聖書の名言集 死 パート1 死とは何?どうなるの?【英語付】

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天国行の列車

 

人は死んだらどうなるのだろう?と 普段から思うことはあったのですが、

友人や家族の死を経験を切っ掛けに再び、人が必ず通らなければならない

死について真摯に向き合いたいと思うようになりました

これは誰もが通る問題だと思います。

人はこの世に生まれ、その後は刻一刻と死に向かっています。

私達には、死亡率 100% の人生が待っていることが現実です。

どんなに優秀で活躍している人でも、美しく人気のある女優さんでも、

富める人も、貧しい人も、健康な人も、病気がちの人も

全ての人は確実に将来、死にます。

死について考える時、

「生きている間は普通は経験しない未知の世界なので分からない。」

「だから、どうしようもないことは考えないで、

今を悔いのないように生きることが大切だ」・・という風に

今を懸命に生きるという切り口からしか確実なところは語れないほど、

人は死に対して無力です。

死に向き合って、聖書の示唆する死生観に出会って私は、

「死」という未知の世界の恐怖から解放されました。

聖書が語る死生観は人が語る無力感漂うものとは明らかに違っています。

なんと聖書では、「死」に対して勝利を宣言しているのです。

私が死の恐怖から解放された名言集である聖書が語る死生観を

一回では語りつくせないので、シリーズでお伝えしていきたいと思います。

パート1では、聖書が示す死とはどういうことか、?どうなるなか?をお伝えします。

パート2では、聖書が死に対して勝利を宣言しているとはどういうことかをお伝えします。

 

 

名言集である聖書は、死とはどんな状態?だと言っているのでしょうか

医学的には、呼吸が止まったとか、心臓が止まった状態を指します。

聖書で死は、二つの死の状態があると示しています。

一番目は、罪によって神から離れてしまったことから来る現実だと伝えています。(霊的な死)

二番目は、肉体と魂が分離した後の状態を指します。(肉体の死)

ローマ人への手紙

 6:23罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

【KJV】
Rom
6:23 For the wages of sin is death; but the gift of God is eternal life through Jesus Christ our Lord.

このみ言葉は、死は、罪の報酬であると説いています。

しかし、神がイエス・キリストの十字架の赦しを通して

救いを実現してくださったという歴史的な事実によって、命の道を示しています。

そうなのです、イエス・キリストが、十字架で処刑されたということは

歴史の教科書にも載っている事実です。

それは永遠の命への道だと言っています。

ここから聖書は死に対して勝利を宣言しています。

 

名言集である聖書では人は死ぬと、どこへ行くと伝えていいるのでしょうか

聖書で、死は肉体と魂が分離することを言います。

聖書中では人の魂は死ぬとどこへ行くかについて、

イエス様は、ラザロという人物の実名をだして説明されています。

ここには「例えで話された」と書かれてないので、

主イエスは実際に起こった死後の世界を説明してくださっています。

その記述が、ルカによる福音書16章19節から31節です

ルカによる福音書

16:19ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。

 16:20ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、

 16:21その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。

16:22この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。

 16:23そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。

 16:24そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。

 16:25アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。 

16:26そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。

 16:27そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 

16:28わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。 

16:29アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。 16:30金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。

 16:31アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

【KJV】
Luk
16:19 There was a certain rich man, which was clothed in purple and fine linen, and fared sumptuously every day:
16:20 And there was a certain beggar named Lazarus, which was laid at his gate, full of sores,
16:21 And desiring to be fed with the crumbs which fell from the rich man’s table: moreover the dogs came and licked his sores.
16:22 And it came to pass, that the beggar died, and was carried by the angels into Abraham’s bosom: the rich man also died, and was buried;
16:23 And in hell he lift up his eyes, being in torments, and seeth Abraham afar off, and Lazarus in his bosom.
16:24 And he cried and said, Father Abraham, have mercy on me, and send Lazarus, that he may dip the tip of his finger in water, and cool my tongue; for I am tormented in this flame.
16:25 But Abraham said, Son, remember that thou in thy lifetime receivedst thy good things, and likewise Lazarus evil things: but now he is comforted, and thou art tormented.
16:26 And beside all this, between us and you there is a great gulf fixed: so that they which would pass from hence to you cannot; neither can they pass to us, that would come from thence.
16:27 Then he said, I pray thee therefore, father, that thou wouldest send him to my father’s house:
16:28 For I have five brethren; that he may testify unto them, lest they also come into this place of torment.
16:29 Abraham saith unto him, They have Moses and the prophets; let them hear them.
16:30 And he said, Nay, father Abraham: but if one went unto them from the dead, they will repent.
16:31 And he said unto him, If they hear not Moses and the prophets, neither will they be persuaded, though one rose from the dead.

 

この記述から死後について分かることをまとめます。

 




 

聖書では人は死後、無に帰すのではなく、生まれ変わるのでもなく、

22節に、死んで葬られとあるので、肉体は墓に納められ、魂は肉体を離れ、

「アブラハムの懐」という場所と、「黄泉」という場所のどちらかに行く、

ということです

 

ラザロは「アブラハムの懐」という所に、み使いたちに連れられ、その場所で慰められ

金持ちは、「黄泉」に行き苦しみ悶えていることが分かります。

 

「アブラハムの懐」はなぐさめられる場所で、これが天国で、

「黄泉」は苦しみ悶える場所これが地獄と言われる場所です。

 

生きている間、金持ちは、裕福でなに不自由のない生活を満喫して、

死後、金持ちは立派に埋葬されたと思いますが、

貧乏なラザロの埋葬は立派ではなかったと想像します。

しかし、どちらも死にました。

死後にうめき苦しむところに行くのでは立派なお葬式も、お墓も意味がありません。

死後になぐさめられる場所にいられるなら私は、たとえお葬式やお墓がなくても構わないと思います。

16:26では、アブラハムの懐と黄泉の間には大きな淵があって、行き来できないとあります。

16:29では、金持ちは、「ラザロに死人から蘇って、生きている兄弟に死後どうなるかを説明しに行かせてほしい、そしたら生きている間に悔い改めてくれるから、自分の兄弟たちがこんな苦しい黄泉に来ないようにしてほしい。」

と頼んでいることから、黄泉は悔い改めなければならない罪があったのに

悔い改めていない人が行く場所だということが分かります。

黄泉は罪びとが行くところということです。

 

金持ちは自分の豪邸の門の前に苦しんで座っている貧しいラザロがいたのに、

ラザロが、その食卓から落ちる食べもので(金持ちの残飯で)

飢えをしのごうと望んでいたと書いてあっても

救いの手を差し伸べたことは書いてないことから

ラザロの苦しみを金持ちにはスルーしていたと思われます。

 

生きている間に憐みの心をもって、貧しいラザロに施しておけばよかったと、

死んだ後に、悔いても遅いのだということです。

大きな淵があって「黄泉」へは、「アブラハムの懐」からは水も持っていけないところです。

 

「ラザロ」という名前の意味が「神はわが助け」と示すように、

ラザロはたとえ皮膚病に悩まされ、極貧んにあえいでいても神を信じる信仰を与えられていたので、

モーセや預言者が語ったことを聞き入れ神を信頼していました。

 

このラザロと金持ちの話から、

この地上でどういう歩みをしていたかで、死後の行先が来まるのだ。ということも分かります。

そして、モーセや、預言者が語ったことを聞き入れなかった人には、

たとえ死人が蘇って死後の行先を警告しても、聞き入れないだろうと言っています。

こうやって、なぐさめられたり、苦しんだりする場所にいて、会話もあることから、

人は肉体は死んで葬られても、完全に無に帰するわけではないということが分かります。

これらのことから、聖書の説く死について以下のことが分かります。

① 人は死ぬと肉体と魂が分離する。

② 人は死後、生前の行いによって、行くところが来まる。

③ 行先は、「アブラハムの懐」と呼ばれる慰めの場所と、

「黄泉」という悶えるほどの苦しみがある場所のどちらかに行くことになる。

④ 人は死んだ後で、生前の行いが悪かったと気が付いても遅い。

⑤ 輪廻転生はない、人は生まれ変わることはない。

⑥ 人は死後無に帰するわけではない。会話ができる状態である。

⑦ 人は「黄泉」に行った後は、金持ちはそこから出ていけないので、俗にいうお化けは迷信。

人が見る幽霊は本人ではなく偶像を拝ませようとする悪霊のいたずらです。

 

パート2では聖書が死に勝利を宣言しているとはどういうことかをお話しします。

聖書の名言集から死に向き合うパート2に続きます

 

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