―歴史が証明する預言の確実性―
目次
今日の通読箇所から
今日の通読箇所は、創世記46章1-27節、第二列王記23-24章、マルコ13章24-37節です。今日の箇所も盛りだくさんなので、①②に投稿を分けました。
創世記46章では、ヤコブの家族70人がエジプトへ下る場面が記されています。「70」という数字は聖書において象徴的な意味を持ちます。後にイスラエルの長老70人が選ばれ(民数記11:16)、サンヘドリンは70人で構成され、イエス様も70人を遣わされました(ルカ10:1)。この数字は「完全な国民的代表」を示しています。たった70人から始まった民が、出エジプトの時には数百万人になりました。
また、神はヤコブを「ヤコブよ、ヤコブよ」と名指しで呼ばれました(創世記46:2)。これは聖書の中で特別な呼びかけのパターンです。「アブラハムよ、アブラハムよ」(創世記22:11)、「モーセよ、モーセよ」(出エジプト3:4)、「サムエルよ、サムエルよ」(Ⅰサムエル3:10)、「サウロ、サウロ」(使徒9:4)。神は大切な転換点で、人を名指しで呼ばれるのです。
そして第二列王記23章では、約300年前に「ヨシヤ」と名指しで預言された王が、まさにその預言通りのことを行う場面が記されています。今日は特に、この「神が名指しで呼ぶ」というテーマに焦点を当て、聖書に記された驚くべき預言の成就について考えてみたいと思います。
ヨシヤ王の預言成就
第二列王記23章16節に、驚くべき記述があります。
「ヨシヤが向き直ると、山の中に墓があるのが見えた。そこで彼は人をやってその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとした。かつて、神の人がこのことを預言して呼ばわった主のことばのとおりであった。」
この「神の人」とは、約300年前にベテルで預言した人物です。列王記第一13章2節にその預言が記録されています。
「見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをおまえの上でいけにえとしてささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる」
まだ生まれていない人物の名前を、300年も前に具体的に語る。これは人間にできることではありません。歴史を支配される神だけが可能なことです。
名指し・地名で語られた預言
聖書には、人名や地名を具体的に挙げて、数百年後の出来事を預言している箇所がいくつかあります。
1. ヨシヤ(人名)―約300年前の預言
- 預言箇所:列王記第一13:2
- 預言時期:紀元前930年頃(ヤロブアム王の時代)
- 成就時期:紀元前622年頃
- 内容:ダビデの家から「ヨシヤ」という名の王が生まれ、偶像礼拝の祭司たちを裁く
2. クロス(人名)―約150年前の預言
- 預言箇所:イザヤ44:28-45:1
- 預言時期:紀元前700年頃
- 成就時期:紀元前538年
- 内容:ペルシャ王「クロス」が神殿再建を命じる。異邦人でありながら「油そそがれた者(メシア)」と呼ばれた
「わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望むことをみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。」(イザヤ44:28-45:1)
3. ベツレヘム(地名)―約700年前の預言
- 預言箇所:ミカ5:2
- 預言時期:紀元前700年頃
- 成就時期:紀元前4年頃(イエス・キリストの誕生)
- 内容:小さな町ベツレヘムから、イスラエルの支配者(メシア)が生まれる
「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ5:2)
「永遠の昔からの定め」という表現は、この方が単なる人間の王ではなく、永遠の存在であることを示唆しています。
メシア預言―旧約聖書が指し示すイエス・キリスト
ベツレヘムの預言だけでなく、旧約聖書にはメシア(救い主)に関する多くの預言があり、それらはすべてイエス・キリストにおいて成就しました。
イザヤ53章―苦難のしもべ
この箇所は、ユダヤ教の中でも「最も議論を避けられてきた章」と言われています。なぜなら、あまりにも明確に十字架のイエス様を描いているからです。
「彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)
これはイエス様の十字架の約700年前に書かれた言葉です。現代でも、メシアニック・ジュー(イエスをメシアと信じるユダヤ人)の多くが、このイザヤ53章を読んで回心したと証ししています。
詩篇22篇―十字架の描写
ダビデが書いたこの詩篇には、驚くべき描写があります。
「犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り囲み、私の手足を刺し通した。」(詩篇22:16)
当時のイスラエルの処刑方法は石打ちでした。「手足を刺し通す」という処刑法は、後にローマ帝国が用いた十字架刑です。十字架刑が発明される数百年前に、ダビデはこれを記しました。
その他の主要なメシア預言
- 処女から生まれる:イザヤ7:14 → マタイ1:23で成就
- ろばに乗って入城:ゼカリヤ9:9 → マタイ21:5で成就
- 銀30枚で売られる:ゼカリヤ11:12-13 → マタイ26:15で成就
- 骨は一本も折られない:詩篇34:20 → ヨハネ19:36で成就
- 衣服をくじで分ける:詩篇22:18 → マタイ27:35で成就
- 墓は金持ちとともに:イザヤ53:9 → マタイ27:57-60で成就
- 復活:詩篇16:10 → 使徒2:31で成就
世界の支配者たちの虚しさ
アレクサンドロス大王とクロスの墓
紀元前330年頃、世界を征服したアレクサンドロス大王は、ペルシャのパサルガダエにあるクロス王の墓を訪れました。
しかし、そこにあったのは荒らされた墓でした。宝物は盗まれ、遺体も損傷していたと伝えられています。墓碑銘にはこう刻まれていたとされます。
「旅人よ、私はクロス。ペルシャ人に帝国を与え、アジアを支配した。だから、この墓を妬むな。」
世界を支配した者も、最後は小さな墓に収まる。その墓さえも荒らされる。これが人間の栄光の結末です。
ネブカデネザルの経験と回復
バビロン帝国を築いたネブカデネザル王は、高慢のゆえに神の裁きを受け、7年間獣のように過ごしました(ダニエル4章)。
「彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、その身は天の露にぬれて、ついに彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。」(ダニエル4:33)
しかし彼は、天を仰ぎ見た時に回復しました。そして神を賛美する告白をしています。
「今、私ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者を低くすることのおできになる方である。」(ダニエル4:37)
ナポレオンの告白―「力の帝国」と「愛の王国」
時代は下り、19世紀。ヨーロッパを席巻した英雄ナポレオン・ボナパルトは、セントヘレナ島に流刑となった晩年、驚くべき信仰告白を残しました。
「ローマの皇帝カイザルもアレキサンダー大王も忘れられてしまった。私とて同様である。これが、大ナポレオンと崇められた私の最後である。
イエス・キリストの永遠の支配と、大ナポレオンと呼ばれた私の間には、大きな深い隔たりがある。キリストは愛され、キリストは礼拝され、キリストへの信仰と献身は、全世界を包んでいる。これを、死んでしまったキリストと呼ぶことが出来ようか。
イエス・キリストは、永遠の生ける神であることの証明である。私ナポレオンは、力の上に帝国を築こうとして失敗した。イエス・キリストは、愛の上に彼の王国を打ち立てている。」
(シカゴ大学図書館所蔵・ナポレオンの遺書より抜粋)
これは、ソロモンが伝道者の書で語った「空の空。すべては空。」という結論と響き合います。世界を征服した者たちが最後にたどり着いたのは、同じ虚しさでした。しかしナポレオンは、その虚しさの中でキリストを見出したのです。
名指しで呼ばれた罪人―ザアカイ
ここまで見てきた「名指しで呼ばれた人々」は、歴史を動かす王や指導者たちでした。しかし、イエス様は別の人物も名指しで呼ばれました。
「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』」(ルカ19:5)
ザアカイは取税人のかしらで、金持ちでしたが、社会からは嫌われ者でした。背が低かったので、群衆に遮られてイエス様を見ることができず、いちじく桑の木に登っていました。
その彼を、イエス様は群衆の中から見つけ出し、名前を呼んでくださったのです。
ヨシヤやクロスのような歴史を動かす王たちだけでなく、社会から排除された一人の罪人の名前も、神は知っておられました。
イエス様はこう言われました。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)
これは私たちへの励ましです。神は「小さい者」を見ておられます。神は「罪人」を探しておられます。神は「あなたの名前」を知っておられます。そして神は「今日」あなたを招いておられるのです。
すべてが指し示す先―復活のキリスト
クロスの墓は荒らされていました。ナポレオンの墓はパリに壮麗に安置されていますが、彼自身は「これが大ナポレオンの最後である」と虚しさを告白しました。
しかし、イエス・キリストの墓は空っぽです。それは荒らされたからではありません。復活されたからです。
ナポレオンが見抜いた通りです。「これを、死んでしまったキリストと呼ぶことが出来ようか。イエス・キリストは、永遠の生ける神であることの証明である。」
すべての名指しの預言、すべてのメシア預言、そして世界の支配者たちの虚しさ。これらすべてが指し示す先に、復活のキリストがおられます。
結論:預言の確実性が示す未来
ヨシヤの預言は300年後に成就しました。クロスの預言は150年後に成就しました。ベツレヘムの預言は700年後に成就しました。メシアに関する数百の預言は、すべてイエス・キリストにおいて成就しました。
これらが100%成就しているなら、まだ成就していない預言も必ず成就します。
聖書には、終末に関する預言も数多くあります。エゼキエル38-39章に記された「ゴグとマゴグの戦い」もその一つです。過去の預言の確実な成就は、未来の預言の確実な成就を保証しています。
イザヤ46:9-10でこう語られています。
「わたしは神である。わたしのほかに神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。」
歴史を支配される神は、あなたの名前も知っておられます。イザヤ43:1にこうあります。
「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」
ヨシヤやクロスを名指しで呼ばれた神は、あなたをも名指しで呼んでおられます。その招きに応答する時、あなたの人生に神のご計画が成就し始めるのです。
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