2026年1月15日の聖書通読 モーセが殺されかけた謎を解く―血の花婿から北の端なるシオンへ―

通読

2026年1月15日 出エジプト記4:18-31、Ⅱ歴代誌1-3章、ルカ4:31-44

今日の通読は、聖書の中でも特に謎めいた箇所から始まります。神に召されたモーセが、なぜか主に「殺されかけた」という不思議な出来事です。しかしこの出来事から、神の契約の真剣さと、ミデヤン人チッポラの信仰、そしてイエス・キリストへの予型が見えてきます。

また、ソロモンの神殿建設の場面では、エルサレムの地形と幕屋の歴史が重要な意味を持ち、特に「ヤキンとボアズ」という二本の柱の名前には深い神学的意味が込められています。さらにルカ福音書では、イエスが悪霊を黙らせた理由が明らかになります。

目次

出エジプト記4:18-31

「血の花婿」―モーセが殺されかけた謎(4:24-26)

聖書の中でも最も難解な箇所の一つです。

「ところが、途中、宿営地で、主はモーセに出会い、彼を殺そうとされた。そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り取り、それをモーセの足につけて言った。「あなたは私にとって血の花婿です。」それで、主はモーセを放された。

なぜ主はモーセを殺そうとされたのか?

最も有力な解釈は、モーセの息子が割礼を受けていなかったということです。

根拠:

  • チッポラがすぐに息子の割礼を行った(4:25)
  • その直後に主がモーセを「放された」(4:26)
  • 割礼は創世記17章でアブラハムに命じられた契約のしるし

モーセは今からイスラエルの民を導いて、彼らに契約を守らせる使命を帯びています。しかし、自分の家庭で契約のしるしを守っていなかった。これは深刻な矛盾です。

リーダーは、人々に求めることを、まず自分の家で実践していなければならない。神はこの原則を、モーセの使命の出発点で厳しく示されたのです。

チッポラはなぜ割礼のことを知っていたのか?

ミデヤン人は、実は完全な異邦人ではありません。

創世記25:1-2「アブラハムは再び妻を迎えた。その名はケトラといった。彼女は、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。」

つまり、ミデヤン人はアブラハムの子孫なのです。正妻サラの子イサクの系統ではありませんが、アブラハムの血を引いています。

アブラハムは創世記17章で神から割礼の命令を受け、「家で生まれた者も、銀で買い取った者も」すべてに割礼を施しました(創世記17:23)。ケトラとの間に生まれた子どもたち(ミデヤンを含む)が割礼を受けていたかどうかは聖書に明記されていませんが、アブラハムの家庭で育った以上、割礼の習慣を知っていた可能性は高いです。

イテロ(レウエル)の特殊性

チッポラの父イテロは「ミデヤンの祭司」と呼ばれています(出エジプト2:16、3:1)。

出エジプト記18:11「今、私は知った。主はすべての神々にまさって偉大であることを」

イテロは主(ヤハウェ)を認識し、全焼のいけにえを捧げています(18:12)。これは、ミデヤン人の中にアブラハムの神についての記憶が残っていた可能性を示唆しています。

チッポラの信仰と行動

チッポラは、主がモーセを殺そうとされている状況で:

  • 問題が割礼にあることを理解した
  • すぐに行動した(火打石を取って息子の包皮を切った)
  • モーセの足に血をつけて「血の花婿」と宣言した

チッポラの行動がなければ、出エジプトの物語は始まる前に終わっていたかもしれません。神の救いの計画は、最初から「イスラエルだけ」に限定されていなかったのです。

「血の花婿」(חֲתַן דָּמִים)の予型的意味

チッポラの言葉「あなたは私にとって血の花婿です」は、ヘブライ語で「ハタン・ダミーム」(חֲתַן דָּמִים)です。

この言葉は、おそらくチッポラの非難や驚きの言葉です。ミデヤン人である彼女にとって、血を流す割礼は馴染みのないもので、「あなたのせいで私は血を流す儀式をしなければならなかった」という意味合いが強いと思われます。

しかし、この「血の花婿」という言葉は、聖書全体の中で不思議な響きを持ちます。

象徴聖書的意味
花婿神とイスラエル、キリストと教会の関係
契約、贖い、いのち
割礼の血古い性質を切り捨てる、新しい契約の民となる

割礼の血によって死から救われた→イエスの血によって永遠の死から救われる。この出来事は、キリストの十字架の予型と読むことができます。

「イスラエル人」という呼び方(4:31)

4:31で民が礼拝したとき、彼らは「ヤコブの子孫」ではなく「イスラエル人」と呼ばれています。これは契約の民としてのアイデンティティを強調しているからです。

「イスラエル」の名の意味

「イスラエル」(יִשְׂרָאֵל/イスラエール)という名前は、創世記32章でヤコブが神と格闘した後に与えられました。

語源的解釈:

  • שָׂרָה(サーラー)=「戦う、格闘する」
  • אֵל(エル)=「神」
  • 直訳:「神と戦う者」「神が戦われる」

愼悟先生による霊的解釈:

「神と戦って自分の自我に勝った者」

この解釈は、ヤコブがペヌエルで神と格闘した出来事の本質を捉えています。ヤコブは神に勝ったのではなく、神との格闘を通して自分の古い性質(策略家としての自我)に死に、新しい名前と祝福を受け取りました。

ヤコブの格闘の本質

創世記32章を読むと、ヤコブはその夜、神の使いと格闘しました。でも、よく考えるとヤコブは神に「勝った」わけではありません。

むしろ、ヤコブは:

  • 腿の関節を打たれた(弱くされた)
  • それでも「祝福してくださるまで離しません」としがみついた
  • 自分の名前(ヤコブ=「かかとをつかむ者」「騙す者」)を告白した

つまり、ヤコブが勝ったのは神に対してではなく、自分自身に対してです。

「自我に勝つ」とは

ヤコブという人物は、それまでの人生で:

  • 兄エサウから長子の権利を奪った
  • 父イサクを騙して祝福を得た
  • ラバンとも策略で戦った

常に自分の知恵と力で生きてきた人でした。

しかし、あの夜の格闘で:

  • 自分の力では勝てないことを知った
  • 自分の本当の姿(「騙す者」)を認めた
  • 神の祝福なしには生きられないことを悟った

自我が砕かれた瞬間、彼は「イスラエル」という新しい名前を受けたのです。

私たちへの適用

愼悟先生の解釈が深いのは、これがすべての信仰者の歩みを示しているからです。

神と出会い、自分の自我と向き合い、それに勝つ(明け渡す)者が「イスラエル」=神の民となる。

これは血統の問題ではなく、霊的な格闘と降伏の問題です。

Ⅱ歴代誌1-3章

二つの幕屋の時代(1:3-4)

ソロモンの時代、礼拝の場所が二箇所に分かれていました。

ギブオンエルサレム(ダビデの町)
モーセの幕屋(会見の天幕)+ 青銅の祭壇ダビデの幕屋 + 契約の箱
歴代誌1:3-6Ⅱ歴代誌1:4

エルサレムの地形を理解する

エルサレムは山地に位置し、主に二つの尾根(丘)があります:

別名位置
南の尾根シオンの丘、ダビデの町南側・低い
北の尾根モリヤ山、神殿の丘北側・高い

この二つの丘はティロポエオン(チーズ職人の谷)という浅い谷で隔てられていますが、非常に近接しています。

歴史的な流れ

時代出来事場所
アブラハムイサクを捧げようとしたモリヤ山(創22:2)
ダビデ以前エブス人がエルサレムを支配南の尾根(エブスと呼ばれた)
ダビデエブス人から征服ダビデの町(シオン)となる
ダビデ契約の箱を運び上げるダビデの幕屋(ダビデの町内)
ダビデ疫病を止めるため祭壇を築くオルナンの打ち場(モリヤ山上)
ソロモン神殿を建設モリヤ山(オルナンの打ち場)

ダビデの幕屋の特殊性

ダビデの幕屋は、モーセの幕屋とは全く異なる特徴を持っていました:

モーセの幕屋ダビデの幕屋
至聖所に垂れ幕あり垂れ幕なし
年に一度、大祭司のみ入場可能契約の箱の前での賛美と礼拝
いけにえ中心賛美と礼拝中心
レビ人のみ奉仕ダビデも王として奉仕

ダビデの幕屋は、新約の「神への直接アクセス」を予表していました。使徒15:16で、ヤコブはこう言います:「この後、わたしは帰ってきて、倒れているダビデの幕屋を建て直す」

ソロモンの知恵と矛盾(1:14-17)

神から知恵を与えられたソロモンですが、彼はすぐに申命記17:16の戒めを破り始めます。

申命記17:16「王は自分のために決して馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに帰らせてはならない」

しかし、1:16-17には「ソロモンの馬はエジプトから輸入された」と書かれています。

知恵を受けた直後に、人間的な安全保障(馬と戦車)に頼り始めるソロモン。これは後のイスラエル・ユダ王国の衰退の伏線です。霊的な祝福を受けた直後こそ、最も警戒が必要なのかもしれません。

人口調査の違い(2:17)

ダビデの人口調査(Ⅱサムエル24章)は罪とされました。しかし、ソロモンのこの調査は罪とされていません。違いは何でしょうか?

ダビデの調査(罪)ソロモンの調査(罪でない)
動機が「軍事力の誇り」目的が明確(神殿建設の労働力配分)
サタンがダビデを誘った(歴代21:1神への奉仕のため
神が命じていなかった対象が「在留異国人」に限定
イスラエル全体を数えた(イスラエル人ではない)

民数記1章では神ご自身が人口調査を命じておられます。つまり、人口調査それ自体が罪ではなく、動機と目的が問題なのです。

二本の柱「ヤキン」と「ボアズ」(3:17)

ソロモン神殿の入口には、二本の柱が立てられました。右側の柱に「ヤキン」、左側の柱に「ボアズ」という名がつけられています。

この二本の柱は、神殿を支える構造物というより、神殿の入口に立つ「宣言の柱」でした。

ヘブライ語の意味神学的意味
ヤキン(יָכִין「彼は確立する」主が契約と王国を確立される
ボアズ(בֹּעַז「彼のうちに力がある」主のうちに力がある

神殿に入る者への宣言

この二本の柱の間を通って神殿に入る人々は、こう宣言されていました:

「あなたがここに立っているのは、主があなたを確立してくださったから(ヤキン)であり、主のうちにこそ力がある(ボアズ)からだ」

これは自分の功績や力ではなく、神の恵みと力によって立っているという告白です。

ルツ記のボアズとの関連

ボアズという柱の名前は、ルツ記に登場するボアズ(ルツの夫、ダビデの曾祖父)と同じ名前です。

ボアズとルツの物語は、異邦人(モアブ人)がイスラエルの家系に加えられる物語です。そして、その子孫からダビデが生まれ、最終的にイエス・キリストが生まれます。

神殿の入口に「ボアズ」という柱が立っているのは、「異邦人も神の家に迎え入れられる」というメッセージとも読めます。

ダビデの幕屋に柱がない理由

興味深いことに、ダビデの幕屋には「柱」の記録がありません。ソロモン神殿には入口に柱がありましたが、ダビデの幕屋は垂れ幕もなく、柱もない、神の臨在への直接アクセスでした。

隔てがないから柱が不要。この解釈は、使徒15章の「ダビデの幕屋の再建」と、新約の「すべての人が近づける」というテーマと響き合います。

ルカ4:31-44

イエスが悪霊を黙らせた理由(4:41)

「悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と叫びながら、大ぜいの人から出て行った。イエスは悪霊どもをしかって、ものを言うことをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。」

悪霊は正しい知識を持っていました。「あなたこそ神の子です」という告白は、内容としては完全に正しいです。それなのに、なぜイエスは黙らせたのでしょうか?

三つの理由

1. メシアの秘密

イエスは公生涯の初期に、ご自分がキリストであることを公に宣言されることを避けておられました。人々の期待が「政治的メシア」だったため、また十字架の時がまだ来ていなかったためです。

2. 悪霊の証言の性質

悪霊の証言は、たとえ内容が正しくても、悪意から出ており、混乱を招き、神の計画の時を乱すものです。真理は、正しい器(人格)から、正しい時に、正しい方法で語られるべきです。

3. 権威の明示

イエスが悪霊を黙らせることで、イエスが悪霊より上の権威を持つことが示されました。

ヤコブ書2:19「あなたは、神は唯一だと信じています。それは結構なことです。悪霊どももそう信じて、身震いしています。」

正しい知識を持っていることと、その方に服従することは別なのです。

一人一人に手を置いて(4:40)

「イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた」

イエスは神であり、完全な方です。一言で全員を癒すこともできたでしょう。しかし、一人一人に手を置かれました。これは個人的な関わり、個人的な愛の表れです。

私たちも「大勢の中の一人」ではなく、神に「一人一人」として知られ、愛されているのです。

神の国の福音(4:43)

「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」

イエスの宣教の中心は「神の国」(βασιλεία τοῦ θεοῦ/バシレイア・トゥー・セウー)でした。これは神の支配、神の統治、神のみこころが行われる領域を意味します。

これは単なる「天国に行く」という話ではなく、今ここで神の支配が始まっているという宣言です。

今日の箇所を貫くテーマ:「入口」から「臨在」へ

出エジプト記でモーセが使命を受けて出発する場面、歴代誌でソロモンが神殿を建てる場面、そしてルカでイエスが宣教を始める場面。この三つに共通するテーマがあります。

それは「神にどう近づくか」という問題です。

三つの箇所を対比すると:

  • 出エジプト記:割礼の血がなければ、神の使命に携わることができない
  • Ⅱ歴代誌:ヤキンとボアズ(神が確立し、神のうちに力がある)を通って神殿に入る
  • ルカ:イエスが悪霊を黙らせ、一人一人に手を置いて癒す—神ご自身が人に近づいてくださる

旧約では、人が神に近づくためには契約のしるし(割礼、いけにえ)が必要でした。しかし新約では、神が人に近づいてくださいました。

北の端なるシオン、大王の都

詩篇48篇には、不思議な表現があります。

詩篇48:2「その高嶺は美しく、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都。」

「北の端なるシオン」——これは地理的には正しくありません。シオンはエルサレムの南側の丘です。では、なぜ「北の端」と呼ばれているのでしょうか?

ツァフォン(צָפוֹן)の二重の意味

ヘブライ語で「北」は「ツァフォン」(צָפוֹן)と言います。この言葉には二重の意味があります:

  • 地理的な「北」
  • 神の住まい、天の神の座(イザヤ14:13、ヨブ26:7)

古代近東の神話では、神々が住む山は「北の果て」にあるとされていました。聖書は、その神話的イメージを逆手に取り、真の神の都はエルサレムであると宣言しているのです。

サタンの野望と堕落

イザヤ14:13-14「おまえは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』」

サタンは「北の果て」、つまり神の座を奪おうとしました。これが堕落の原因です。

花嫁の栄光

しかし、神の計画は違いました。神は、

  • 地上のエルサレムを「北の端なるシオン、大王の都」と呼び
  • さらに、天のエルサレムを用意され
  • イエス・キリストの血によって贖われた者たちを、その都の住人とされた

サタンが力で奪おうとしたものを、神は愛によって私たちに与えてくださったのです。

黙示録21:2「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。それは、夫のために飾られた花嫁のようであった。」

エルサレムの地形と幕屋・神殿の位置関係

エルサレムの地形と幕屋・神殿の位置関係

Ⅱ歴代誌1-3章の背景理解のために

N
【エルサレム市内の地形】
モリヤ山
北の丘(神殿の丘)
標高:約740m

🌾 オルナンの打ち場

ダビデが祭壇を築いた場所
(Ⅱサムエル24章、Ⅰ歴代21章)

🏛️ ソロモン神殿

オルナンの打ち場に建設
(Ⅱ歴代誌3:1)

※ アブラハムがイサクを
捧げようとした山(創22:2)
ティロポエオンの谷
シオンの丘
南の丘(ダビデの町)
標高:約700m

⛺ ダビデの幕屋

契約の箱を納めた天幕
(Ⅱサムエル6:17)

※ ダビデがエブス人から
征服した都市
高い
モリヤ山
(北)
低い
シオンの丘
(南)
エルサレムから北西 約10km
ギブオン(高き所)

⛺ モーセの幕屋(会見の天幕)

青銅の祭壇がここにあった
ソロモンが1000頭の全焼のいけにえを捧げた場所
(Ⅱ歴代誌1:3-6)

ソロモン時代の「二つの幕屋」

項目 モーセの幕屋 ダビデの幕屋
場所 ギブオン(エルサレムから約10km北西) エルサレム(ダビデの町付近)
内容 会見の天幕+青銅の祭壇 契約の箱のための天幕のみ
起源 モーセが荒野で造った(出エジプト記) ダビデが契約の箱のために張った
主な機能 いけにえの儀式 賛美と礼拝(直接的な臨在)
構造の特徴 垂れ幕あり・隔てあり 垂れ幕なし・隔てなし
聖書箇所 Ⅱ歴代誌1:3 Ⅱ歴代誌1:4、Ⅱサムエル6:17

歴史的な流れ

アブラハム
(創22章)

イサクを捧げようとする

神がアブラハムを試みられた場所。「モリヤの地」と呼ばれる。

📍 モリヤ山
ダビデ
(Ⅱサム5章)

エルサレム征服

エブス人からエルサレムを奪取。「ダビデの町」と呼ぶ。

📍 シオンの丘(南の丘)
ダビデ
(Ⅱサム6章)

契約の箱を運び上げる

キルヤテ・エアリムから契約の箱を運び、天幕を張って納める。

📍 ダビデの幕屋(シオン付近)
ダビデ
(Ⅱサム24章)

オルナンの打ち場で祭壇を築く

疫病を止めるため、エブス人オルナンの打ち場を買い取り祭壇を築く。

📍 モリヤ山(北の丘)
ソロモン
(Ⅱ歴代1章)

ギブオンで礼拝・神との対話

モーセの幕屋があるギブオンで1000頭の全焼のいけにえを捧げ、神から知恵を与えられる。

📍 ギブオン(エルサレム北西約10km)
ソロモン
(Ⅱ歴代3章)

神殿建設開始

オルナンの打ち場(モリヤ山)に神殿を建設。二つの幕屋の機能がここに統合される。

📍 モリヤ山(ソロモン神殿)
重要な区別

「ダビデの町」と「モリヤ山」は同じではありません。
• ダビデの町=シオンの丘(南側、低い方)
• モリヤ山=神殿の丘(北側、高い方)
両者は隣接していますが、ティロポエオンの谷で隔てられた別の丘です。 ソロモン神殿は北のモリヤ山に建てられました。

「北の端なるシオン、大王の都」(詩篇48:2)

1
地上のシオン:エルサレムの神殿の丘(モリヤ山)。ダビデ・ソロモン王国の霊的中心。
2
「ツァフォン」の意味:「北」という方角と、古代近東で「神々の山」を意味する言葉。詩篇は異教の概念を取り上げ、「真の大王の都はシオンだ」と宣言している。
3
天のエルサレム:地上のシオンは影であり、実体は「天のエルサレム」(ヘブル12:22)。贖われた者たちの永遠の住まい。
4
サタンの野望と堕落:「北の果ての会合の山に座ろう」(イザヤ14:13)。サタンは大王の座を奪おうとして落とされた。
5
花嫁の栄光:サタンが奪おうとして失敗した座に、贖われた者たちは花嫁として招かれている。これが福音の驚くべき恵み。

適用:私たちへの問いかけ

今日の箇所から、いくつかのことを問われます。

モーセと割礼の件から

人を導く前に、まず自分の家庭で神の言葉を実践しているか。私自身も、人に語る前に、まず自分の生活で契約に忠実であるかを問われます。

テモテ3:5「自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。」

「イスラエル」の名から

私たちも、神と向き合い、自分の自我と格闘し、それに明け渡す者となっているでしょうか。

ヤコブが腿の関節を打たれながらも「祝福してくださるまで離しません」としがみついたように、私たちも神の祝福を切に求めているでしょうか。

ソロモンの馬と戦車から

神から知恵を与えられた直後に、人間的な安全保障(馬と戦車)に頼り始めるソロモン。霊的な祝福を受けた直後こそ、最も警戒が必要な時なのかもしれません。

箴言3:5-6「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

ヤキンとボアズから

神の家に入るとき、私たちは「神が確立してくださった」(ヤキン)ことと「神のうちにある力」(ボアズ)を通って入ります。自分の功績ではなく、神の恵みによって。

エペソ2:8-9「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

悪霊を黙らせたイエスから

真理は、正しい時に、正しい方法で、正しい器から語られるべき。私も、たとえ正しいことを語るとしても、神の時とやり方を尊重したいと思います。

伝道者の書3:7「黙っているのに時があり、話をするのに時がある。」

おわりに

今日の通読は、一見バラバラに見える箇所でしたが、「神にどう近づくか」「誰が神の民か」という一貫したテーマで貫かれていました。

モーセは割礼の血を通して、

イスラエルは自我に勝利することを通して、

ソロモン神殿に入る者はヤキンとボアズを通して、

そして私たちはイエス・キリストの血潮を通して——

神に近づくことができます。

そして最終的に、私たちは「北の端なるシオン、大王の都」、天のエルサレムに招かれています。

サタンが力で奪おうとしたものを、神は愛によって私たちに与えてくださいました。

黙示録22:17「御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」

主の祝福がありますように。

「※この記事はAIの支援を受けて作成し、筆者が内容を監修しています」

「※図解はAIツールを使用して作成しました」

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