聖書の名言 ヨハネの福音書:イエス様を知るとは

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神の子ども ヨハネの福音書

 

聖書の名言 ヨハネの福音書:イエス様を知るとは

 

聖書の名言 ヨハネの福音書:闇に対して圧倒的に勝利する光の子
ヨハネの福音書 前回からの続きです 再びイエス様について語っています。

前回からの続きです。

 

なぜ私は神様がおられることが分かったんだろう?

あの選民であるユダヤ、イスラエルの民ですら、

イエスがキリスト(救い主)であることを悟らない方が多かったのに。

キリスト教や、聖書の文化に遠い日本の国で、

それも私の祖母は浄土真宗を心から信仰している尊敬できる人で、

幼いころから仏教の話を祖母や父から聞いて育って

その深い教えに感動していたくらいなのに。

通っていた学校は仏教系の高校で、宗教の時間は嫌いではなく、

その教えの深さに高校生の私なりに感動していたのに。

私の叔母は、若い頃、私が所属している教会の日曜学校に通っていたようです。

叔母の兄である私の父に猛反対されて、クリスチャンになることを断念したと聞きました。

私は、反対を押し切って主イエスを受け入れ信じ従いたいと強く願いました。

家族から家を出ていくように言われたら、それも仕方ないし、

縁を切ると言われても、それも仕方ない、

主イエスに従わないことは自分に嘘をつくことで、生きる意味がなくなる事だと

二十歳の頃でしたが、そのくらいの迫るものがありました。

 

私の場合

なぜ 親鸞聖人ではなく、釈迦ではなく、イエス・キリストを信じることが出来たのか

振り返ってみました。先に結論を言いますと、聖書を読んだことからだと思います。

そして信じて祈りだしてからだと思います。

その頃から、今も生きて働いておられる神様に触れられたのだと思います。

私の心に神様が触れられたので、見えない神様を心で感じ取ることが出来たのだと思います。

 

①聖書の名言 ヨハネの福音書:イエスを知るとはイエスと親密になること

自分を愛するように

 

考古学的興味から、高校を卒業した年に、聖書を読みました。

はじめは声を出す読み方、なぜか朗読をしていました。

マタイの福音書からです。どんどんイエス・キリストのご人格に惹かれていきました。

こんな方が世におられたなんて・・・と 聖書を読みながら心が満たされ、

集中すると、いつの間にかいつも黙読になっていました。

イエス・キリストのみそばにいることが出来た人々を羨ましく思ったものです。

その時は、聖書はおとぎ話かも知れないけれど、本当にこんなことがあったらいいな・・・

位に思ってました。

ラジオから「FEBCキリスト教放送」や、「世の光」という番組がたまたま流れて

聖書に書いてあることは、おとぎ話でも作り話でもなく歴史的事実で

イエス・キリストという聖書に書かれている通りのご人格を持った方は実在されて、

今も生きておられると伝えていました。

それで、聖書に書いてあることは本当のことだと知り、喜びに満たされました。

それまでは、挫折はありましたが、友達がいて、友情や、家族の愛を受け幸せに過ごしていました。

たまに苦しいこともある、どこにでもいるような普通の人でした。

正直に言いますと、人間不信は少しありました。

信じられないことは起こるものだけど、

神様が見ていてくださると、神や仏の存在をどこか少し信じてる人間でした。

しかし・・・

お正月には神社に、お盆にはお寺に、クリスマスには教会には行かなくてもなぜかお祝いする。

そのことに疑問すらない程度のものでした。

ラジオで紹介していただいて、教会に行った時、

教会はいろんな問題を抱えている人が来られます。

また素直な表情が出来る場ですし、

あの時の私のように、初めて教会に来られた方もおられますから、

教会にいるすべての人が、良い笑顔ではありませんでした。

その中で、

宣教師の解放された笑顔に安らぎを感じました。そこに聖書にあるイエス様を感じました。

人に会いに教会に来ているわけではないのですが、

教会に来ている中の一人でも、真実にイエス様の愛を感じる存在の方がおられると、

神の臨在を感じるものだなと思います。

 

私はおばあちゃん子でした。

老いて

 

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我が家には尊敬する、その、しっかり者で大好きな優しい祖母がいるのですが、

祖母と離れても、仏教の言う極楽浄土ではなく

宣教師が信じる天国に行きたい。宣教師と同じ天国がいいと思いました。

我が家は聖書とは縁遠く、仏教の土台で私は育ちました。

現在までは聖書が我が家でなくても、これからは聖書を私の我が家にしたい。

そう思い心からイエス様を求めはじめました。

あの大好きなおばあちゃんより聖書を選ぶなんて、

これは自分の力ではないのだと思います。

聖書を読むときに、イエス様がそばにいてくださって、

愛の眼差しで、私に語られているのが分かります。

何度思い起こしても、なぜ?イエス様を信じられたのか?

それは、自分の力ではなく、

聖霊様が私をとらえてくださっていたのだとしか言いようがないと思えます。

 

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

ヨハネ14:6

 

 

友喜
友喜

これは聖書中でピリポやトマス達に語られた言葉ですが、

主イエスは私を名指しで呼んで、直接私に語り迫ってきました。

 

一般的な聖書の言葉をロゴスというのですが、

自分に向けて神様から語られた言葉をレーマと言います。

 

 

イエス様
イエス様

友喜、

私が道であり真理であり命なのだ、

私の通って行くのだ。

私を通って生きるのだ

友喜
友喜

ヨハネの福音書14章6節の聖書の名言を

私はレーマとして受け取ったということです。

 

今思えば、その時から私は聖書の名言を通して、

また、

いろん出来事を通して、主イエスを親しく知りはじめました。

 

 

あなたにも聖書の名言集を通して、

神様は必ず、直接名指しで語ってくださいます。

 

永遠の命がかかっています。恐れずに

聖書を読まれることをお勧めします。

 

②聖書の名言 ヨハネの福音書:世はイエス様を知らずにいた。

コスモス
彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
(ヨハネ1:10)
彼は世にいたというところは、人としてマリアから生まれて世にいた
②主イエスが、まだ人として地上に生まれる前の事、預言によって世に表されていても、地上に生まれる前だったので、人がそのことを理解できずにいた
どっちともとれるような文章ですが、私はここを後者②と受け取りました。
友喜
友喜

今私はイエス・キリストを知っていることを、感謝します。

知っているから受け入れ信じ続けています。

 

初めて聖書を手にして、イエス様のご人格に触れ、イエス様のみそばにいられる人たちは幸せだなと羨ましく思っていた頃の私に、急いで語ってあげたいです。

 

イエス様は昨日も今日も変わらず、生きて働いておられる復活の主ですよ。

「友喜 今あなたを愛してあなたの側におられるのよ」と。

 

 

 

そうです。僕たちの側におられる。

 

あなたの側にも、

 

深い愛の眼差しで、あなたを見守ってくださっている

イエス・キリストがおられますよ。

友喜
友喜

イエス様は世界中の人からいろんな相談を持ち掛けられて忙しい方ですが、人間とは違い、復活の体を持たれた神です。復活の体は不思議な体です。

 

偏在できます。 偏在される方です。

 

それですので、

 

日本で話しかけても、インドから話しかけても、中国からでも、北海道でも、その一人一人の言葉をしっかり受け止め聴いてくださいます。

10人から36人の話を一語一句間違いなく聞き分けたと言われる聖徳太子も及ばない力を持たれた主イエスは復活の主です。

 

そのイエス様がそばにいて心の声すら聴いてくださっています。

安心してイエス様に語り掛けてみてください、それが祈りです。

 

そうすることによってイエス様を知ることが出来ますよ。

 

 

神からの言葉を聞きたい時は聖書を読まれると聞くことが出来ます。

 

神の言葉はメディアから流れる否定的なものではなく、

心に平安と希望、喜びを与えるものです。

 

 

自分の行く道が (ノア)

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