聖書の名言集「祈り」に関する聖書の名言;:主の祈り
何を、どんなふうに祈っているの? とクリスチャンではない方に聞かれることがあります。
神様に祈りたいけど、どう祈ったらいいのかわからないという弟子たちにイエス様は
「祈り?祈ればいいだけだよ、心のまま自由にカッコよく、立派に祈ろうとしなくていいんだよ。」
確かに神様の前にそういう素直な祈りも大切なことで素晴らしいのですが、
イエス様はそんな突き放した言い方をされないで、祈りを教えてくださいました。
それが「主の祈り」です。
「主の祈り」は主が祈られる祈りではなく、信者が神様に向かって祈る祈り方を主が教えてくださった祈りの型です。これに当てはめて祈ればバランスよく祈れます。
聖書や聖歌の見開きにもありますし、ネットで「主の祈り」と検索すればすぐに出てきます。
見ながら朗読すれば、主の祈りの完成ですが、そこに込められている意味を噛みしめながら祈ると
もっと力ずよく、平安に満たされます。
私が教会の礼拝の時、一同で祈る「主の祈り」を紹介します
いつも文語訳で祈っています。これは聖歌の見開きに掲載されています。
主の祈り
天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国(みくに)をきたらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をも、ゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ、国とちからと栄とは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン
聖歌より
私はこの祈りはずっと文語訳で祈ってきたので、この方が自然に口から出てくるのですが、
ここでの解説では口語訳を使用します。
御名はみな 御国はみくにと読みます。
携帯の音声機能で聞くと、御名(みな)を おんな とか ぎょめい
御国(みくに)を おくに とか、ぎょこく
主(しゅ)を おも
節(せつ)を ふし
出(しゅつエジプト)を でエジプト
と発音していて違和感を感じるので一応紹介しておきます。
正しくは( )内の発音です。
目次
聖書の名言集「祈り」の名言:主の祈り 神様の御名(みな)って?
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
神様は、祈りを聞いてくださる生きた神、力ある神です。
ご自分の一人っ子のイエス様を、私たちの罪の身代わりに罰を受けさせるために差し出してくださるほど私たちを愛する愛の神です。これが神の義(正しさ)です。義なる神です。
イエス様は本当に死なれましたが、復活の力ある神は死とよみに勝って、イエス様をよみがえらせました。
その復活の力、永遠の命を信じる私たちに与えてくだささいます。(命の主)
それですので
死と地獄の恐怖から解放してくださる勝利されたの私の軍旗です。
主は、信じ従う私たちを聖めてくださる聖め主です。
主は真の平和をくださる平和の主です。
いつも一緒にいてくださる主です。
癒してくださる主です。
心も、体も養ってくださる、まことの羊飼いです。
必要なことを備えてくださる主です。
ありてある者です。
まだまだあると思うのですが、きりがないのでこのくらいにしておきます。よろしかったらご自分で聖書を手に取って、主のみ名を探してみるといいです。
「私は、・・・という者だ」と所々で紹介されています。
このお名前を崇めます。日々主と共に歩む中で、神様の愛を知る事があります。
ここでは、神様の良くしてくださったことを何一つ忘れずに、感謝し賛美し、崇めます。
主のみ名があがめられますように、ヘブル語に近い2017年版ではみ名が聖なる者とされますようにとあります。私の口の言葉や行いによって御名が聖であることが他の人にも分かりますように・・・
反対に、私の言葉や行いで御名が汚されることがありませんように。
という思いも込めて祈ります
聖書の名言集「祈り」の名言:主の祈り み国って?
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
14:17神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。
神の国は言葉ではなく、力である。
聖書の名言集「祈り」の名言:主の祈り 日ごとの糧
わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。
聖書の名言集「祈り」の名言:主の祈り 赦し
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
聖書の名言集「祈り」の名言:主の祈り 試みに会わせないで
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
(第一ペテロ5:8)
自分は弱いものだと自覚して、悪しきものから守ってくださいと祈りつつ、
羊飼いなる主から離れず主と共に歩んでいきたいです。
そして、神の聖なる武具を身に着けて、この世の生活に出ていきましょう。
聖なる武具については
↓ 悪魔の記事の5番で 聖書の短い「悪魔」の名言:エペソを参照してください。
自分だけでなく、「私達を守っている天使達にも神の武具を身につけます」と宣言しましょう。
天使達は、「よし仕事だ」と言って神様からさらに力をもらってガッツポーズで守ってくれます。
天使達は働き者なので暇そうな顔をさせるのは可哀そうです。(*^^)v
この祈りを知って、実際に祈るようになって、天使達の声が聞こえるような気がします。
天の御国に行った時、天使たちに確かめてみたいと思います。
ガッツポーズで「武具を天使達にも身に着けるよう祈ってくれてありがとう、よし仕事だ」
ってこんなこと言ってたの?って
91:9あなたは主を避け所とし、
いと高き者をすまいとしたので、
91:10災はあなたに臨まず、
悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
91:11これは主があなたのために天使たちに命じて、
あなたの歩むすべての道で
あなたを守らせられるからである。
91:12彼らはその手で、あなたをささえ、
石に足を打ちつけることのないようにする。
91:13あなたはししと、まむしとを踏み、
若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
91:14彼はわたしを愛して離れないゆえに、
わたしは彼を助けよう。
彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
(詩編91:9-14)
主が私のそして、あなたの王として内に住まわれるから
主を愛しているから
主の御名を知っているから
主は私を、あなたを守ってくださいます。
聖書の名言集「祈り」の名言:主の祈り 国と力と栄
国とちからと栄とは、限りなくなんじのものなればなり。
(聖歌 見開き)
主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。
(第二テモテ4:18)
祈りは神様との会話であり、呼吸のようです。辛い時も、嬉しい時も、寂しい時も、辛い時も 健やかな時も、いつでも神様と共にあって語り合えます。
朝起きて、まだ歯磨きをしてなくても、神様おはようございます、と挨拶し
食事の用意をしている時も、神様美味しくできるように助けてください。
仕事で疲れて帰宅する家族がほっとするような料理が出来ますように、と祈ります。
どんな小さなことでも、大きなことでも神様に話します。
ですから、一人の時も寂しくありませんし、神様に話しかければかけるほど
神様の存在が近くなります。
周りで見ていると、何独り言を言っているの?と思われるので、他の人がそばにいる時は心の中で、
一人になった時とか、車を運転している時は声に出して話しかけます。
こういう祈りも大切なのですが、
イエス様が教えてくださった「主の祈り」は、バランスが取れていると思います。
主の祈りを自分の為にまた家族の為に、職場の為に、教会の為に、地域、お世話になった病院の為
今気になる人、祈りが必要だと思われる人の為に
御国が来ますように、御心が天でなるごとく、私にも家族にも、・・・と祈ります。
これは自由です。
そして主が導かれるなら日本の国家の為に祈っていきたいと思います。
上に立っている人々の為に祈りなさいと聖書にありますから。
批判の思いが来たら、先にとりなし祈る必要があると思います。
そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。
(第一テモテ2:1)
他にもいろんな祈りの型があるので、自分のタイミングに合った、祈り方をすればいいと思います。
また聖書を、特に詩編を朗読することも祈りになります。
主の臨在の濃度が濃く、涙が出てくるかもしれませんが、
初めは愚痴っぽく神様に聞いていただいていても、神様と会話しているうちに
その涙は辛い時でも、感謝と喜びの涙に変わると思います。
ノアの祈りという曲です
ノアが発表してきた新しい賛美は、私たちを通して与えられただけで、すべての賛美は神様からクリスチャン全員に与えられた共有財産だと考えています。そのために、多くの人々が、もっと自由に賛美を使うことかできるように、1992年からSGM(Sharing Gospel Music)という、誰もが賛美を自由に使用、コピーできるシステムを提唱し始めました。現在、ノアのCDには、すべてSGMマークがついています。
このSGM(Sharing Gospel Music)マークのついた製品は、キリスト教教化の目的において、媒体、形態を問わず、自由に使用、コピーすることが法律上許可されています。
「主の祈り」について、もっと学びたい方は
はマルコーシュ・パブリケーション出版の
タイトル 「一時間でも祈っていることができないのですか?」
著者 ラリー・リー
にも詳しく書かれています。とっても素晴らしい本です。
これを実際にすると、一時間以上軽く祈れます。
何度もお伝えするのですが、
神の国と神の義を第一に求めるとは、自分の行いの正しさ義や頑張りよりも、
神の義に一番により頼んで生きる、これが、すなわち ↓ この祈りです。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
人それぞれ、の一番いいペースで平安の内に祈れることが大切だと思います。
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