聖書の名言 ヨハネの福音書:証人 使命
聖書の名言集 ヨハネの福音書から、神に遣わされ証人の使命を見ていきたいと思います。すみませんその前に、私は、ヘブライ語にとても魅力を感じるのですが、読み書きしたり、イスラエルの方と話せるだけのヘブライ語力があるわけではありません。ネットでヘ...
ヨハネの福音書 前回からの続きです
再びイエス様について語っています。
目次
①聖書の名言 ヨハネの福音書:闇に対して圧倒的に勝利する光が世に来た
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
(ヨハネ1:9)
友喜
ヨハネの福音書には、ほかの共観福音書(マタイ、マルコ、ルカの福音書)と違ってイエス様がお生まれになった時の話は出てきませんが、
この説は、まさにイエス様がこの地にお生まれになったことを語っています。
ここは、
どんな境遇の人をも照らす真の光、完全な光であられる主イエスが、
肉体を持つ人として処女マリアからお生まれになったことを意味しています。
ですが、ヨハネの福音書では、処女から生まれた奇跡は書かれていなくて、ただ世に来られたとだけ記しています。
この光が人の何を照らすとは記してないのですが、光なので暗闇を照らす光には違いないです。
この光は圧倒的に闇に打ち勝つ光です。
真っ暗闇でドアのカギを開けようとした時、
手探りでは、なかなか開けられません。ふと思い出して携帯のライトを当てると、
直ぐに方向が分かり開けることが出来ました。
光があれば道に迷いません。
微妙に上辺を美化された人の世の、汚れや偽りを判断できます。
自分の心に闇がある為、今まで見えなかった自分の罪を光が来ると示され、
何が正しく、み心の道なのかを悟らせる光。
失ったもの、探し求めていたものを正しく見出す光。
まさしく希望の光、神様の存在を悟らせてくださる
もっと深く神の奥義、真理を悟る、
神を知る為の知恵と啓示の光を感謝します。
あなたは嘘をつかれて不快な思いをしたことはありますか?
誤解され、偽証され、謝罪されず、
嘘に嘘をばらまかれ、人に信じてもらえず、
悔しい思いをされたことはありませんか?
私はあります。(*_*; 中学時代のことです。
イヤイヤ・・・中学時代って・・・ずいぶん昔のことをまだ根に持っているの?
って言われそうなのですが、はい、実はそうでした。・・・(#^^#)
私は、結構忘れないタイプのようです。
「授業に必要な問題集を持ってくるのを忘れたから貸してほしい」
と同級生に言われ貸してあげたのですが、その後返してくれないので、
返してほしいことを伝えると、
「私は借りてない」と言って、後日母親まで学校に連れて来て、
泣きながら私は嘘をついていないと言い切られて・・・
私の方が先生に信じてもらえず、
「もしも、貸したのなら、貸した方が悪い」と言われ、
問題集は戻って来ませんでした。
嘘を他人に信じ込ませる人は、嘘を嘘じゃないと信じているみたいです。
信じられないのですが、嘘をつく人は、
自分が嘘をついていないと堅く信じて「嘘をついていない」と
思い込んでいるように見えたことはありませんか?
いいえ分かりませんよね。・・・
そうそう、こんな経験ないでしょうから・・・
嘘をつく人とは、出来る限り近づきたくない存在ですが、
生きているといろんなことがあるものです。
しかし
主イエスは一つも罪を犯されなかったのに、
あからさまに偽証され、ありもしないことで訴えられて
侮られ、唾はかれて、叩かれて、
先のとがった鞭で、肉に食い込むほど何度も鞭うたれました。
挙句の果てには、十字架にかかられ馬頭されながら死なれました。
主が苦しみに耐えられたのは、私達の為でした。この私の為でした。
イエス様の背中から流された血は、すべての病と弱さを滅ぼす聖い血です。
この血は、完全な癒しの血です。
主イエスの流された良いことを語る血は一つの事しか語りません。
「癒される」と
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
イザヤ53:5
彼への懲らしめが私達に平安を与え、
彼への打ち傷によって私たちは癒されたことを感謝します。
今でも理不尽な目に合うと、正直・・あの時の悔しい思いをふと思い出します。
でもその倍も三倍も、主イエスの愛を思い出します。
感謝します。心が癒されました。
理不尽なこと、失礼なことをされて、馬鹿にされたと思い、自分に価値がないと思える時。
とっておきの方法があります。
イザヤ43章4節のみ言葉を繰り返し宣言します
あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、
わたしはあなたを愛するがゆえに、
イザヤ43:4
そして、マタイです
また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
マタイ3:17
実際、私達はこの世に生きている限り罪を犯します。
嫌な思いをさせられたら、正直ムッと来ます。
それなのに、気づかずに人に嫌な思いをさせていることもあります。
しかし、そんな私を神様は義と認めてくださいます。
イエス様と心が一つになっているなら、神の義により頼んで
主イエスの十字架の贖いを受け入れ信じているなら、
天の神様はイエス様の血潮で覆われた私を見てくださるので、
イエス様に覆われているので、
私の愛する子と呼んでくださいます。
遊園地で出会う、着ぐるみキャラクターの中は、
汗だくでもしかしたら、強面のお兄さんかも知れません。
しかし、中身は見えない子どもたちは着ぐるみを見て喜んで近寄ります。
そのように神様はイエス様の十字架の血潮に覆われた私達を見てくださいます。
それですので、私も正直に生きていきたいと思います。
人を軽んじたり、自分に有利な真っ赤でなくても、
ピンク色の嘘をついて相手に不利な噂をばらまいたりしたくありません。
その人は、神様に愛されている、神の子どもなのですから。
不快な思いを経験したなら、その分 光が差し込んで、
どんな時に人は不快な思いになるかを知り、
人の心を傷つけるという罪を犯さないようにしたいと思えます。
正しいアイデンティティの回復には先ほど紹介した・・
イザヤ43:4 と マタイ3:17 です
これは特効薬です。
高慢になってはいけないですが、いたずらに卑下する必要はありません。
なんて言ったって、この天と地を造られた
この世界の王の王、主の主、神であられる主が、私たちの天のお父様が
これは私の愛する子
あなたは高価で尊い私はあなたを愛しているとおっしゃってくださっているのですから。
これほど心強いものはありません。
そして、
罪を犯さない人は一人もいません。
主イエスが私を赦されたのだから、私も私に罪を犯す人を赦そうと思えます。
光の中を愛する主イエスと共に歩みたいです。
これは良きおとずれです。
わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
第一ヨハネ1:5
神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
第一ヨハネ1:6
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
第一ヨハネ1:7
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
第一ヨハネ1:8
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
第一ヨハネ1:9
もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
第一ヨハネ1:10
神様が聖いと言われる人とは、見た目に清らかな人のことをのではなく、
神の前に自分の正しい身分を知っている人のことを言います。
神様の前に、イエス様の十字架の贖いの故に、
愛されている存在だということを忘れないことです。
自分が悪いことをしていないのなら、どんなに恥をかかされても
恥じ入ることはありません。
神の御子であられる主イエスですら、ひどく恥をかかされました。
真実を知っておられる神にお任せすればいいです。
大丈夫です、神様はすべてご存じですから。
誤解され偽証され、真実がこの世で生きている間に明かされなかったとしても、
携挙または、再臨の時、または天に召された日には、
神様は誤解されずにしっかりそばにいてくださって、
見てくださっていたことを私たちは知るでしょう。
み恵みの深きこと ついに悟りえん、この世にて、喜びを極め得ずとも、いよいよながそばに、我を引き寄せいよいよ主よ、なが愛の、広さ知らせよ。
聖歌629番
アーメン この聖歌励まされます。
16:2人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、
しかし主は人の魂をはかられる。
箴言16:2
主のみ前に出る時に、
嘘をついたり、誤解していた人は恥じ入るでしょう。
反対に自分が嘘をついていたら、自分が恥じ入ります。
そうはなりたくないです。
神様は、偽りの神ではなく、真実で、誤解ない、真の光であることを感謝します。
暗いところが一つもない方であることを感謝します。
私も、偽証され真実を訴えても信じてもらえず、悔しい思いをしたことがあります。
理不尽な思いをしたこともあります。
でも すべてをご存じの神様がおられることを知っていることは感謝なことです。
そして、誤解され偽証される私たちの苦しみを分かってくださる
主イエスが側におられるということは、なんて幸いな事でしょうか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
ヘブル4:15
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
ヘブル4:16
主イエスが分かってくださっている。
主イエスがともにいてくださる、このことの方が私には重要です。
嘘をつく人とはできる限り関わりたくありませんが、
主イエスとは深く、ずっと関わっていただきたいです。
主イエスにも私とずっと関わりたいと思っていただきたいです。
どんな小さなことでも、聴いていただけます。
ですが、もしもみ心にかなって、
神様が誤解を解く機会を与えてくださるなら、
神様に誤解を解いていただこうと思います。
あなたのなすべき事を主にゆだねよ、
そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。
箴言16:3
それにしても、主イエスを知っているということは何と幸せな事なのでしょう。
今 これを書いていて、ひしひしと幸せを感じています。
闇から光へ (ノア)
コメント