聖書の名言集 ヨハネの福音書 英語有
マタイの福音書 マルコの福音書、ルカの福音書は共観福音書と呼ばれ、キリストの生涯の出来事について書かれています。
それに対して一番最後に書かれたこのヨハネの福音書は第四福音書と呼ばれ、キリストの生涯、出来事の霊的意味を語る観点から書かれています。
このことから、ヨハネの福音書は他の福音書とは違った観点から書かれてることが分かります。
マタイの福音書は主にユダヤ人の為に古から待望していた王としての主イエスを
マルコの福音書はローマ人の為にしもべとしての主イエスを
(ローマ人は即行動をされるので直ぐに、直ちにという言葉がこの書簡には多くあります)
ルカの福音書はヒューマニズムに深くかかわりがあるギリシャ人、異邦人の為に完全な人としての主イエスを
ヨハネの福音書は全ての国々の人々に向けて書かれ、神の子としての主イエスを示しています。
目次
①聖書の名言集 ヨハネの福音書 20章31節 英語有:書かれた目的
著者であるヨハネはイエス様の伝道活動の時、共にいてイエス様のしるし(奇跡)や行動を目撃し、イエス様の教えを直接に聞きいた12弟子の一人です。主イエスの十字架の死の時まで側にいたキリストの証人です。それですので、ヨハネは、他の福音書の記者の誰よりも主イエスのことを知っていたはずです。
このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――
(For the life was manifested, and we have seen it, and bear witness, and shew unto you that eternal life, which was with the Father, and was manifested unto us;)
(第一ヨハネ1:2)
すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである
That which we have seen and heard declare we unto you, that ye also may have fellowship with us: and truly our fellowship is with the Father, and with his Son Jesus Christ.
(第一ヨハネ1:3)
ヨハネは若い頃はイエス様から「雷の子」と言われるくらい激しやすい性質だったのですが、ヨハネの福音書が書かれる頃は、成熟した信仰者となり、主イエスの側で過ごし沢山知っていたにもかかわらず、語りたい気持ちを抑え大切な事だけを厳選してこの書簡に残してくれています。
イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。
And there are also many other things which Jesus did, the which, if they should be written every one, I suppose that even the world itself could not contain the books that should be written. Amen.
(ヨハネ21:25)
その大切な事というのがこの二つです。
①イエス様が神の子で、救い主、メシアであることを伝える事
②信じて罪赦され、命を得させる事
ヨハネの福音書が書かれた目的は名言集である、この聖書の言葉の通りです。
↓
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。
But these are written, that ye might believe that Jesus is the Christ, the Son of God; and that believing ye might have life through his name.
(ヨハネ20:31)
イエス様が神の御子であると知り、信じ、イエス様が十字架で私たちの罪の代価を身代わりに完済され、死んで葬られ、三日目に死人の内からよみがえり、生きたまま今は天におられ私達をとりなしておられる。このことを信じて罪赦され、永遠の命を持つためです。
それですので、この記事を読まれるあなたが、主イエスは神の子キリスト
(救い主)であると信じ、イエスの名によって、命を得ることを願っています。
②聖書の名言集 ヨハネの福音書: イエスの愛しておられた者ヨハネ
共観福音書からヨハネの福音書の記者はヨハネだと分かりますが、ヨハネの福音書では記者名をヨハネとは書かず、自分の事を「イエスの愛しておられた者」と記しています。
弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
Now there was leaning on Jesus’ bosom one of his disciples, whom Jesus loved.
(ヨハネ13:23)
最後の晩餐で主イエスがこの中の一人が裏切る(ユダのことです)と言われた時、ヨハネは「それは誰ですか?」と主イエスに寄りかかりながら質問しています。
(新共同訳には寄りかかったままと記してあります。)
寄りかかったまま、それも聞きにくいことをさらりと素直に聞いてしまうヨハネは、主イエスの愛に自信があったのだと私は思います。
三人姉妹の末の妹がいつも父にふてぶてしく思えるほど自然に甘えていたのを思い出します。長女の私には到底無理なしぐさを、末っ子の妹は何のためらいもなく出来ていましたよ・・・ (>_<)
ふっ、(*^^)v
僕は二番目の末っ子だから、兄貴より自然に甘えていたかもしれない。
主に愛されている僕達はイエス様に対して、
ヨハネのように分からないことは素直に「分かりません」と言えるし、
どんなに聞きずらいことでも聞くことができるんだ。
③聖書の名言集 ヨハネの福音書 1章1節 英語有
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初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
(ヨハネ1:1)
創世記1章1節にも同じような、「はじめに」から始まる詩的な節があります。
はじめに神は天と地とを創造された。
(創世記1:1)
この創世記と、ヨハネの福音書の「はじめに」はどちらが先かと言いますと、
実はヨハネの福音書の「はじめに」の方が先です。
どういうことかと言いますと、ヨハネの福音書1章1節と、創世記1章1節をよくよく読むと分かってくるのですが・・・こういうことです。
天と地を神が作られた時に言葉なる方がすでにおられたからです。
①はじめに「言葉という方」がおられて、
②「言葉という方」は神と共におられて、
③「言葉という方」は、神であったのです。
④要するに、ヨハネはは擬人法で詩的に言葉があったと書いているわけではなく、
言葉という方が最初から現実に存在していたと言っているのです。
8:22主が昔そのわざをなし始められるとき、
そのわざの初めとして、わたしを造られた。
8:23いにしえ、地のなかった時、
初めに、わたしは立てられた。
8:24まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、
わたしはすでに生れ、
8:25山もまだ定められず、丘もまだなかった時、
わたしはすでに生れた。
8:26すなわち神がまだ地をも野をも、
地のちりのもとをも造られなかった時である。
8:27彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、
わたしはそこにあった。
8:28彼が上に空を堅く立たせ、
淵の泉をつよく定め、
8:29海にその限界をたて、
水にその岸を越えないようにし、
また地の基を定められたとき、
8:30わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、
日々に喜び、常にその前に楽しみ、8:22 The LORD possessed me in the beginning of his way, before his works of old.
8:23 I was set up from everlasting, from the beginning, or ever the earth was.
8:24 When there were no depths, I was brought forth; when there were no fountains abounding with water.
8:25 Before the mountains were settled, before the hills was I brought forth:
8:26 While as yet he had not made the earth, nor the fields, nor the highest part of the dust of the world.
8:27 When he prepared the heavens, I was there: when he set a compass upon the face of the depth:
8:28 When he established the clouds above: when he strengthened the fountains of the deep:
8:29 When he gave to the sea his decree, that the waters should not pass his commandment: when he appointed the foundations of the earth:
8:30 Then I was by him, as one brought up with him: and I was daily his delight, rejoicing always before him;
(箴言8:22-30)
ユダヤ教の人々がどうも聖書に書かれている神は一人ではないと気が付き、神が複数おられると仮定した、メムラ論という神学があるのですが、
メムラとはアラム語で言葉という意味です。
メムラ=教え=主の言葉という方は⑥の性質を持っています
①神とは別の存在で、神と同じ方
②この世界の創造主
③メシア
④神がご自身を人々に笑わすための存在
⑤神と人との橋渡し役
⑥神の伝道者
クリスチャンなら、やっぱりそうだったのだと、ピンとくると思うのですが
言葉という方は、まさにイエス・キリストのことです。
ヨハネは、当時ユダヤ人が待望していたメムラという人が現れたと言いたかったのです。
そしてイエス様は初めから存在されていたと告白しています。
初めから存在された、イエス様が人となって十字架につけられ、墓に葬られ復活された
この福音をヨハネは伝えたかったのです。
ノア 「人知をはるかに超えた」
ノアが発表してきた新しい賛美は、私たちを通して与えられただけで、すべての賛美は神様からクリスチャン全員に与えられた共有財産だと考えています。そのために、多くの人々が、もっと自由に賛美を使うことかできるように、1992年からSGM(Sharing Gospel Music)という、誰もが賛美を自由に使用、コピーできるシステムを提唱し始めました。現在、ノアのCDには、すべてSGMマークがついています。
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④聖書の名言集 ヨハネの福音書 1章2節 英語有
この言は初めに神と共にあった。
The same was in the beginning with God.
(ヨハネ1:2)
一節の神と共にあったとあって、二節で。神と共にあったと繰り返しています。
聖書は大切なことは繰り返して言います。神と共にあったということは大切な事なのです。
イエス・キリストは被造物ではありません。始めも終わりもなく無限で、父なる神と聖霊なる神と、いつも愛の交わりを持っておられる方です。
「始めもなく終わりもなく」って、想像するの難しいです。実は私も説明がつきません。じゃ神様はどこから始まったの?・・・と・・・
ここは何時かイエス様とお会いした時に教えていただきます。
無限の神様のことを完全に理解することは人間には無理です。
これもその一つです。
そして、言葉なる方、主イエスは、どんなときにも神と共にある方です。
私達は、「なぜ?」と思うような試練の時、神が遠く感じられたり、罪を犯した時や試みを通して、神から遠ざかることもあります。
主イエスはどんな時にも神から離れず御父のみ心を求め、神様の声を聴き、この世界を私達を造られた神様の偉大さを思い試練の中でもなお神様のみ手の中で生かされていることを、神様を知る事を求められました。
その先を見つめ父なる神様に信頼し、父なる神様の愛の中で覆われ憩い、人知をはるかに超えた神の平安に満たされる道を自ら歩まれた方、神に従うように教えられただけではなく、自らも神に従った、信仰の創始者であり完成者です。
イエス様が僕や君をいつも希望にあふれた目で見てくださっているんだ。聖書を通読する時に、過剰に期待を押し付けず、けれど、希望にあふれた言葉で、語ってくださるんだ。
これからも少しづつ、聖書のことを語っていきます。是非お立ち寄りくださいね。
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