聖書の名言集「狭き門」に関する聖書のおすすめ名言【英語有】

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門マタイの福音書

名言集である聖書が伝える「狭き門」は、命に至る門です。

永遠の命を持つ者が生きる場所、天のみ国へ入るの希望の門です。しかし、「狭き門」と言うくらいなので、そこを通過する事はそんなに難関なのでしょうか?

答えは「ノー」です。条件をクリアするならだれでも平等に入っていける「狭き門」です。

ですから安心してください。東大やハーバードに入れるほどの天才でなくても入れますし、猛勉強しなくても入れます。知識や学歴、富を蓄えなくても、さらに働きや功績も関係ありません。

もっと言うなら、人々から認められるような正しい人でなくても、人の目から見ていかにも知恵深そうな人格者でなくてもいいのです。ましてや、美しく愛される人でなくてもいいのです。もしそんなことが条件ならだれ一人天のみ国に入れる人はいません。美貌は永遠ではなく朽ちていきます。

そして「狭き門」を見いだしても、そこを通る決断をするのは私たち自身です。

「狭き門」について、聖書の名言集から見ていきます。

日本語訳は口語訳

英語訳はキング・ジェームズ・バージョン(KJV)です。

①聖書の名言 「狭き門」:マタイ7:13-14

貧弱に見える門かも

 

狭い門からはいれ。滅びにいたる門大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い 命にいたる門狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない

Enter ye in at the strait gate: for wide is the gate, and broad is the way, that leadeth to destruction, and many there be which go in thereat:
Because strait is the gate, and narrow is the way, which leadeth unto life, and few there be that find it.

(マタイ7章13節、14節)

気になるのは、滅びにいたる門は大きく、その道が広い、そこから入る者が多いとあるので、広く受け入れてくれそうだし、皆が入って行く門だからと言って、そこが安全だとは限らないと言うことです。それこそ滅びにいたる門、地獄への門かも知れないということです。

平等に入ることのできる「狭き門」なのですが名言集である聖書に、その門は狭く細く見つける者が少ないとありますね。

「命にいたる門」と言われるからには、さぞかし荘厳で立派で、人々が好むようなカッコいい門なのだろうと想像していたら、案外そうではなくて、「え?ここなの?ここを入って行くの?」と思うような門かも知れません。もしかして、カッコ悪いかも知れないし、人には高く評価されず、かえって批判される孤独で、はた目から見て辛そうな道のりかもしれません。

②聖書の名言 「狭き門」:マタイ7:21

門2

 




 

人生を終えた時の行先は天国それとも地獄、実は中間がないのです。

この二つしか行く道はありません。

人生は一度きりです。逃したら後はありません。取り返しのつかないことになる前に、

天のみ国への入り口、「狭き門」を目指して安心してこの人生を歩んでいきたいです。

わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

Not every one that saith unto me, Lord, Lord, shall enter into the kingdom of heaven; but he that doeth the will of my Father which is in heaven.

(マタイ7:21)

ここに「主よ、主よ」という者がみな天国に入るのではないときっぱり言われています。神様のことを「主よ」と呼ぶくらいだから、主のことを知識レベルでは知っている人ですね。「主よ」と呼んでも天国に入れるのではなく、とあるので、地獄行の人もいると言うことです。

天の父なる神のみ心を行う者だけが入るのですと書かれています。

天の父のみ心を行うとは、どういう人のことなのでしょうか?

それは、自分が心の貧しい者だと自覚して神の義により頼む人です。

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「こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。

Blessed are the merciful: for they shall obtain mercy.

(マタイ5:7)

ここに「天国は心の貧しい者たちのものである」と、ズバリ書いてあります。

 

③聖書の名言 「狭き門」:ヘブル10:19-20

神様のみ心は、この「山上の垂訓」全体の中にしっかり記され、ぎっしり詰まっています。神のみ心を行うために山上の垂訓の教えを完全に行うことは、それこそ難関です。

クリスチャンでない方の為に、また聖書をお持ちでない方の為に少し長いですが主イエスの教えである山上の垂訓を紹介します。

 

マタイの福音書5章

5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
5:8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
5:14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
5:17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
5:20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
5:21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
5:23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、
5:24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。
5:25 あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。
5:26 よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。
5:27 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:28 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
5:29 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
5:30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。
5:31 また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。
5:32 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。
5:33 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:34 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。
5:35 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。
5:36 また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
5:37 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。
5:38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:39 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
5:40 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
5:41 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
5:42 求める者には与え、借りようとする者を断るな。
5:43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
5:46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
5:47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

 

マタイの福音書6章

6:1 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
6:2 だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:3 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
6:4 それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
6:5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
6:7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
6:8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
6:11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
6:12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
6:13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
6:14 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
6:15 もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
6:16 また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:17 あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
6:18 それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。
6:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
6:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
6:21 あなたの宝のある所には、心もあるからである。
6:22 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
6:23 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
6:24 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

マタイの福音書7章

7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
7:6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
7:15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
7:16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
7:17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
7:18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
7:19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
7:20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
7:28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
7:29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。

とても素晴らしい教えで、天国とは地上の常識を超えた素晴らしいところなのだと感動しますが、実際にこれを実行しようとすると出来なくて、また純粋に主の教えに従おうとすればするほど神様が心に罪を示してくださって、従えない自分に葛藤すると思います。天の御国は遠すぎると・・・

御言葉は口には甘いが、腹には苦いとはこのことです。

しかし、安心してください。心の貧しい者になれば難しいことではないのです。主イエスが、すでに私たちの罪の身代わりに裁かれたからです。主イエスが私たちの罪の代価を支払ってくださいました。ですから、私たちは、もう許されています。このことを信じ受け入れるだけでいいのです。

この時点で、完全に主の教えを行えてなくても、信仰の創始者であり完成者は主イエスなのですから、主イエスに導かれて信仰を持ち、それから・・自分で信仰を完成できなくても、自分で信仰を完成しなくても、主イエスに信頼して主イエスの指し示す方向へ一歩でも歩み始めていればいいのです。

主イエスは私たちの為に、天のみ座でとりなしの祈りをささげてくださっています。主イエスのとりなしの祈りに信頼しましょう。

兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、

Having therefore, brethren, boldness to enter into the holiest by the blood of Jesus,
By a new and living way, which he hath

(ヘブル10:19-20)

自分の心の貧しい姿に目をそらさずに本当に貧しい者だと自覚した者は、主イエスの完成された十字架の赦しの御業、主イエスの十字架の約束に感謝してより頼むしかないのだと悟ります。

主イエスが、命の門に入る道を開いてくださっているので、私達には頼るところがあります。大胆に主イエスの血潮にすがって入って行くことが出来ます。それですので、狭き門に入る為に頑張らなくてもいいのです。

少し休憩します。賛美をお聞きください。

ノア 「頑張らなくていいのさ」

④聖書の名言 「狭き門」:マタイ7:22

日本庭園の門

 

 

 




 

その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

Many will say to me in that day, Lord, Lord, have we not prophesied in thy name? and in thy name have cast out devils? and in thy name done many wonderful works?

(マタイ7:22)

見出す者がわずかしかいない狭き門を見出していたにもかかわらず・・・

「主よ」と叫びながら、神様からいただいた言葉(預言の言葉)で人々を励まし、強い信仰を持って、神様の不思議な奇跡を何度も現わされる人生を歩んでいたにもかかわらず!

なんと 悪霊を追い出し、主のみ名によって多くの力ある奇跡を行いとあるので、癒された人々もいたと思います。

それにもかかわらず!

天の門の前でイエス様に「私はお前を知らない」と言われて天の国に入れない人たちがいるというのです。

これは一大事です。

 

⑤聖書の名言 「狭き門」:マタイ7:23

閉じられた門

 

7:23そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

And then will I profess unto them, I never knew you: depart from me, ye that work iniquity.

(マタイ7:23)

行ってしまえて・・・それって、天国に入れないと言うことですよね。

ここにある例えは、普通の信徒ではなく、強い信仰を持ったかなり偉大な伝道者だと思います。

それでも 「あなたを全く知らない、不法を働く者どもよ去れ」とは、驚きです。

その方たちは初めは主のみ心を行っていたのだと信じます。成功の経験を積むうちに、貧しい者の自覚がいつしかなくなって、神の義により頼まなくなった人、自分の義により頼んだ人のことを言っています。

成功することを神様は悪いとは決して言われていません。自分がどのようなところから救われたのかを忘れ、貧しい者であることを忘れると、自分が神様のようになって、自分の義、自分の正しさを前面に出してしまうことが神様のみ心にかなわないと言われていると思います。

どうしても人間は、人を差別したり、特別意識を持ったり、自分が正しく相手が間違っているという高慢の罠にかかるのだと思います。

 

成功することは素晴らしいのですが、高慢になって、地獄に落ちるくらいなら、その時に成功しない方がずっといいのかもしれません。それほど地獄は苦しいところですから。

 

華々しく活躍して、人々に称賛される道は、カッコ良くて、麗しくて、いかにも好ましく見える道です。広い道です。活躍できることは素晴らしいのですが、成功している時に落とし穴があります。

⑥聖書の名言 「狭き門」:ルカ10:20

美しく見える死の海の門

しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。

Notwithstanding in this rejoice not, that the spirits are subject unto you; but rather rejoice, because your names are written in heaven.

(ルカ10:20)

これは、主のみ名によって悪霊を追い出したことを喜んでいた弟子たちに語った言葉です。

主イエスは、大切な教訓を念を押すように語ってくださっています。人は完全ではないし、地上にいる間は、完成の途上であることを忘れてはならないと思います。

ぜんぜん大伝道者でない私でも、少しばかりうまくいくと、自分の力に慢心して高慢になる傾向があります。主イエスのこの名言、今何かうまくいっていることよりむしろ、「わたしの名が天に記されていることを喜ぶ」ことを大切にしたいと思います。

美しく好ましい門、成功の道、それは死の海にいたる罠が待ち受ける門かも知れないのですから。

浅はかで、弱い者なので、情熱的なパウロが残してくれたこのみ言葉を握って、勇気づけられて生きたいと思います。

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

Looking unto Jesus the author and finisher of our faith; who for the joy that was set before him endured the cross, despising the shame, and is set down at the right hand of the throne of God.

(ヘブル12:2)

ここで言われている「」は主イエスのことです。

私たちは主から信仰に導かれますが、その後、自分で信仰を完成させなければならないと勘違いしてしまい頑張ってできない自分を卑下します。イエス様は信仰の導き手、そして完成者です。それですので、自分で信仰を完成させなくてもいいのです。

自分の信仰を完成させてくださるのは、主イエス様なのですから。自分の弱さ足りなさを自覚した時にこそ、現実を見て嘆いて終わりではなく、すべてを成し遂げてくださった主イエスの十字架の元に行き、私たちの訴えをきちんと聴いてくださる主に、ありのまま信頼して告白し、助けを求め、この主イエスから目を離さないでいましょう。(いつも何度でも自分に言い聞かせています。)

⑦聖書の名言 「狭き門」:黙示録7:14-17

門3

 

 

 




 

 

 7:14わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。 7:15それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。 7:16彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。 7:17御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。

(黙示録7:14-17)

私はここを読むたび、感謝が溢れます。心が厚くなります。

子羊の血で衣を洗いとは、自分の力により頼まず、主イエスの十字架の血潮により頼み、その約束を信じ自分の口で宣言し続け、日々悔い改め心を聖くした人たちのことです。

自分の貧しさを知り、主イエスを信じ受け入れ救いの恵みを与えられることは神様の御業です。

わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。

In whom we have redemption through his blood, the forgiveness of sins, according to the riches of his grace;

(エペソ1:7)

しかし、日々主の十字架の血潮により頼み、悔い改めて聖くする、衣を白くするのは、聖霊様に助けられながら、私たちの意思も必要です。「白くした」と能動的に書かれています。神様と二人三脚で、日々歩み続ける人を、天のみ国で、子羊なる主イエスご自身が牧者となって命の水の泉に導いてくださり、ことごとく涙はぬぐわれます。

「主イエスの十字架の血潮を宣言する祈り」は、ただ、ご利益宗教的に、五穀豊穣、家内安全の為にするのではありません。もっと大切で、深い意義があります。

日々の悔い改めがいらない人はいないと思います。

それですので、「主イエスの十字架の血潮を宣言する祈り」を必要としない人もいません。

 

⑧聖書の名言 「狭き門」:黙示録12:11

門4

兄弟たちは、
小羊と彼らのあかし言葉とによって、
彼にうち勝ち、
死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

And they overcame him by the blood of the Lamb, and by the word of their testimony; and they loved not their lives unto the death.

(黙示録12:11)

原文では、「子羊」「血」「あかし」「言葉」の前に原文では「この」と入っています。

この子羊のこの血と

このあかしの、この言葉の故にとなっています。

この」は子羊の血のことを指しています。

 

要するに

イエス様が私たちの身代わりに十字架にかかって血を流され罪を赦されていること(証)を

信じ信仰を持って宣言し続けた(言葉)のゆえに彼に(悪魔)に打ち勝ち死に至るまでもその命を惜しまなかった(自己中心的我に死ぬことを惜しまなかった)ということです。

実際に殉教された方々の事も指しているのですが、自己中心に死ぬ事も指しています。

自分の貧しさを知り、自分の正しさ、義ではなく、神の義、主イエスの十字架により頼んで日々を歩んだということです。永遠の命に関わる狭き門の説明でとても重要な事なので何度も重複しますがここは熱く訴えます。

(自分にも言い聞かせています。)

イエス様の十字架で流された血潮を感謝して、「悔い改め」という「狭き門」、命にいたる道を悟らせていただき日々歩んでいきたいと思います。

ネットの礼拝や、神学校でこの宝石のような真理を学び悟った日、

私は所属教会のクリスマス礼拝で直ぐに証しました。

「黙示録7章が私達の集合場所です、いいですか、ここで会いましょう」と。

 

ノア の「十字架なきゃ生きてけない」です。

 

ノアが発表してきた新しい賛美は、私たちを通して与えられただけで、すべての賛美は神様からクリスチャン全員に与えられた共有財産だと考えています。そのために、多くの人々が、もっと自由に賛美を使うことかできるように、1992年からSGM(Sharing Gospel Music)という、誰もが賛美を自由に使用、コピーできるシステムを提唱し始めました。現在、ノアのCDには、すべてSGMマークがついています。

 

 

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