聖書の名言集「励まし」勇気付け:イエスvs.アドラー(英語付)

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純真マタイの福音書

聖書の名言集から、主イエスの勇気づけられる励ましの言葉を紹介します。

「頑張って」って励まされと、大抵は素直に応援してくれていることに感謝な思いで頑張れるのですが、場合によって、「頑張っているんだけどな、人からは、怠けているように見られてるのかな」という具合に受け取って、少しだけ自分のことを否定されているような寂しさを感じることはありませんか?

聖書の名言集を見てみると、神様はいろんな励まし方をしてくださっています。

神様は実にワンダフルカウンセラーです。実際イザヤ書9章6節で主イエスのことを表している

「不思議な助言者」は【NIV】の英語訳では、Wonderful Counselor(ワンダフルカウンセラー)

と訳されています。

今回は主イエスの励まし、勇気づけを紹介します。

主イエスに勇気付けられますと、自分を励まし勇気付け、人も励まし勇気付けることができます。

そもそも自分が勇気づけられて変化し成長する為のエネルギーを与えられていないと、他の人に勇気付けを与えることはできませんからね。

「勇気付け」というと「勇気づけの心理学」と言われているアドラーを思い出しますね。

アドラーの奥様がクリスチャンだったと言われていますから、

私はアドラーも聖書の影響を受けていると思っています。

 

①聖書の名言集 励まし(勇気付け):マタイ5:3-4 , イザヤ43:4

 

 

「こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。

Blessed are the poor in spirit: for theirs is the kingdom of heaven.
Blessed are they that mourn: for they shall be comforted.

(マタイ5:3-4)

私達は、日々聖書を読むごとに、従いたいと思うのに、出来ない自分を発見し貧しい者だと自覚しますが、実はこれは聖書の正しい読み方です。気が付いた時にその都度悔い改めればいいのです。

安心してくださいね。

「私は聖書を正しく読んで主イエスの言われることに完全に従っている」と思える方は、おられないと思うのですが、おられたら・・・もうちょっと祈ってみてください。もしくは牧師先生にカウンセリングを受けていただいたらいいかと思います。(^.^)/~~~

聖書のみ言葉通りにできない自分を発見し、貧しいと自覚している人は幸いです、主が力づけてくださいます。罪を悲しんでいる人は幸いです、主が慰めてくださいます。

主イエスはそのままの正直で素直な姿で、神様の前に出ていいのだと言われています。

私達が正しく能力があるからではなく、神様は私達の存在そのものに価値を見出してくださるのです。これは神様のすばらしさの一つです。

あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、
わたしはあなたを愛するがゆえに、
あなたの代りに人を与え、
あなたの命の代りに民を与える。

Since thou wast precious in my sight, thou hast been honourable, and I have loved thee: therefore will I give men for thee, and people for thy life.

(イザヤ43:4)

②聖書の名言集 励まし(勇気付け):マタイ7:7




求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

Ask, and it shall be given you; seek, and ye shall find; knock, and it shall be opened unto you:

(マタイ7:7)

「聖書の言う愛が動機であるなら、あなたの求めたいことを素直に求めればいいのだ。神に話しなさい、あなたの心のままを・・自分を大切にしていいのだよ。たとえばあなたが愛する家族を思う気持ちを想像して神のみ心を受け取りなさい。そのように、いや・・それよりもっと神はあなたのことを大切に思っているのだから。」

と言われていると私は受け取っています。

 

知識が欲しいなら、知恵が欲しいなら、今日の糧が必要なら、求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい。あなたのことが大切で、愛している神は与えるから、見出し、開けてもらえると言われています。

 

③聖書の名言集 励まし(勇気付け):マタイ7:8

 

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

For every one that asketh receiveth; and he that seeketh findeth; and to him that knocketh it shall be opened.

(マタイ7:8)

それだから、求めなければ、与えられないし、門をたたかなければ与えられない、探し出せないのは探さないからだと言われています。

恥ずかしいのですが、よく、メガネや、免許証、財布、車のカギを時々何気なく置くと、どこに置いたかを忘れて、家探しすることがあります。そんな時、祈ると思わぬところから出てくることが良くあります。こんなことなら最初から祈っておけばよかったといつも思います。

すべて求める者は得られるし、探す者は見つけ、門をたたくと開けてもらえるよ、と主イエスのみ言葉が語っています。

「すべて」とあるので、「すべて」なのです。「どんなことでも」です。

「すべて」とは私が言っているのではありません、主イエスがおっしゃっているので、文句のある方は主イエスにどうぞ。(*^^)v

ただし、祈りつつ求め、探し、門をたたいてからにしてくださいね。 (^_-)-☆

 

④聖書の名言集 励まし(勇気付け):マタイ7:9

 

あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。

Or what man is there of you, whom if his son ask bread, will he give him a stone?

(マタイ7:9)

私の子どものことで、リアルな話なのですが、

自分の子どもが、どうしてもバスケット部を続けたいと親に土下座してでも頼まれたら、

親って、どんなに忙しくても嫌とは言えないものです。といいますか全力で協力します。

子どもがお腹を空かせて食べ物が欲しいと言っているのに、食べられないものを親は与えません。

 

⑤聖書の名言集 励まし(勇気付け):マタイ7:10

 

魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。

Or if he ask a fish, will he give him a serpent?

(マタイ7:10)

 

魚が欲しいと言っていたら、「おいしいおトトだよ」(方言かも知れません、魚だよと言っています。)と言って、渡してあげると思います。しかもどんな魚が欲しいのかを聞くと思います。

うなぎなの?鯖?アジ?とか。。

ましてや、蛇なんて子供に与える親がいるでしょうか?

⑥聖書の名言集 励まし(勇気付け):マタイ7:11



このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。

If ye then, being evil, know how to give good gifts unto your children, how much more shall your Father which is in heaven give good things to them that ask him?

(マタイ7:11)

私達は完全な親ではありません。自分が忙しいと、子どもの言葉をしっかり聞いてあげられないこともあるくらい、子どもに遠慮させてしまう親かも知れませんが、

子どもの気持ちが分かったら、出来るだけ喜んでもらえるような良いものを与えたいと思います。

そんな気持ちがあるということは天の父の気持ちが分かるから悪いことではないと言われていると思います。

天の父なる神は、なおさら、私達が必死で求めているのなら、一番良いものを下さらないわけがありませんと、天の父なる神のことをよくご存じの、神様の一人っ子であられる主イエスは、天のお父様のことを紹介してくださっているのです。

⑦聖書の名言集 励まし(勇気付け):マタイ7:12

 

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

Therefore all things whatsoever ye would that men should do to you, do ye even so to them: for this is the law and the prophets.

(マタイ7:12)

これは黄金律と言われる格言です。「己の欲せざること人に施すことなかれ」という消極的なものではなく、積極的に愛のある行いを勧めています。それが、律法であり預言者とはこれが神様のみ心ですよと教えてくださっています。

「これはいらないです。してほしくないです」と言っているのにしつこく、「本当は必要なんでしょう」と勝手に言葉通りに解釈しないで、強引に、渡されても、してほしくないと言っていることをされてしまっては、大人の対応をして我慢する人もおられるでしょうけれど、本心は迷惑しています。

きっと強いられた側は、「これだけ訴えているのに、私って、もしかして軽んじられて馬鹿にされているのかな?でも気遣ってくれているのであって、悪気があってしているのではないと思っておこう」と心の中で念じて我慢して・・・それでも・・・モヤモヤしているはずです。何度も繰り返されると、初めは優しく伝えていたのに分かってくれなくて、どうしたものかと、こちらも皮肉っぽい声をわざと出してみたりすることもあるでしょう。

相手を信頼して、素直にお断りしたのに、やめてほしいと分かってもらえるように公の場でもお伝えしたにもかかわらず、何度も強いられる場面が実際の体験でありましたので、

なんだか、どんどんリアルな表現になりつつあります。(*_*;

しかし、何気ない主イエスの言葉の奥深さを学べたので、嫌な体験が出来たことを今は感謝しています。

相手を励まし、勇気づけるためには

しっかり個人的に向き合って、相手を思いやり、相手の言葉をしっかり聞いて、望んでいることを敏感に察して、相手の側に立って、こういう時はなるほど、こんな風なことを望むのねと共感し、協力する力があるなら、その人には、相手を励まし、勇気付ける力があると思います。

実は言葉や物質を与えられることよりも、

むしろ、その姿勢が伝わってくることの方が重要なのだと思います。

これが主イエスの言われる、律法であり、預言者ですということだと思うのです。

これも聖書の名言はダブルイメージで取れるのですが、律法と預言者とは聖書のみ言葉と祈りとも取れますし、聖書全体が語る隣人を自分のことのように愛する事とも受け取れます。

どんなに、言葉で表現しても通じないこともあります。

相手によっては、「気を使っただけやん?」と言われることがありますから、分かってもらえない人に訴えても無理なこともあるのは確かです。人間ですから完全ではありません。

迷惑していることを素直に伝え続ける必要はありますが、訴えを無視され続けても

主イエスの十字架はその方の為でもあることを覚え、赦すことを選択したいと思います。

そのうえで、その方の心の目が開かれるように祈っていきたいと思います。

しかし、主イエスは分かってくださっていますから!

私を、あなたを軽んじたりするような方ではないですから。安心です。

主イエスは何気に、勇気づけの天才です。主イエスを手本にしたいと思います。

私の存在そのものに敬意を払ってくださって、口先だけでなく、私と個人的に向き合って、心から思いやって、私の言葉をしっかり聞いて、共感して、私のことを信頼してくださり、たとえ私の悪いところが見えても、良いところを積極的に見て将来に対して希望を見出してくださいます。

それだから主イエスと「み言葉と祈り」を通して交わると、

力強く勇気づけられ、リスクがあっても困難を克服して成長しようとするエネルギーが与えらます。

主イエスは尊敬でき信頼できる方です。あなたに自信をもって紹介します。

 

神の国は言葉ではなく、力である。

(第一コリント4:2)

 

存在価値を受け入れられていると知っている人間は力強さを発揮できます。

口先だけではなく、実際的に力になります。

そして、聖書の名言は、ダブルイメージで表されるので、

力とは、もちろん実際的に奇跡的な力も示します。

 

勇気づけとは

 

✔︎ 勇気づけとは、変化・成長するためのエネルギー(勇気)を与えること

✔︎「ほめる」とは違って、無条件に、相手の関心にもとづいて与えられる

✔︎ 言葉だけでなく、態度や心がまえが重要。とくに、無条件の尊敬・信頼は極めて大事

 

勇気づけとは「1人1人としっかり向き合う」ことだと感じます。

逆にいうと、きちんと向き合えてさえいれば、細かい「何と言うか」の部分は、それほど大きな問題にならないとも感じます。

無条件に相手を信頼・尊敬し、個に向き合う。

ここに勇気づけの真髄しんずいがあるのではないでしょうか。

勇気づけとは?具体例までわかりやすく解説【アドラー心理学】
「勇気づけ」とは自分自身や他者に、困難をのりこえるための活力を与える技法のこと。その重要さは、アドラー心理学が「勇気づけの心理学」とも呼ばれるほど。大学院の研究でアドラーの原著を読み込んできた筆者が、アドラー自身の思想を踏まえ、勇気づけについて徹底解説します。

この情報を発見した時に

 

何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

私の中で、見事にこの聖書の名言に一致しました。

自分にしてほしいことを人々にもする、これが「律法であり預言者である=聖書全体の精神である=聖書の神髄」」であると主イエスは語られていると思います。

聖書はそこのところ分かって書かれていると思われます。

主イエスの言葉、一つひとつが、絶妙にアドラーの「勇気づけの心理学」に似ていますね。

私は思うのです、似ているというより、聖書の方が先に誕生していますし、

アドラーが聖書の影響を受けているのだと。

 

その時の自分の言葉が、その人の為に勇気づけの言葉となっていたのか?の答えは明確にはないので、永遠に悩みながら、主に助けをいただいて、祈りながら実践することになるのだとは思うのですが、どちらも自分自身が努力したい時にも適用できる知恵であり、誰かの為にも必要なことだと思うのです。

 

 

ノアの「イエス様についていく」主は私の羊飼いよりです。聞いてください。

 

ノアが発表してきた新しい賛美は、私たちを通して与えられただけで、すべての賛美は神様からクリスチャン全員に与えられた共有財産だと考えています。そのために、多くの人々が、もっと自由に賛美を使うことかできるように、1992年からSGM(Sharing Gospel Music)という、誰もが賛美を自由に使用、コピーできるシステムを提唱し始めました。現在、ノアのCDには、すべてSGMマークがついています。

 

 

このSGM(Sharing Gospel Music)マークのついた製品は、キリスト教教化の目的において、媒体、形態を問わず、自由に使用、コピーすることが法律上許可されています。

 

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