聖書の名言 聖書とは?内容は、創造論と進化論
どちらも論ですから、つまるところ信じるか否かです。
頭を柔らかくして、世の常識、先入観に囚われないで、
世の教育、常識に自分の命の選択を丸投げしないで、よくよく考えてみると・・・
猿人が500万年前にたまたま偶然に出現して、たまたま進化して人間になったのでしょうか?
定説の否定から新たな地を切り開いて進歩してきたのが科学なので、
日本では当たり前に進化論が常識ですが、常識を疑ってみることも科学的なことですよね。
目次
①聖書の名言 創造論、進化論 論なので信じるか否かです。
それも猿人が出現した年代はどんどん古くなって、近頃では700万年前と言われています。
進化論も、論です。 つまるところ信じるか信じないかということです。
それが700万年前のものだと、なにで根拠づけるのか?
地質年代はどうして決められたのか?
福井県勝山市の恐竜博物館です。
個人的に考古学に興味があるので二回訪れているのですが、
また行きたいと思っています。広くてかなり歩けるので、体にもよさそうです。
恐竜博物館のホームページにも説明されているのですが、
鉱物中の放射性同位体の量を測定して、その結果を基に年代を計算で(放射年代測定)で
なぜ確定できるのか?
その化石と共に自らも生きて実証したわけではないのに・・・と。
なぜわかるのか私には意味不明です。
疑問を感じること自体は、個人の自由ですよね。
素朴な疑問として心の引き出しにあります。
同じように、神様がいつからおられるのかも、分かりません。
創造論も根拠のつけようがありません。
つまるところ、聖書で語られる神も信じるか信じないかの選択になると思います。
教科書が常識の、一般的な日本人には、
驚きの発言に聞こえるでしょうけれども、創造論を信じている者がいます。
その一人が私です。
神が本当におられて、神が創造主だと知った時、
今まで当たり前に思っていた常識に疑問が出てきました。
たとえば、
ある種から他の種への転化を助けた証拠の不確実性、
経験の証拠のなさや、創造論的前提を否定できる土台のなさから
創造論を堅く信じることは非科学的ではないのだなと思いました。
また、ニュートン、パスツール、メンデル、パスカル、
ケルヴィン、リンネ、マクスウエルはみな創造論者です。
ちなみに、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の方たちによって
アメリカでは約40%が創造論を信じています。日本人は1%くらいだと思ったのですが。
日本で進化論を信じている方は80% 20%は分からないか信じない方のようです。
なんだ結構多いのだと知ったことは、意外でした。
②進化論で教育された日本の大学受験では、世界史のテストでの正解は
人類は約、500万年前に新しくは700万年前に猿人現れ 礫石器が使われていました。
↓
原人(代表的には北京原人)火を使用していました。
↓
旧人 ネアンデルタール人 死者を埋葬をするようになりました。
↓
新人と言われるクロマニオン人 細石器、骨角器 洞穴壁画があり、
この辺りから
氷河時代の地質年代である更新世から温暖化により完新世になり、
磨製石器が使われる。新石器時代に移り変わる。
その頃 農耕・牧畜が始まったけれど、
まだ雨水に頼る完治農法と土地の養分を使い切る略奪農法でしたね。
ヤギ・羊・牛の飼育が始まり、灌漑農業が始まったころから生産性が増大しました。
灌漑農業の大規模工事にはリーダーが必要になって、権力、富の集中があり
階級が生まれ、神と呼ばれる人が支配権を持った為、
「神」がここで初めて生まれる
神殿中心の都市国家、四大文明が生まれる。
と・・学校では学び、そう信じていたのですが・・・
今は違います。
③私は現在、聖書の創造論を信じています。
はじめに神は天と地とを創造された。
(創世記1:1)
権力や文明よりも先に神がおられました。
まして、
権力を握った人間が神と呼ばれ、人が神になったわけではありません。
私は偶然ここにあって、
生き抜くために勝ち抜いく過当競争をしなければならないのではなく、
愛の神が私達を創造してくださり、神の愛あるご計画の中に生かされていると知った時、
懐かしい我が家に帰ったように、平安に満たされました。
私達は神に愛されている、愛されて生まれてきました。
④主イエスも初めに神とともにおられました。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
(ヨハネ1:1)
ことばなる方、イエス様も神とともに初めからおられました。
この世の初めから、そして、神が人類を創造されたアダム、ノアの時代から数えると
現在は6000年紀です。
たった6000年しかたっていなかったのですね。
安藤和子 理学博士は言われます
↓
愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
(第二ペテロ3:8)
この個所なのですが、
(1)聖書の記述からの詳細な検討
①「御言葉の解釈は御言葉で」という大義名分に立って、Ⅱペテロ3:8がいつも引用・・悪用されて「一日一時代説」を根拠としてこの説の正しさを主張されています。しかし、「一日は千年のように」という聖句Ⅱペテロ3:8はどのような文脈で述べられているのか、簡単に見てみましょう。これは、創造週の日のことを説明しているのではないのです。下に引用した聖句で分かるように、「終末のさばきの日は一体いつになれば来るのか」という問いに対する答えとして書かれているもので、主は一人でも滅びないように忍耐しておられると述べているのです。
一人も滅びないように神が耐えられている日々は、神にとっては一日は千年のようであり、千年は一日のようだということです。
一日が千年のような永い永い忍耐の時、されど、神様の目には希望の日が来るのが一日のようだと、
もう一日、もう一日、もう一日・・・待つぞ! 一人も滅びるな!というみ心だと私も思います。
人間なら、この人が回心するなんて無理だろうな・・と勝手に考えてしまうところ
人間の思いをはるかに超えた確固たる愛と希望が神に宿っているからなのだと思います。
なにしろ、この私が回心して、神を信じたのですから、奇跡です。
そして、以下の言葉に続きます。恐れおののいて救いの達成に努めたいと思います。
3:9ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 3:10しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 3:11このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、 3:12極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。 3:13しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
ヘテロ第二3:9-13
⑤創世記1章1節:とっておきのユーチューブを紹介します。
はじめに神は天と地とを創造された。
創世記1:1
2021年4月11日新宿シャローム教会第三礼拝で
創世記1章1節のヘブライ語の解説がありました。
他にも深いところを天才的な解説力で語られています。
今私が知りたかったことばかりで、この動画に出会えたことを
神様に心から感謝しました。
それですので、あなたにも分かち合いたいと思います。
とても興味深く学べるだけでなく、神様の深い愛を感じるメッセージです。
心の目を主イエスに向けることが出来、とても勇気づけられました。
賛美も素晴らしいので、ゆっくりできる時に、すべてを観ていただきたいて
一緒に賛美し祈り礼拝されたら、素晴らしいと思うのですが、
どうしても忙しい方は42分あたりから見ていただくといいです。
私はこの日、入院中で病室にいて時間を持て余していましたから、
ゆっくり聞けました、感謝します。
在籍している教会のメッセージも、このようなネットの礼拝でのメッセージも
どれも忘れたくないのですが、どんどん私の記憶からなくなっていくことが悲しいです。
忘れたくないメッセージだったので、ノートに図解しました。
メッセージを聞いてからノートを見ると、とさらに頭に入りました。
illustratorで綺麗に書き直したかったのですが、
これだけのことを見やすく絵にするには力不足で、
時間が異常にかかりすぎる為、今回はノートを写メしました。
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ヘブライ語って不思議で、魅力的な言語です。
メッセージの中でも、
黙示録に主イエスは燭台(メノラー)の真ん中を歩いておられたとありますね。
エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。
時代の真中に主イエスは人としてお生まれになりました。
また、燭台(メノラー)は教会を表すので、
教会の真中を主イエスは歩いておられるのですね。
私達の礼拝を見ておられる。教会の中をよく見ておられる。
神の宮である私たち自身の真ん中に、王として主イエスが座してくださいますように。
主イエスを苦しませたくないです。
今、教会は揺り動かしの中にあって苦しい局面を迎えているかもしれません。
なぜ?と言いたくなる分からないことは沢山、沢山・・・あります。
しかし、主は人の正しさではなく心の値打ちをはかられ、
外見ではなく、心を見られる方であることを感謝します。
人の道は自分の目には正しく見える、
しかし主は人の心をはかられる。
箴言21:2
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。
サムエル第一16:7
主イエスを信頼して私の心の真ん中にお迎えします。
主イエスの愛の戒めを守って生きていきたいと思います。
主が来られる日まで諦めずに、十字架を仰ぎます。聖霊様助け導いてください。
主イエスにしっかり繋がって、豊かな実を結ぶことが出来ますように。
アーメン \(^o^)/
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