
こんにちは、友喜です。私の名前は主イエスのすばらしさを大切な友と共に共感して喜んでほしいという願いを込めて母が名付けてくれました。
よろしくお願いします。
ところで早速なのですが、聖書の話です。
名言集である聖書には、一般的な常識では魔訶不識と思われるメッセージが私が想像するだけでも5つあります。それは・・・

そうなんだ、そこのところがね・・・ちょっとね
たとえば
①世界のすべては神が創造されたということ。
②処女であるマリアからイエス様が生まれたこと。
③主イエスの十字架(贖い、罪の赦し)
④イエス様の死からの復活
(天国と地獄、携挙、再臨、千年王国)
⑤聖書に出てくる数々の奇跡、癒し

そうですね・・・ところが、
実はこのどれもが聖書が伝える重要なメッセージなのです。
奇跡を科学的に実証しようと挑戦する科学者もおられ、そこから神様がの存在を悟る切っ掛けになるかもしれません。なので否定はしません尊い働きだと信じます。
しかし、信仰は個人的に救い主イエスに出会って、信じるか信じないかだと私は思います。聖書の時代の人々でさえも、実際に奇跡を見ても、たとえ死人が生き返っても信じない人は信じませんでしたから。

今回は、聖書の名言集の中の福音書に出てくる数ある摩訶不思議の一つ、イエス様が行った「癒し」から語られる愛のメッセージを分かち合いたいと思います。
目次
①聖書の名言集イエス様の癒しから受け取るメッセージ:らい病の癒し
8:2すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。 8:3イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。 8:4イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。
(マタイ8:2-4)

私は汚れています。イエス様のみ心なら、きよめていただけるのですが・・・あなたにはそのお力があると知っています、信じています。でも、きよめていただくことはあなたのみ心ですか?私はきよめていただいて、この病気を癒してほしいのでけれど、どうでしょう?
こんな風な思いを込めてに病気の方はイエス様にお願いしていると思います。
この病気は当時、宗教的にも肉体的にも汚れを意味していました。「それなので、み心なら癒してくいただけるのですが」ではなく、謙遜にきよめていただけるのですが・・・とイエス様に伝えています。
このことから、癒しは罪の赦しや聖めと関係があることが分かります。

そうしてあげよう、きよくなれ
イエス様は言葉だけで癒すことも出来ますが当時、触れると汚れると言われていたらい病の方に触れて手を伸ばして、彼にさわりと記されているように、あえて触るという行為をされ愛と同情を示されています。
これには律法学者たちも驚いたと思います。
このことで病気の方に対しての偏見を持たない愛を示され、主イエスは触れて病気がうつるどころか、逆に主イエスの聖さが病気の方に影響して、きよめるという力強さが現れました。

だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい
主イエスは、癒された彼が社会に復帰できるよう配慮され、また証の為にもモーセの律法に従って、この病気が癒されたことを祭司に見せて捧げものをしなさいと言われました。
「誰にも話さないように」と伝えたのは、あまりに「病の癒し」のうわさが広まり強調されると人々が、病の癒しよりもっと大切で根本的なことに目を留めないからです。
要するに「悔い改め」の祝福に気付いて「天のみ国」を求めるよりご利益的にその場しのぎで病気の癒しだけを求めて満足してしまって、「神の国と神の義」に気づかずに元に帰ってしまわないようにするためです。

今の辛い病の癒しも大切で、必死に求める必要があるけれど
それよりも 天国に入ることの方が大切だということだね。
今癒されても、後にくる死後、永遠の地獄に行くのでは意味ないからね。

匿名のあなた、凄いですね、まさしくその通りだと私も思います。
②聖書の名言集イエス様の癒しから受け取るメッセージ:百人隊長のしもべ
|
イエス様が、カペナウムに帰ってこられた時、百人隊長の若者がイエスの近くに来て訴えました。

主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」

わたしが行ってなおしてあげよう

主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです
イエス様はこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われました。

よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。 なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、 この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう

行け、あなたの信じたとおりになるように
すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。
(マタイ8:13)
百人隊長はイスラエルの人には見られない優れた信仰でした。彼はローマの軍人で、役職柄その経験から権威ある者は言葉だけで服従させることが出来ることを学んでいました。
①人を愛する思い ②キリストの権威と力への信頼に直結した信仰
イエス様は彼の信仰を褒めました。
そして、うかうかしていたら、先に選ばれたみ国の子(イスラエルの人々)は神の国の祝福を受けずに、かえって百人隊長のような素朴な信仰をもった異邦人が祝福を受けると言っています。
慣習によってできてしまった常識に囚われてキリストの権威と御国の力を認めないで、神のみわざから引いていることはないか?と私達クリスチャンへの愛を持った警告とも受け取れます。
イエス様が百人隊長に信じた通りになると言われた同時刻にしもべは癒されています。
こういうことは良く聞きます。
気になる人の為に祈っていると、同時刻にその方の問題が解決していたり、癒されていたり。
③聖書の名言集イエス様の癒しから受け取るメッセージ:ペテロの姑の癒し
8:14それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。 8:15そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。
マタイ(8:14-15)
今まで、高熱で床についていたのに、熱が引いたとたん、かいがいしくもてなすことが出来るほど、イエス様の癒しは完璧だったことを表します。
また、癒された姑の感謝が自然と奉仕となってあらわれ、イエス様をもてなしたと受け取れます。
④聖書の名言集「メッセージ」を受け取ろう:預言の成就
8:16夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。 8:17これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。
(マタイ8:16-17)

これはイザヤ書53章4節の引用だね。人の罪を負うメシアを預言している箇所。
21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
(黙示録21:4)

しかし、黙示録にあるような完全な癒しは、御国の完成の時にあるんだ。

癒しは神の国が来たしるしだけれど、病のない完全な栄光の体が与えられるのは天のみ国が完成する終わりの時なのね。

十字架は完全な罪の赦しをもたらすけれど、すべての肉体の棘を取り去るわけではない、十字架の贖罪が完全な病のいやしを含むということではない.

そうね・・だから信仰ある人にも病気は存在するのね。
あのパウロも三度祈っても棘を持ったままだったもの。
ここをはっきりしておけば、病気になったことで、ことさら卑下しないで、また人から言われても傷つかずに主を信頼していられる。

僕たちは、ただ素朴に信じて癒しを願って祈ればいいんだ。
祈ったから、祈ってもらったから、癒されなきゃならないという変な思いになって、力んだりすると、あの時も癒されなかった。長い間祈っていたのに、ダメだったと、祈る事に臆病になる切っ掛けになるから。癒されても癒されなくても愛ある神のみ心がそこにあることを忘れずに、恐れずに癒しを祈りあっていきたいと思う。

そうね、「聖め、癒し」は神様がされる事だから神様のみ業であって、祈る人、祈られる人が「聖め、癒し」をするわけではないものね。
⑤聖書の名言集「イエス様の癒し」から受け取るメッセージ:三つの癒しから
|

ここで主イエスの行動から神様のご性質を新たに発見しました。イエス様のご性質を少し分かるだけでも優しい気持ちになり私は心が癒されました。
だから私は名言集である聖書の中で、どこよりも福音書を読むのが好きなんです。優しいイエス様が語ってくださるから。少しでもイエス様に似た者になっていきたいと思います。
発見したイエス様のご性質やイエス様からのメッセージ
①愛の方で偏見を持たず、差別しない方。
②人目を気にせず善を行う方。
③求める者に応えてくださる方。
④同情心が深い方。
⑤癒す方
⑥力強く聖い方。汚れに触れても汚れない方
⑦聖めてくださる方。
⑧聴く者には事あるごとに、嚙んで含むように教えてくださる方
⑨百人隊長が願い訴えて彼のしもべのを中風を癒されたように、病人本人が訴えて祈れなくても、周りの人の愛ある願い、祈りを聞いてくださる方。
⑩信仰ある祈りが人を救う。
⑪イエス様はみ言葉一つで癒す権威のある方。
⑫み言葉を持って癒されたので、み言葉が信仰の根拠であることを学べる
107:19彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、
主は彼らをその悩みから救い、
107:20そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、
彼らを滅びから助け出された。
(詩篇107:19-20)
⑬社会から疎外されていた人をイエス様は癒される方。
(らい病人、異邦人、女性)
その人の外見や素性や社会的地位、財産などに関係なく、差別なく主イエスは深く慈しみ同情され、癒しが必要な方の苦しみを見たら相手の罪を指摘するより先に、罪の聖めと癒しの祈りを行い即座に癒してくださる力ある方。
⑭イエス様へ直接癒してほしいことを頼んだ人たちは聖職者ではなく一般の人たちだったことから、一般の人もイエス様に直接癒しをお願いして、祈ってもいいということ。
(癒しの祈りは聖職者だけが赦されているということではないということ。)
(いろいろな事情で教会へ行けなくなる日もありますが、現在は祈りや聖書のみ言葉を読むこと、聴くことを通して、イエス様と語り合えます。イエス様はインマヌエルの主いつもともにおられる主です。)
見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
(マタイ28:20)
私達は一人ぼっちになることはありません。
聖書の名言集 信じる人へ主イエスの約束:ヨハネの福音書
14:19もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
14:20その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。 14:21わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
14:23イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
14:26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
14:27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

「イエス様の癒しからメッセージを受け取ろう」から派生して、信じる者への約束や、共にいてくださる主のことを語っている、ヨハネの福音書を思いめぐらし感謝しました。他にも発見したことや恵まれたことのある方は教えてくださいね、共に主イエスのすばらしさを味わいましょう。
コメント