聖書を通読していると、「あれ?これはどういう意味だろう?」と疑問に思う箇所に出会いませんか?
多くの場合、その疑問は:
- 注解書を調べても見つからない
- 神学校に行かないと知らない
- でも実際に聖書を読む中で出会う、リアルな疑問
今日は、11月11日の通読箇所(創世記19:23-38、ルツ記4章、第一サムエル1章、マタイ16章)から、7つの疑問を取り上げて、丁寧に解説します。
これらの疑問に答えることで:
- 聖書の背景がより深く理解できる
- 神の贖いの計画の奥深さが見える
- 明日からの聖書通読がもっと楽しくなります
それでは、一つずつ見ていきましょう。
目次
- 1 疑問1:ロトは「寝たのも起きたのも知らなかった」のに、どうして身ごもったのか?(創世記19:33)
- 2 疑問2:なぜルツを買い戻すと「自分の相続地を損なう」のか?(ルツ記4:6)
- 3 疑問3:オベデとオベデエドムは違う人物か?(ルツ記4:17)
- 4 疑問4:サムエルは神が直接命じたのではなく、ハンナの誓願だったのか?(第一サムエル1:11, 28)
- 5 疑問5:5つのパンで5千人、7つのパンで4千人に意味があるのか?(マタイ16:9-10)
- 6 疑問6:マタイ16:18の「教会」(エクレシア)とマタイ16:19の「天の御国の鍵」
- 7 疑問7:「ここに立っている人々の中には…決して死を味わわない人々がいます」とはどういう意味か?(マタイ16:28)
- 8 結論:すべてをつなぐ一つのテーマ
- 9 謝辞
- 10 【次回予告】「自分は大したことない」と思うあなたへ
疑問1:ロトは「寝たのも起きたのも知らなかった」のに、どうして身ごもったのか?(創世記19:33)
疑問の内容
創世記19:33にこうあります:
「その夜、彼女たちは父親に酒を飲ませ、姉が入って行き、父と寝た。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった。」
「寝たのも起きたのも知らない」のに、どうして娘は身ごもることができたのでしょうか?
解説
ヘブライ語原文を見ると、「彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった」(וְלֹא־יָדַע בְּשִׁכְבָהּ וּבְקוּמָהּ) という表現は、ロトが深い酩酊状態にあり、娘たちの行為の前後を認識できなかったことを示しています。
重要なのは、聖書は生理学的な詳細には触れていないということです。泥酔していても、男性の身体的反応は可能です。
この記述の焦点は何か:
- ロトに道徳的責任がなかったこと
- 娘たちの絶望的な状況判断の歪み
- しかしその結果生まれたのがモアブとアンモン
神学的意味:恥ずべき始まりからの贖い
この物語には、驚くべき神の主権があります。
モアブとアンモンの誕生:
- 近親相姦
- 父の泥酔
- 絶望的な状況
しかし:
- モアブ人ルツ→ダビデの曾祖母→メシアの系図(マタイ1:5)
- アンモン人ナアマ→ソロモンの妻→レハブアムの母(列王第一14:21)
神学的洞察:
神は最も汚れた始まりからでも、贖いの歴史を紡がれます。これは:
- 人間の罪の深刻さを示す(良い動機でも罪は罪)
- 神の恵みの徹底性を示す(メシアの系図に異邦人と罪人を含める)
- 選びの絶対性を示す(人間の功績によらない)
パウロが「神の選びの計画が人の行いにはよらず」(ローマ9:11)と言った意味が、ここに表れています。
疑問2:なぜルツを買い戻すと「自分の相続地を損なう」のか?(ルツ記4:6)
疑問の内容
ルツ記4:6で、買い戻しの権利のある親類がこう言います:
「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。」
なぜルツを買い戻すと、彼自身の相続地を損なうことになるのでしょうか?
解説:レビラート婚の法
この背後には、レビラート婚(申命記25:5-10)の法があります。
レビラート婚とは:
- 兄弟が死んで子がいない場合
- 生き残った兄弟がその妻をめとる
- 生まれた子は死んだ兄弟の後継者となる
- その子が死んだ兄弟の相続財産を受け継ぐ
ルツの場合に適用すると:
- 親族が土地の購入代金を払う
- ルツと結婚して男子が生まれる
- その子はマフロン(死んだ夫)の後継者となる
- 買い戻した土地は、最終的にその子の所有になる
- 親族は代金を払ったのに、自分のものにならない
- さらに、自分の実子たちの相続分が減る
ボアズとの対比
最初の親族ボアズ資格はあるが拒否喜んで買い戻す自分の損失を恐れる犠牲を払う死んだ者の名を起こさない死んだ者の名を起こす
ボアズは:
- 全代価を払い
- 自分の名でなくマフロンの名を起こし
- 異邦人ルツを自分の家族に迎えた
キリスト論的洞察
ボアズは**ゴーエル(買い戻す者)**として、キリストの型です。
最初の親族ボアズキリスト資格はあるが拒否喜んで買い戻す十字架で贖われた自分の損失を恐れる犠牲を払う「ご自分を無にして」(ピリピ2:7)死んだ者の名を起こさない死んだ者の名を起こす死んだ私たちを生かす
真の愛は自己の損失を厭わない。キリストは「ご自分の栄光」を捨てて、私たちの罪を負われたのです。
疑問3:オベデとオベデエドムは違う人物か?(ルツ記4:17)
疑問の内容
ルツ記4:17に「オベデ」という名前が出てきます。聖書を読んでいると、「オベデ・エドム」という似た名前も出てきます(第二サムエル6:10)。これらは同一人物でしょうか?
解説
オベデ(ルツ記4:17):
- ボアズとルツの息子
- エッサイの父
- ダビデの祖父
- メシアの系図に入る(マタイ1:5)
オベデ・エドム(第二サムエル6:10-11):
- ガテ人
- 契約の箱を預かった人
- 主が彼の家を祝福された
名前の意味
ヘブライ語で:
- オベデ(עֹבֵד)=「仕える者」
- オベデ・エドム(עֹבֵד אֱדוֹם)=「エドムに仕える者」
聖書における名前の重要性
ヘブライ文化では、名前がその人の使命や性質を表します。
同じ名前でも、文脈と系図から別人物であることが分かります。聖書を読む時は:
- 文脈を確認する
- 系図を追跡する
- 時代背景を考慮する
このように、聖書は細部にまで意味があり、丁寧に読むことで豊かな理解が得られます。
疑問4:サムエルは神が直接命じたのではなく、ハンナの誓願だったのか?(第一サムエル1:11, 28)
疑問の内容
第一サムエル1章を読むと、ハンナが自分で誓願を立てています(1:11):
「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。」
これは、神が直接命じられたのではなく、ハンナ自身の誓願です。それなのに、なぜサムエルは主の預言者として大きく用いられたのでしょうか?
解説:祈りと神の主権の交差点
確かに、主が直接命じられたわけではありません。
しかし、注目すべき3つのポイントがあります:
- ハンナは主の御心を求めて祈った(1:15「心を注ぎ出していた」)
- 祭司エリが神の御心として承認した(1:17「イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように」)
- 主が実際に応えられた(1:19-20「【主】は彼女を心に留められた」)
神学的洞察:三つのレベルの神の御心
1. 定まっている御心(decretive will):
- 変わらない神の主権的計画
- 例:キリストの十字架と復活
2. 啓示された御心(preceptive will):
- 聖書に明示された命令
- 例:十戒、愛の命令
3. 個別の導き(dispositional will):
- 個人的状況での導き
- 例:結婚相手、職業選択
ハンナの誓願は2番目と3番目の間にある祈りです。
重要な原則
神は私たちの祈りを単に聞くだけでなく、それを御自分の計画の一部として織り込まれる。
これは:
- 神の主権を否定しない(神がすべてを治めておられる)
- 人間の責任を否定しない(私たちは祈るべき)
- 協働の奥義:神は私たちの祈りを用いて御心を成就される
サムエルの誕生の意義
実際、サムエルの誕生は:
- イスラエルの霊的暗黒時代の転換点
- 王制への移行の準備
- ダビデ契約への道
💡 ダビデ契約とは?
ダビデ契約(第二サムエル7:8-16)は、神がダビデに与えられた永遠の約束です:
神の約束の内容:
- ダビデの子孫から王が立てられ続ける(7:12)
- その王国は永遠に続く(7:13, 16)
- たとえダビデの子孫が罪を犯しても、神の愛は離れない(7:14-15)
第二サムエル7:16: 「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」
メシア預言としての意味: この約束は、最終的にイエス・キリストによって成就されます:
- イエスは「ダビデの子」として来られた(マタイ1:1)
- イエスの王国は永遠(ルカ1:32-33)
- イエスはダビデの子孫から生まれたメシア(ローマ1:3)
サムエルの役割: サムエルは、このダビデ契約につながるダビデ王を油注いだ預言者です(第一サムエル16章)。つまり、ハンナの個人的な祈りが、メシア到来への道を開いたのです。
ハンナの祈りは個人的だったが、民族的な、そして永遠の意義があったのです。
(聖書の主要な契約については、今後の記事で詳しく解説する予定です)
これは私たちへの励ましです。あなたの心からの祈りを、神は御自分の計画として実現してくださることがあるのです。
疑問5:5つのパンで5千人、7つのパンで4千人に意味があるのか?(マタイ16:9-10)
疑問の内容
マタイ16:9-10で、イエスは弟子たちにこう問われます:
「まだわからないのですか、覚えていないのですか。五つのパンを五千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。また、七つのパンを四千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。」
この数字に何か意味があるのでしょうか?
解説:二つの給食の奇跡の違い
実は、この二つの奇跡には神学的に深い意味があります。
五つのパンで五千人(マタイ14章)
- 対象:ユダヤ人
- 場所:ガリラヤ湖畔(ユダヤ人地域)
- 五という数字:トーラー(モーセ五書)を象徴
- 余りの12籠:イスラエル12部族を象徴
七つのパンで四千人(マタイ15章)
- 対象:異邦人
- 場所:デカポリス地方(異邦人地域、マルコ7:31参照)
- 七という数字:完全数、異邦の70国民を象徴
- 余りの7籠:完全な祝福を象徴
イエスの叱責の意味
イエスが「まだわからないのですか」と言われたのは、弟子たちが:
- 物質的なパンの心配をしている
- しかしイエスの宣教がユダヤ人と異邦人の両方に及ぶという神学的真理を見逃している
この二つの奇跡は、福音が全世界に広がることの預言だったのです。
パリサイ人のパン種への警告
そしてイエスは、この文脈で「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい」(16:6)と警告されました。
弟子たちは後に理解します:これは教えのことだと(16:12)。
パン種=広がる影響力
- 良いパン種:福音の真理
- 悪いパン種:パリサイ人の偽善、サドカイ人の不信仰
私たちも、何を心に受け入れるかに注意が必要です。
疑問6:マタイ16:18の「教会」(エクレシア)とマタイ16:19の「天の御国の鍵」
疑問の内容
マタイ16:18-19で、イエスがこう言われます:
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
これは、福音書の中で初めてイエスの口から「教会」という言葉が出てくる重要な箇所です。
二つの疑問があります:
- ギリシャ語では「教会」を何と言っているのか?
- 「天の御国の鍵」とは何か?
解説1:エクレシアの意味
はい、ギリシャ語で**ἐκκλησία(エクレシア)**です。
語源の分解
- ἐκ(エク)=「〜から出て」
- καλέω(カレオー)=「呼ぶ」
- つまり「呼び出された者たちの集まり」
旧約とのつながり
旧約のヘブライ語ではקָהָל(カハル)「集会」に相当します。
意味:
- 世から呼び出され
- 神のもとに集められた民
- 特別な目的のために召された共同体
マタイ16章の文脈での重要性
この「教会」という言葉が出てくる文脈を見てみましょう:
- ペテロの信仰告白(16:16): 「あなたは、生ける神の御子キリストです」
- イエスの応答(16:17-18): 「このことをあなたに明らかに示したのは…天にいますわたしの父です。…わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」
「この岩」とは何か:
- ペテロ個人ではなく
- ペテロの信仰告白(イエスは神の子キリスト)
- この告白こそが教会の土台
教会の本質
エクレシアという言葉から、教会の本質が見えてきます:
- 建物ではなく、人々
- 偶然の集まりではなく、召された共同体
- 世から分離され、神のもとに集められた
- キリストへの信仰告白を土台とする
これは、私たちが「教会に行く」のではなく、私たちが教会であることを意味します。
解説2:天の御国の鍵とは何か
さらに、イエスは続けて「天の御国の鍵」について語られます。
マタイ16:19: 「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
「鍵」とは何か
天の御国の鍵とは、主イエスの御名の権威のことです。
マタイ28:18: 「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』」
主イエスは、すべての権威を持っておられます。そして、その権威を使う代理権が、信じる者に与えられているのです。
「つなぐ」と「解く」の意味
ギリシャ語:
- つなぐ:δέω(デオー)=縛る、禁じる
- 解く:λύω(リュオー)=解放する、許す
これはラビたちが使っていた法的用語で:
- つなぐ=禁じる、罪に定める、閉じる
- 解く=許す、解放する、開く
実践的な意味
信者には、イエスの御名の権威によって、霊的な領域で宣言する代理権が与えられています:
閉じるもの(つなぐ):
- 罪の支配
- サタンの働き
- 暗闇の力
- 病の束縛
開くもの(解く):
- 祝福
- 癒し
- 解放
- 神の恵み
主の御名の力
旧約聖書では、神の御名は様々な表現で現されています:
- ヤハウェ・ロイ(יְהֶוה רֹעִי / 羊飼いなる主)詩篇23:1
- ヤハウェ・イルエ(יְהֶוה יִרְאֶה / 備え主)創世記22:14
- ヤハウェ・ラファ(יְהֶוה רָפָא / いやし主)出エジプト15:26
- ヤハウェ・シャローム(יְהֶוה שָׁלוֹם / 平和の主)士師記6:24
- ヤハウェ・ニシ(יְהֶוה נִסִּי / 勝利の旗)出エジプト17:15-16
- ヤハウェ・ツェデク(יְהֶוה צֶדֶק / 義なる主)エレミヤ23:5-6
これらの主の御名が、イエス様によって現実のものとなるために、イエスの御名には権威と力が伴っているのです。
私たちの特権
ヨハネ14:13-14: 「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」
使徒の働き3:6(ペテロの宣言): 「ペテロは言った。『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。』」
信じる者は:
- イエスの御名で祈る特権
- イエスの御名で宣言する権威
- イエスの御名で働く力
これが、天の御国の鍵です。
💡 もっと深く学びたい方へ
「天の御国の鍵」と「主の御名の権威」について、さらに深く学びたい方には、新宿シャローム教会が作成した素晴らしい資料があります。
📖 資料名:「主の御名とは」
✝️ 発行:新宿シャローム教会
📝 内容:
- 主の御名の原語(ヘブライ語・ギリシャ語)の解説
- ヤハウェとアドナイの違い
- 聖書に登場する40以上の主の御名とその意味
- 御名で祈る実践的ガイド
- イエス・キリストの御名に込められた権威と力
この資料には、ヘブライ語の聖四文字(יהוה)の深い意味や、40以上の主の御名が美しいデザインでまとめられています。主の御名で祈る実践をさらに深めたい方に、心からお勧めします。
※この資料は新宿シャローム教会のウェブサイトで公開されています。
疑問7:「ここに立っている人々の中には…決して死を味わわない人々がいます」とはどういう意味か?(マタイ16:28)
疑問の内容
マタイ16:28で、イエスがこう言われます:
「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」
しかし、あの時代の人々は全員死んだはずです。イエスの言葉は成就しなかったのでしょうか?それとも何か意味があるのでしょうか?
解説:理解のカギは「御国」の多層的意味
この御言葉を理解するカギは、「御国」の多層的意味です。
神の国の三つの側面
- 既に来た(inaugural):
- イエスの初臨
- 特に変貌山の出来事
- 今も来つつある(progressive):
- 教会時代
- 聖霊の働き
- まだ来ていない(consummative):
- 再臨
- 完成された御国
最も有力な解釈:変貌山の出来事
イエスの言葉は1番目(既に来た)を指している可能性が最も高いです。
証拠
マタイ17:1-2(すぐ次の章): 「六日後、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で、御姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。」
注目点:
- 直接的な文脈のつながり(「六日後」)
- ペテロ、ヤコブ、ヨハネが栄光のキリストを見た
- これが「御国の前味」
ペテロ自身の証言
第二ペテロ1:16-18: 「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。…私たちが、聖なる山で主イエスとともにいたとき、親しくこの御声を聞いたのです。」
ペテロは、変貌山での経験を「威光の目撃者」と呼んでいます。
他の解釈の可能性
ペンテコステ(聖霊降臨)
- 使徒の働き2章
- 「神の国が力をもって来る」(マルコ9:1)
- 使徒たちは生きてこれを経験した
エルサレム崩壊(AD70年)
- キリストの裁きの権威が現された
- 一部の弟子たちは生きてこれを見た
神学的意味:終末論的緊張
より深い洞察として、終末論的緊張(already but not yet)があります:
- 御国は既に始まっている(ペンテコステ)
- しかし完成はまだ(再臨まで)
- 私たちは両方の間に生きている
これが教会の使命を理解するカギです。私たちは:
- 完成された御国を待ち望みつつ
- 今も来つつある御国を宣べ伝え
- 御国の価値観を今ここで生きる
結論:すべてをつなぐ一つのテーマ
今日取り上げた7つの疑問は、どれも「聖書通読で実際に出会う疑問」です。
これらの疑問に答えることで:
- 聖書の背景がより立体的に見える
- 神の贖いの計画の一貫性と奥深さが理解できる
- 神学的な深さと実践的な適用がつながる
そして、これらの箇所から見えてくる一つの大きなテーマがあります:
- ロトの娘たちの恥ずべき行為からメシアの系図
- 異邦人ルツがダビデの曾祖母
- ハンナの個人的な祈りが民族の転換点
- イエスの宣教はユダヤ人と異邦人の両方へ
神の贖いの計画は、人間の失敗や限界を超えて進んでいく
そして、この真理は私たち一人ひとりにも当てはまります。
謝辞
本記事の「天の御国の鍵」の解説にあたり、新宿シャローム教会の資料「主の御名とは」を参考にさせていただきました。主の御名について、聖書的かつ実践的な理解を深めることができる素晴らしい資料です。新宿シャローム教会の働きに心から感謝いたします。
【次回予告】「自分は大したことない」と思うあなたへ
今日の通読箇所から、私たちは一つの大きなテーマを見てきました:
神の贖いの計画は、人間の失敗や限界を超えて進んでいく
では、「自分は大したことない」と感じるあなたは、どうでしょうか?
続きの記事では、神の目から見たあなたの価値を、聖書から詳しく見ていきます。
次回の内容:
- なぜ「自分は大したことない」と感じるのか?その思いの正体
- 聖書は、あなたの価値について何と言っているのか?
- エペソ1:4-6、詩篇139篇、ヨハネ15章から見る、神の目線
- 「主につながる」とは、具体的にどういうことか?
- ギデオン、ダビデ、ペテロ、パウロ…神が用いた「大したことない」人たち
- 今日から何が変わるのか?実践的な適用
あなたが知るべき、最も大切な真理を分かち合います。
[続きの記事「『自分は大したことない』と思うあなたへ:神の目から見たあなたの価値」はこちら] 👇
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