創世記42:26-38/第二列王記11-12章/マルコ10:23-52
はじめに
クリスマス・イブの今日、通読箇所には「ダビデの子」というテーマが繰り返し現れます。アタルヤによってダビデ王朝が断絶の危機に瀕した出来事、そしてバルテマイが「ダビデの子イエスさま」と叫んだ出来事——これらは、飼い葉桶に来てくださったイエス・キリストへとつながる神様の壮大な計画の一部です。
創世記42:26-38「返された銀と良心の呵責」
あらすじ
兄弟たちはエジプトで穀物を買い、帰路につきます。ところが宿泊所で袋を開けると、支払ったはずの銀が戻っている。彼らは震え上がり、こう叫びました。
「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう。」(42:28)
原語の響き
ヘブル語では「מַה־זֹּאת עָשָׂה אֱלֹהִים לָנוּ」(マー・ゾート・アサー・エロヒーム・ラヌー)。直訳すると「神は私たちに何をしたのだ!」という驚きと恐れの叫びです。
彼らはまだヨセフだと気づいていません。しかし本能的に「これは神のわざだ」と感じている。20年以上前に弟を売り飛ばした罪が、心の奥底でずっと彼らを苦しめていたのです。
神学的考察
興味深いのは、兄弟たちが「神の裁き」と恐れたものが、実はヨセフの恵みだったということです。ヨセフは兄弟たちを罰するためではなく、祝福するために銀を返していました。
私たちも人生の中で「神様、なぜですか」と叫ぶことがあります。しかし後から振り返ると、それが恵みの準備だったということがあるのではないでしょうか。
第二列王記11-12章「ダビデ王朝最大の危機と守り」
アタルヤの暴挙
北イスラエルのアハブ王とイゼベルの娘アタルヤは、息子アハズヤが死ぬと、自分の孫たちを含むダビデ王家の王子たちを皆殺しにして、自ら王位を奪いました。
これは単なる権力闘争ではありません。ダビデ契約の危機でした。
「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(Ⅱサムエル7:16)
この神の約束が、アタルヤによって断ち切られようとしていたのです。そしてダビデの子孫からメシアが生まれるという預言(イザヤ11:1)も、成就不可能になるところでした。
神の守り——一人の幼子ヨアシュ
しかし神は、エホシェバ(ヨラム王の娘)を用いて、幼子ヨアシュを救い出されました。ヨアシュは乳母と共に主の宮に6年間隠れ、祭司エホヤダによって育てられました。
この「6年間の沈黙」に注目したいと思います。表面上は何も起きていない。アタルヤが王として君臨し、バアル崇拝が広がり、ダビデ王朝は断絶したかのように見えた。しかしエホヤダは神の時を待っていたのです。
第七年目の勝利
7年目、エホヤダは周到な計画のもとにヨアシュを王として即位させました。
「こうしてエホヤダは、王の子を連れ出し、彼に王冠をかぶらせ、さとしの書を渡した。彼らは彼を王と宣言した。そして、彼に油をそそぎ、手をたたいて、『王さま。ばんざい』と叫んだ。」(11:12)
アタルヤは「謀反だ!謀反だ!」と叫びましたが、処刑されました。ダビデの血筋は、たった一人の幼子によって守られたのです。
👑 アタルヤ — ダビデ王朝最大の危機
メシア預言を脅かした女王とその最期
📖 第二列王記11章〜12章
📊 アタルヤの家系と南北王国の関係
✝️ 神学的意義 — なぜこの事件が重要か
ダビデ契約の危機
「あなたの王座はとこしえに堅く立つ」(Ⅱサムエル7:16)という神の約束が、アタルヤによって断絶の危機に。しかし神は約束を守られた。
メシア預言の保持
ダビデの子孫からメシアが生まれるという預言(イザヤ11:1)。ヨアシュ一人の生存によって、この預言の道が守られ、やがてイエス・キリストへとつながる。
神の摂理の勝利
人間の悪意と陰謀が最高潮に達しても、神の計画は覆せない。エホシェバとエホヤダの信仰と勇気を用いて、神は歴史を導かれた。
アタルヤの物語は、「人間の悪がどれほど極まっても、神の約束は必ず成就する」という希望のメッセージ。
たった一人の幼子ヨアシュを通して、ダビデ王朝は守られ、
やがてベツレヘムの飼い葉桶で生まれる「ダビデの子」イエス・キリストへとつながっていく。
11章5-7節の護衛配置について
この箇所は少し複雑ですので整理します。
エホヤダの護衛配置計画:
- 安息日勤務組(1/3) → 王宮の護衛(11:5)
- 非勤務の2組(2/3) → スルの門と近衛兵舎の裏の門(11:6)
7節の「安息日に勤務しない者」とは6節で配置された人たちのこと。通常は安息日に休みだが、この特別な日は全員を動員して王の護衛に当たらせたのです。安息日の交代制を利用して、自然にすべての兵力を集められるようにしたエホヤダの知恵深い計画でした。
ヨアシュのその後
ヨアシュは祭司エホヤダの指導のもと、主の目にかなうことを行いました。しかし12章の終わりで、彼は家来たちに暗殺されてしまいます。
「彼の子アマツヤが代わって王となった。」(12:21)
ヨアシュが殺されても、息子アマツヤが王位を継ぎ、ダビデの血筋は途絶えませんでした。神の約束は揺るがないのです。
マルコ10:23-52「仕える者の王」
富める者と神の国(23-31節)
イエス様は言われました。
「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」(10:25)
弟子たちは驚いて「それでは、だれが救われることができるのだろうか」と言いました。するとイエス様は彼らをじっと見て(ギリシャ語:ἐμβλέψας エンブレプサス=心の奥まで見通すような眼差し)言われました。
「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」(10:27)
人間の力では不可能なこと——富への執着を捨てること、自分を救うこと——それらすべてが、神の恵みによって可能になる。これが福音の核心です。
「奴隷になりなさい」——衝撃の教え(35-45節)
ヤコブとヨハネが「右と左の座」を求めた時、イエス様は驚くべきことを言われました。
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」(10:43-44)
原語を見ると、この教えの衝撃が明らかになります。
| 日本語 | ギリシャ語 | 意味 |
| 仕える者 | διάκονος(ディアコノス) | 給仕する者、奉仕者 |
| しもべ | δοῦλος(ドゥーロス) | 奴隷 |
イエス様は意図的に言葉を強めておられます。「仕える者」から「奴隷」へ。
1世紀のローマ社会で、奴隷は法的に「人」ではなく「所有物」でした。自分の意志で何も決められない、社会的地位の最底辺。「一番偉くなりたい」と言う弟子たちに、イエス様は「一番低い奴隷になれ」と言われたのです。
そしてイエス様ご自身が、この原則を完全に体現されました。
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(10:45)
「贖いの代価」はギリシャ語でλύτρον(リュトロン)。奴隷を自由にするために支払う身代金を指す言葉です。イエス様はご自身を、私たちの罪の奴隷状態から解放するための身代金として差し出してくださいました。
バルテマイの癒し——「ダビデの子」への信仰(46-52節)
エリコで盲人バルテマイがイエス様に叫びました。
「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」(10:47)
「バルテマイ」と「バルトロマイ」の違い
この二つの名前は似ていますが、全く別人です。
| 名前 | ギリシャ語 | ヘブル語の意味 | 人物 |
| バルテマイ | Βαρτιμαῖος | בַּר־טִמַי「ティマイの息子」 | エリコの盲人乞食 |
| バルトロマイ | Βαρθολομαῖος | בַּר־תַּלְמַי「タルマイの息子」 | 十二使徒の一人 |
「バル」(בַּר)はアラム語で「息子」を意味します。父親の名前が違う(ティマイ vs タルマイ)ので別人なのです。
✝️ イエス・キリストの十二使徒
主が選ばれた12人の弟子たち
📖 マタイ10:2-4 / マルコ3:16-19 / ルカ6:14-16 / 使徒1:13,26
⚠️ 混同しやすい名前に注意!
「バルトロマイ」と「バルテマイ」は名前が似ていますが、全く別人です!
| バルトロマイ | バルテマイ | |
|---|---|---|
| ギリシャ語 | Βαρθολομαῖος(バルトロマイオス) | Βαρτιμαῖος(バルティマイオス) |
| ヘブル語の意味 | בַּר־תַּלְמַי「タルマイの息子」 | בַּר־טִמַי「ティマイの息子」 |
| 人物 | 十二使徒の一人(ナタナエルと同一視) | エリコの盲人乞食(癒された人) |
| 聖書箇所 | マタイ10:3、マルコ3:18 など | マルコ10:46 |
💡 「バル」(בַּר) はアラム語で「息子」を意味します。どちらも父親の名前から来た呼び名ですが、父親が違う(タルマイ vs ティマイ)ので別人です。
📝 十二使徒についての補足
「内弟子」三人について:ペテロ、ヤコブ、ヨハネは特別に親しい弟子として、変貌山(マルコ9:2)、ヤイロの娘の蘇生(マルコ5:37)、ゲッセマネの祈り(マルコ14:33)などの場面に同行を許されました。
福音書によるリストの違い:十二使徒の名前は4つの箇所に記載されていますが、順序や呼び名に若干の違いがあります。タダイは「ヤコブの子ユダ」(ルカ6:16)とも呼ばれ、バルトロマイは「ナタナエル」(ヨハネ1:45-51)と同一人物と考えられています。
上着を脱ぎ捨てる信仰
バルテマイがイエス様に呼ばれた時、彼は「上着を脱ぎ捨て」(ἀποβαλὼν τὸ ἱμάτιον)ました(10:50)。
盲人の乞食にとって、上着は最も大切な所有物の一つです。夜は毛布代わり、昼は施しを受ける時に広げる布。それを「脱ぎ捨てた」——もう戻って来なくてもいいという決意。
バルテマイは、イエス様に癒されることを確信していたのです。だから過去の自分を象徴する上着を捨てられた。これは信仰の本質を示しています。古い自分を脱ぎ捨てて、イエス様のもとに走り出すこと。
クリスマス・イブに読む「ダビデの子」
今日の通読で「ダビデの子」というテーマが繰り返し現れました。
- アタルヤがダビデの血筋を断とうとしたが、ヨアシュが守られた
- バルテマイが「ダビデの子のイエスさま」と叫んだ
アタルヤの虐殺を生き延びた幼子ヨアシュ。その血筋が千年後、ベツレヘムの飼い葉桶で生まれた幼子イエスにつながります。
宇宙を創られた神様が、家畜小屋の飼い葉桶に来てくださった。「仕えられるためではなく、仕えるため」に。そして十字架で、私たちの贖いの代価を払ってくださった。
飼い葉桶から始まり、十字架で完成した「仕える王」の生涯。
神様は歴史を通して、ずっと一つの計画を進めておられました。アタルヤの暗闘も、エホヤダの忍耐も、バルテマイの叫びも、すべてが「ダビデの子」イエス・キリストを指し示しているのです。
今日の適用
- 神の約束は必ず成就する — アタルヤの陰謀でさえ、神の計画を止められなかった。私たちの人生にどんな困難があっても、神の約束は揺るがない。
- 「神の裁き」と恐れたものが「恵み」かもしれない — ヨセフの兄弟たちのように、私たちも神の導きを誤解することがある。後から振り返って恵みだったとわかることがある。
- 本当の偉大さは仕えることにある — イエス様は「奴隷になれ」と言われ、ご自身がそれを実行された。クリスマスは、神が最も低い場所に降りてきてくださった日。
- 古い自分を脱ぎ捨てる — バルテマイのように、イエス様に出会ったら、過去の自分を象徴するものを脱ぎ捨てて、新しい人生を歩み出そう。
メリークリスマス。
飼い葉桶に来てくださった「ダビデの子」イエス様に感謝しつつ。
noteでは聖書の初心者の方にも分かりやすく記事を書いています
是非読んでくださいね 👇


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