―― 80歳の忠実
法律が祈りを禁じても、彼は窓を閉めなかった
「80歳を超えても、日課の祈りをやめなかった人がいます。しかも、それが法律で禁じられた後にです。あなたなら、その祈りを一日だけ隠せますか?」
第一部 状況説明
時代はネブカデネザルの孫の代を経て、メド・ペルシャの王ダレイオスの治世に移っていました。ダレイオスは広大な国を治めるため、120人の太守(地方長官)を置き、その上にさらに3人の大臣を立てて全体を監督させます。ダニエルはその3人のうちの一人でした。
ここで見落とされがちなのが、この時すでにダニエルは80歳前後になっていたという点です。若き日にバビロンへ捕囚として連れて来られてから数えれば、実に60年近く異国の地で仕え続けてきたことになります。しかも王は、他の大臣や太守たちよりもダニエルに優れた霊が宿っていることを認め、彼一人に全国を任せようとしていました。
これが、周囲の嫉妬に火をつけます。大臣たちと太守たちは、ダニエルを失脚させる口実を探し始めました。しかし——
彼が忠信な人であって、その身になんのあやまちも、とがも見いだされなかったからである。(ダニエル書6:4)
長年の職務に、あやまちひとつ見つけられない。これがダニエルという人物です。そこで彼らがたどり着いた結論は一つでした。「彼の信じている神」を使うしかない、と。
第二部 策略と禁令

大臣たちと太守たちは、ある策を思いつきます。ダニエルの職務にどれだけ目を光らせても、あやまちは見つからない。ならば、彼の生き方そのもの——神への礼拝——を、禁令によって罪に変えてしまえばいい。
彼らは王のもとに集まり、こう進言しました。今から30日間、王以外のどんな神にも人にも願い事をしてはならない、それに背く者は獅子の穴に投げ込む、という禁令を出してください、と。しかも、それをメディアとペルシャの法律として、変更できない形で制定してほしい、と付け加えます。
ここに、この物語の緊張感を作っている重要な仕掛けがあります。かつてネブカデネザルの時代であれば、王自身が絶対の法でした。王が翻意すれば、それで終わりです。しかし今はダレイオスの治世であり、王が署名した法律は、王自身にも取り消せない制度になっていました。大臣たちはこの制度上の隙を、正確に突いてきたのです。
王はこの提案の裏にある思惑に気づかないまま、禁令の文書に署名してしまいます。
ダニエルは、この禁令が制定されたことを知りました。策略であることも、恐らく察していたはずです。それでも彼が取った行動は——
ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。(ダニエル書6:10)
いつもと同じ場所で、いつもと同じ回数、いつもと同じ姿勢で。何も変えなかったのです。
第三部 告発とダレイオスの苦悩

大臣たちは、まさにこの瞬間を待っていました。申し合わせてダニエルの家に向かい、いつもの時刻、いつもの窓辺で祈る姿を確認します。証拠は揃いました。彼らは王の前に進み出て言います。
「王よ、あなたは30日間、王以外に願い事をする者を獅子の穴に投げ込むと定められたではありませんか。ところが、ユダから連れてこられた捕囚の一人であるダニエルは、あなたにも、あなたの署名された禁令にも従わず、一日に三度祈りをささげています」。
「ユダから引いてきた捕囚のひとり」——この呼び方に、彼らの本音が透けて見えます。国の柱石として仕えてきた60年近くの働きを、彼らは一言で「よそ者」に還元しているのです。
この報告を聞いたダレイオスは、大いに憂えました。ダニエルを救い出そうと、日が沈むまで手を尽くします。しかし大臣たちは容赦なく詰め寄りました。「王よ、メディアとペルシャの法律では、王の立てた禁令を変えることはできません」。
王は、自分自身が署名した法律によって、自分自身の手が縛られていることを思い知らされます。ついに命令を下さざるを得なくなり、ダニエルが獅子の穴に投げ込まれる、その時に王が口にした言葉が残されています。
「どうか、あなたの常に仕える神が、あなたを救われるように」。(ダニエル書6:16)
異教の王の口から出た、この一言。策略にはめられた無力さと、それでもなお一縷の望みをかける姿が、この短い言葉に凝縮されています。
穴の口には石が置かれ、王自身の印と大臣たちの印で封印されました。ダレイオスはその夜、食事もとらず、誰も呼び寄せず、一睡もせずに朝を待ちました。
第四部 救出、そして残されたもの
夜明け前、ダレイオスは急いで獅子の穴へと向かいました。そして、悲しみを抑えきれない声で呼びかけます。
「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神は、あなたを救って、しし害を免れさせることができたか」。
穴の奥から、応える声がありました。
「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです」。(ダニエル書6:21-22)
注目したいのは、ダニエルが真っ先に口にしたのが、自分の無事ではなく王への祝福の言葉だったという点です。一晩を獅子と過ごした人間が、まず語ったのは相手への配慮でした。
ダニエルは何の傷も負わずに引き上げられます。理由は明確に記されています。「彼が自分の神を頼みとしていたからである」。そして王は命令を下し、ダニエルを陥れた大臣たちとその家族を、今度は彼ら自身が獅子の穴に投げ込ませました。獅子は穴の底に着く前に、彼らに飛びかかったといいます。
ダレイオスはこの出来事の後、全土に詔を送ります。
「彼は生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅びず、その主権は終りまで続く」。(ダニエル書6:26)
異教の大帝国の王が、一人の捕囚の神を「生ける神」と公に宣言した瞬間です。
ダニエルは少年の頃、王の食物を拒んだ時から、老年に至るまで、信仰の質が変わっていません。80歳を過ぎてなお、忙しい国務の合間を縫って窓を開け、ひざをかがめる。この一貫性こそが、彼が「あやまちを見出せない人」であり続けた理由でした。
わたしたちの日常にも、変えないことを試される瞬間があります。それは獅子の穴のように劇的ではないかもしれません。忙しさ、周囲の目、あるいは小さな妥協の積み重ねという、もっと静かな形で訪れます。ダニエルの物語が教えてくれるのは、劇的な奇跡そのものよりも、奇跡が起こる前から変わらなかった、あの毎日の姿勢の方なのかもしれません。
聖書引用について/本記事では『口語訳聖書』©1954,1955,1975,1984,2002 日本聖書協会を使用しています。1954年・1955年の本文を基本とし、改訂箇所は原語からの拙訳、または章節のみを記載しています。拙訳箇所には「拙訳」と明記しています。


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