権的選び。
🔸 ルベンとユダ/ヨセフ
長子ルベンは父の寝床を汚した罪のため退けられ、王権はユダに、長子の分はヨセフに。
🔸 マナセとエフライム
ヤコブが交差した手で祝福し、弟エフライムに優位を与えました。今日の通読箇所!
🔸 エリアブとダビデ
サムエルは長子エリアブを見て「この人だ」と思いましたが、神は末っ子ダビデを選ばれました。
🌟 このパターンが教えること
神様は人間的な資格(生まれ順、地位、能力)によらず、
ご自身の恵みと主権的な選びによって祝福を与えられます。
これは、やがて来るキリストによる救いの予表です。
私たちは行いによらず、恵みによって救われるのです。





コメント