罪責感から解放された時の体験 証 分かち合い

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ピンクのバラ聖書 証 分かち合い 

自分を赦せない事ってありませんか?これが憂鬱な気持ちの元になります。

下手すると、これが原因で本当にうつ病になる方もおられます。

私は、聖書のみ言葉によって、罪責感から解放されました。

その時の体験談、証を分かち合いたいと思います。

これは7月14日の記事で、いつかお話ししたいと書いていた内容です。

 

人は心の中にあることを言葉にします

神学校の先生が私の通っている教会に来られた時に、

私の膝に骨嚢腫ができて痛んできたので、切除術の為にお祈りくださいました。

その時のことです。

実は自分の為に癒しを祈って頂いていいのか躊躇していたのですが、

主人から先生に祈ってもらおうと声をかけられたので、図々しいけれど、

と思いながら祈りの前に

 

「私は、妊娠中風疹になって、堕胎したことがあります。

罪のない子を殺すなんて、神様が一番嫌われることですよね。

その時すでに、クリスチャンだったのですが、

罪の重さに気づかずに行ってしまいました。

医師も家族も、周りも、堕胎をすすめました。

今も何が正しいかわかりません。

その子が苦労するくらいなら、生まれる前に・・・と、そんな気持ちでした。

でもそれが言い訳になっていたのかも知れないです。

堕胎された子には何の罪もありません。

私の罪の罰は私が受けます。それなので私が癒されていいのかわかりません。

春、この時期です、毎年、手術入院しています。

もしかして、このことの為に病気になっているのかもしれません。

ただ、私の病状が明らかになって、適切な処置がなされるように祈ってください。」

と自分の口で言っていました。

 

心の中にあることが、口から出てくると聖書で言われていますが、

まさにその通りです。

なんと私は癒しを祈ってくださいとはお願いしていませんでした。

 

祈るときは癒してくださると信じて祈ればいい

すると先生が

「人は、あの時の過去の罪のせいかと思うことがあります。

でもそれはサタンの声です。

主イエスの十字架の贖いはそんなものではありません、

主イエスの十字架の血潮の力は、ものすごく力があるのです。

たとえ、どんな罪でも赦されるのです。

すでにあなたの罪は赦されています。

イエス様の十字架で完済しました。

祈るときは癒しを信じて求めていいのです。

あなたは十分苦しみました。

祈りましょう、心の傷も癒されるように。」

と言われ祈りの中で、み言葉を宣言されました。

 

私は心の中で、聞いたことがある・・・

聖書のどこに書いてあったっけ?

と思いながら一語一句忘れないように聞き、

後で聖書を調べると、イザヤ書43章でした。

 

イザヤ書43章

 




 

【新改訳2017】

イザヤ書43章

43:1 だが今、【主】はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだわたしはあなたの名を呼んだあなたは、わたしのもの

43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

43:3 わたしはあなたの神、【主】イスラエルの聖なる者あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。

43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊いわたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。

43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東からあなたの子孫を来させ、西からあなたを集める。

43:6 北に向かっては『引き渡せ』と言い、南に向かっては『引き止めるな』と言う。わたしの息子たちを遠くから来させ、娘たちを地の果てから来させよ。

43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。

43:8 目があっても見えない民、耳があっても聞こえない者たちを連れ出せ

43:9 すべての国々をともに集わせ、諸国の民を集めよ。彼らのうちのだれが、われわれにこのことを告げ、初めのことを聞かせることができるだろうか。彼らが自分たちの証人を出して証言し、人々がそれを聞いて、『本当だ』と言うようにせよ

43:10 あなたがたはわたしの証人、──【主】のことば──わたしが選んだわたしのしもべである。これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだわたしより前に造られた神はなく、わたしより後にも、それはいない

43:11 わたし、このわたしが【主】であり、ほかに救い主はいない

43:12 このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたがたのうちに、異なる神はいなかった。だから、あなたがたはわたしの証人。──【主】のことば──わたしが神だ。

43:13 これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか。」

43:14 あなたがたを贖う、イスラエルの聖なる方、【主】はこう言われる。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らをことごとく逃亡者として下らせる。カルデア人を彼らの喜びの船で。

43:15 わたしは【主】、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である。」

43:16 海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、

43:17 戦車と馬、強力な軍勢を引き出した【主】はこう言われる。「彼らはみな倒れて起き上がれず、灯芯のように消え失せる。

43:18 先のことに心を留めるな昔のことに目を留めるな

43:19 見よ、わたしは新しいことを行う今、それが芽生えているあなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。

43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ

43:21 わたしのためにわたしが形造ったこの民は、わたしの栄誉を宣べ伝える

43:22 しかし、ヤコブよ、あなたはわたしを呼び求めなかった。むしろ、イスラエルよ、あなたはわたしのことで疲れ果てた。

43:23 あなたはわたしに全焼のささげ物の羊を携えて来ることはなく、いけにえを献げてわたしをあがめようともしなかった。わたしは穀物のささげ物のことであなたに苦労をさせず、乳香のことで、あなたを煩わせてもいない。

43:24 あなたはわたしのために、金で菖蒲を買わず、いけにえの脂肪で、わたしを満足させなかった。かえって、あなたの罪でわたしに苦労をさせ、あなたの咎でわたしを煩わせただけだ。

43:25 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない

43:26 わたしに思い出させよ。ともにさばきに向かおう。あなたが正しいとされるために、あなたのほうから申し立てよ

43:27 あなたの最初の先祖は罪を犯し、あなたの仲保者たちはわたしに背いた。

43:28 それで、わたしは聖所のつかさたちを汚し、ヤコブが聖絶されるように、イスラエルがののしられるようにした。」

 

イザヤ書43章は、全体が励まされる章なのですが、

特に励まされたところをにブルーの背景を入れると、ほとんどがブルーになりました。

神の言葉には力があります。み言葉を何度も思いめぐらすと神様の愛に包まれます。

イザヤ書43章を何度も何度も黙想しました。

私を創造した神である主が、恐れるな私があなたを贖ったからだ言われます

(贖ったとは、罪の代価を支払って、罪の奴隷から解放したと言うことです)

イエス様の身代わりの十字架によって、私はもう赦されているのだと

神様は個人的に私に言われていると信仰をもって受け取りました。

主は私を名指しで呼んで、あなたは私のもの、たとえ水の中を渡る時も

(これは出エジプトの民が海を乾いた地にされて紅海を渡った時のことを指しています)

海を二つに分け乾いた地にして、

モーセと共に紅海を渡ったイスラエルの民のことを思い出すのだと

主は、私に言われていると受け取りました。

 

ここが一番大切なのですが

【新改訳2017】 イザヤ書43章3節

わたしはあなたの神、【主】、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。

【KJV】
Isa
43:3 For I am the LORD thy God, the Holy One of Israel, thy Saviour: I gave Egypt for thy ransom, Ethiopia and Seba for thee.

 

このことを忘れるな!忘れるな!心に刻みなさい!と私に迫ってきました。

主は私の神、主は良きお方、主は私を愛されている。

もっともっと信頼しなさい。そう心に響きました。

 

神様は、義なるお方なので、正しくないことは裁かれます。

でもその裁きは、愛の故です。

だから神様は、的外れなことを悔い改めさせられるのですが、

それは、自分の罪を認め悔いて、自分を責め続けるためではありません。

主に立ち返って、神様のみ心の方向へ、方向転換して神様と共に生きるためです。

しかし、自分を責め続ける気持ちは分かります。

が・・・神様はそれを望んでおられません。

それは本当の悔い改めではありません。自分で頑張る悔い改めです。

自分の考えこそが正しいとする善、違う考えは悪とする・・・

それは自己義です。人間の自己義は汚れた下着のようだと聖書に書いてあります。

善も悪も罪です。神はアダムとエバに

【新改訳2017】創世記2章16節から17節で

16 神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

【KJV】
Gen
2:16 And the LORD God commanded the man, saying, Of every tree of the garden thou mayest freely eat:
2:17 But of the tree of the knowledge of good and evil, thou shalt not eat of it: for in the day that thou eatest thereof thou shalt surely die.

 

と言われました。

 

私は、神様が望む本当の悔い改めを意志をもって選択することができました。

本当の悔い改めは、主に立ち返ります。主に信頼できます。平安があります。

だから肩の荷が下りて軽くなります。愛されている喜びがあります。

愛には恐れがありませんとはこのことです。

 

み言葉によって、私の本当の姿が見えてきました。

全ての罪を赦すための、贖いは「完了した」と十字架上で主イエスが宣言されているので

そのことを信じているつもりでしたが、

本当は自分は赦されないと深層心理で思っていたのでした。

そして、自分で気が付かない間に、神様の力を自分勝手にこんなもんだと

小さく思い込んでいました。

み言葉を何度も思いめぐらして、何度も味わうことで、どんなに主は私を愛しておられるか、

神様のみ心を霊の奥で悟りました。

 

その時、私は罪責感から解放されました。

 

先生、主人、そして、教会の兄弟姉妹のとりなしの祈りのおかげです。感謝します。

なによりも 天の御座におられるまことの大祭司主であられる、

主イエスのとりなしと聖霊様のなぐさめを感謝します。

 

イザヤ書43章を絶対忘れたくないので、

聖歌の618番(神の御子にます)や476番(われ贖われて)のメロディーで

替え歌を作りました。気が付くと今も歌っています。

618番 476番 どっちも捨てがたいです。

聖書のみ言葉には力があります。素晴らしいです。

 

これも良かったことですね。

また一つ良かった探しができました。

それも飛び切りの良かったです。

 

【新改訳2017】

ヘブル人への手紙4章12節

神のことばは生きていて、力があり、

両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、

関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、

心の思いやはかりごとを見分けることができます。

King James Version
Heb
4:12 For the word of God is quick, and powerful, and sharper than any twoedged sword, piercing even to the dividing asunder of soul and spirit, and of the joints and marrow, and is a discerner of the thoughts and intents of the heart.

 

イザヤ書43章から神様の愛を

引き続き次回にもお分かちさせてくださいね。

もう黙っていられない気持ちです。(#^^#)

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