2026年1月7日の通読② 神に伺う姿勢 第一歴代誌14章・マルコ1章

通読

〜ダビデの二度の伺いと、イエス様の朝の祈り〜

2026年1月7日 第一歴代誌14章・マルコ1章

はじめに

今日の通読箇所から、「神に伺う」ということについて深く教えられました。ダビデ王の戦いの記録と、イエス様の朝の祈り。時代は違いますが、共通するメッセージがあります。

それは、神との交わりが、正しい判断と行動の土台であるということです。

ダビデの二度の伺い(第一歴代誌14章)

繁栄の中の落とし穴

第一歴代誌14章の冒頭は、ダビデの繁栄を描いています。ツロの王ヒラムが使者を送り、王宮を建てるための資材と職人を送ってきました(14:1)。ダビデは主が自分を王として堅く立てられたことを知りました(14:2)。

しかし、まさにこの時、ペリシテ人が攻めてきます。繁栄の中にこそ試練があるのです。

一度目の戦い(14:10-12)

「そこで、ダビデは神に伺って言った。『ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。』すると主は彼に仰せられた。『上れ。わたしは彼らをあなたの手に渡す。』」(第一歴代誌14:10)

ダビデは勝利し、その場所を「バアル・ペラツィム」と名付けました。これは「破れ出る主」という意味です。「神は、水が破れ出るように、私の手を用いて私の敵を破られた」(14:11)。

二度目の戦い(14:13-16)

ところがペリシテ人は、なおもまた攻めてきました。ここでダビデの姿勢が輝きます。

「そこで、ダビデがさらに神に伺ったところ、神は彼に仰せられた。『彼らを追って上って行くな。彼らには面と向かわず、回って行き、バルサム樹の林の前から彼らに向かえ。バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは戦いに行け。神はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。』」(第一歴代誌14:14-15)

一度目の勝利があったにもかかわらず、ダビデはもう一度神に伺いました。そして神の答えは、前回とは全く違う戦略でした。

ここから学ぶ三つのこと

1. 前回の成功に頼らない

一度目に勝ったからといって、同じ方法で二度目も勝てるとは限りません。ダビデは「前と同じでいいだろう」と思わず、謙遜に神に伺いました。私たちも過去の成功体験に縛られず、毎回新鮮な気持ちで神に伺う姿勢が必要です。

2. 神の戦略は毎回違う

一度目は正面攻撃、二度目は回り込み+神のタイミングを待つ。神は同じパターンを繰り返しません。だから毎回伺う必要があるのです。マニュアル化された信仰生活では、神の新しい導きを見逃してしまいます。

3. 「行進の音」を聞く霊的感性

バルサム樹の上から聞こえる「行進の音」は、天の軍勢が先に進んでいる証拠でした。ダビデは目に見えない神の働きを「聞く」ことで、タイミングを知りました。私たちにも問われています。神の導きの「音」を聞く感性を持っているでしょうか?

イエス様の朝の祈り(マルコ1章)

忙しさの中で

マルコ1章の後半は、イエス様の忙しい一日を描いています。

「夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。こうして町中の者が戸口に集まって来た。」(マルコ1:32-33)

安息日が終わる日没後、人々が押し寄せてきました。イエス様は多くの病人を癒やし、悪霊を追い出されました。肉体的にも霊的にも、疲労困憊の夜だったはずです。

それでも祈りを優先された

「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)

普通なら「今日はゆっくり休もう」と思うところです。しかしイエス様はまだ暗いうちに起きて祈られました。これがイエス様の力の源泉であり、父なる神との交わりの時間でした。

人々の期待より、父の御心

「シモンとその仲間は、イエスを追って来て、彼を見つけ、『みんながあなたを捜しております』と言った。イエスは彼らに言われた。『さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。』」(マルコ1:36-38)

「みんなが捜しています」という報告。普通なら「じゃあ戻らなきゃ」となります。しかし祈りの中で、イエス様は本来の使命を確認されました。人々の期待に応えることではなく、父の御心を行うことが最優先なのです。

祈りがもたらすもの

イエス様にとって祈りは:

  • 父との交わりの時間
  • 使命の再確認
  • 力の源泉
  • 優先順位を明確にする時

十字架前の「福音」

イエス様は「福音を知らせよう」と言われました。しかし、この時点ではまだ十字架の贖いは完成していません。では、イエス様が語られた「福音」とは何だったのでしょうか。

マルコ1:15にその内容があります:「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

また、ルカ4:18-19でイエス様はイザヤ書61章を引用されました:「貧しい人々に福音を伝える…捕われ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げる…」

しかし私たちは、十字架と復活の後に生きています。弟子たちでさえ十字架と復活の後にようやく理解できた「福音の神髄」を、私たちは最初から知ることができる。これは本当にものすごい恵みです。

二つの箇所の共通点

第一歴代誌14章(ダビデ)マルコ1章(イエス様)
毎回神に伺う毎朝父に祈る
前の成功に頼らない人々の期待に流されない
神のタイミングを待つ父の御心を優先する
「行進の音」を聞く祈りの中で使命を確認

共通するメッセージ:神との交わりが、正しい判断と行動の土台である

今日の私たちへの適用

ダビデもイエス様も、行動の前に神と交わりました。ダビデは戦いの前に伺い、イエス様は一日の始めに祈られました。

私たちはどうでしょうか?

  • 忙しさを理由に、祈りを後回しにしていないでしょうか?
  • 過去の成功体験に頼って、新しい導きを求めることを怠っていないでしょうか?
  • 人々の期待に応えることに追われて、神の御心を見失っていないでしょうか?
  • 神の「行進の音」を聞く霊的感性を養っているでしょうか?

少年サムエルの祈りを思い出します:「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(サムエル記上3:9)

この姿勢こそ、ダビデにもイエス様にも共通するものでした。そして私たちにも求められているものです。

結び

今日の二つの箇所から、神に伺うことの大切さを学びました。

ダビデは二度目の戦いでも謙遜に神に伺い、全く違う戦略を受け取りました。イエス様は忙しい日々の中でも、朝早く父との交わりを優先されました。

神は私たちにも語りかけてくださいます。問題は、私たちが聞く姿勢を持っているかどうかです。

バルサム樹の上から聞こえる「行進の音」のように、神は今日も私たちより先に進んでおられます。その音を聞き取り、神のタイミングで行動する者でありたいと願います。

祈り

天の父なる神様、ダビデのように毎回あなたに伺う謙遜さを与えてください。イエス様のように、忙しさの中でもあなたとの交わりを優先する者としてください。あなたの「行進の音」を聞き取る霊的感性を養い、あなたのタイミングで行動できますように。今日も「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と祈ります。イエス・キリストの御名によって。アーメン。

あなたの「性格」は変えなくていい〜聖書が教える、自分らしく生きるヒント〜|ユキ(友喜)
「もっと穏やかになりたい」と思ったことはありますか? 「自分は怒りっぽいから直さなきゃ」 「もっと社交的になりたい」 「この性格さえ変われば、うまくいくのに…」 そんなふうに思ったこと、ありませんか? 実は、3000年以上前に書かれた聖書に...

コメント

タイトルとURLをコピーしました