―神の栄光が満ちる条件―
2026年1月16日 出エジプト5:1-6:1/第二歴代誌4-5章/ルカ5:1-26
今日の通読で、第二歴代誌5章13-14節の場面が心に残りました。神殿奉献の時、賛美者たちが「一致して」歌声を響かせた時、主の栄光が神殿に満ちたのです。この「一致」というヘブライ語に、深い意味が隠されていました。
神の栄光が満ちた瞬間
「ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。…そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。」(第二歴代誌5:13-14)
「エハド」―複合的な一致
「まるでひとりででもあるかのように一致して」と訳されているヘブライ語は「כְּאֶחָד(ケエハド)」です。
この「エハド」は、ユダヤ人が毎日唱えるシェマの祈り(申命記6:4)で使われる同じ言葉です。
「聞け、イスラエル。主は私たちの神。主は唯一(エハド)である」(申命記6:4)
なぜ「唯一」が「エハド」なのか。ここに三位一体の神秘が隠されています。
二つの「一」の違い
ヘブライ語には「一」を表す言葉が二つあります。
| 言葉 | 意味 | 聖書の例 |
| אֶחָד(エハド) | 複合的な一致、多様性の中の統一 | 創世記2:24「一体となる」(二人が一つに) |
| יָחִיד(ヤヒド) | 単独の一、絶対的な単一 | 創世記22:2「ひとり子イサク」 |
もし神が「ヤヒド」(単独の一)であったなら、父・子・聖霊という三位一体は成り立ちません。しかし神は「エハド」=複合的な一致として存在されます。三つの位格でありながら、一つの神。これが「主は唯一(エハド)である」の真の意味なのです。
シェマの祈りとイエスの祈り―「エハド」の繋がり
この「エハド」の意味を知ると、イエス様の祈りが深く響いてきます。
「父よ…彼らがみな一つになるためです…わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」(ヨハネ17:21-22)
シェマの「主は唯一(エハド)」と、イエスの祈りの「一つになる」は、同じ概念で繋がっています。
| シェマの祈り(申命記6:4) | イエスの祈り(ヨハネ17:21-22) |
| 主は唯一(エハド)である | わたしたちが一つであるように |
| 父・子・聖霊の一致 | 信者たちの一致のモデル |
イエス様は「彼らが努力して一つになりますように」とは祈られませんでした。「わたしたちが一つであるように、彼らも一つに」と祈られたのです。三位一体の神の一致が、私たちの一致のモデルであり、力の源なのです。
兄弟姉妹が一つになることは、人間の力だけでは本当に難しいことです。しかし神様ご自身が「エハド」の一致を本質として持っておられ、その模範を示してくださっています。神様に繋がる時、私たちも「エハド」の一致に入れられるのです。
三人の礼拝リーダーの違い
神殿での賛美を導いた三人のリーダーは、それぞれ異なる賜物と特徴を持っていました。
| 名前 | 系統 | 特徴 | 詩篇 |
| アサフ | レビ族(ゲルション系) | 預言的賛美、歴史の回顧 | 50, 73-83篇 |
| ヘマン | レビ族(コハテ系) | 知恵者(列王記第一4:31) | 88篇(嘆き) |
| エドトン | レビ族(メラリ系) | 預言者的、感謝の賛美 | 39, 62, 77篇 |
それぞれ異なるスタイル、異なる賜物、異なる感性。しかし彼らは「ケエハド」=一つのように賛美しました。技術の一致だけでなく、心の一致があったのです。
契約の箱の中身の謎
この神殿奉献の場面で、興味深い記述があります。
「箱の中には、二枚の板のほかには何も入っていなかった」(第二歴代誌5:10)
ヘブル人への手紙9:4によれば、契約の箱には「マナの入った金の壺」「芽を出したアロンの杖」「契約の二枚の板」が入っていたはずです。しかしソロモンの時代には、板だけになっていました。
最も可能性が高いのは、サムエル記第一4-6章で契約の箱がペリシテ人に奪われた7ヶ月間に失われたと考えられます。しかし神学的には、三つの品物はすべてイエス・キリストの予型でした。マナは「命のパン」、アロンの杖は「永遠の大祭司」、律法の板は「神の言葉」。型は消えても、神の言葉は永遠に残るのです。
📜 契約の箱の中身の変遷
第二歴代誌5:10「箱の中には、二枚の板のほかには何も入っていなかった」の謎
🏺 最初に入れられた三つの品物
(ヨハネ1:1)
(ヨハネ6:35)
(ヘブル7章)
📅 契約の箱の旅路と中身の変遷
この期間に壺と杖が失われた可能性が最も高い
💡 神学的意味
三つの品物はすべてイエス・キリストの予型でした。マナは「命のパン」、アロンの杖は「永遠の大祭司」、律法の板は「神の言葉」。
興味深いことに、ソロモンの神殿には「神の言葉」だけが残りました。これは律法の永続性を示しているとも言えます。型は消えても、実体であるキリストと神の言葉は永遠に残ります。
ルカ5章との響き合い―四人の友人の「エハド」
今日のルカ5章では、中風の人を運んできた四人の友人について「彼らの信仰を見て」(5:20)と記されています。
四人の異なる人々が、一つの目的のために協力した時、イエスは応えてくださいました。屋根を破るという大胆な行動も、四人の心が一つだったからこそ可能でした。これも「エハド」の一致です。
そしてペンテコステの日(使徒2:1)、弟子たちが「一つ所に集まっていた」時、聖霊が降り、神の栄光が満ちました。第二歴代誌5章と同じパターンです。
🚶 中風の人の癒し ― 出来事の流れ
マタイ9:2-8 / マルコ2:1-12 / ルカ5:17-26
💎 この出来事が教えること
イエスは「人の子」であり「神の子」 ― 人間としての苦しみを知り、神としての罪を赦す権威を持つ。
信仰は行動に現れる ― 四人の友人は屋根を破るほどの信仰を見せた。
見えるしるしは見えない真理の証拠 ― 癒しは罪の赦しの権威の証明。
― ヘブル11:1
⚓ 中風の人の癒し ― 神学的ポイント比較
マタイ9:2-8 / マルコ2:1-12 / ルカ5:17-26
中心的な宣言
「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」
- イエスの権威がメシア預言の成就であることを示す
- 「しっかりしなさい」という励ましの言葉
- 群衆が「人に権威を与えた神」をあがめた
- 王としてのメシアの権威を強調
― マタイ9:8
- 四人の友人の信仰を詳細に描写
- 屋根を「掘り破る」具体的な行動
- イエスが「霊で見抜いた」神性の証明
- 行動と即座の結果を強調(ローマ人向け)
― マルコ2:5
- 宗教指導者たちの存在を詳細に記録
- 「主の御力をもって」癒しが行われた
- 「友よ」という親密な呼びかけ
- 医者として罪と病の関係に注目
― ルカ5:17
🔱「人の子」(בֶּן־אָדָם)の二重性
私たちの弱さを知り
苦しみを共感される
「友よ」と呼びかける
親密さと優しさ
「人の子のような方」
神から全権威を受ける
罪を赦す権威は
神のみに属する
📖 三福音書に共通する神学的ポイント
✝️ 罪の赦しの権威
イエスは神のみができる「罪の赦し」を宣言。これはイエスの神性の明確な主張であり、律法学者たちがそれを「神への冒涜」と受け取ったのは、その意味を正しく理解したから。
🙏 信仰と行動の一致
四人の友人は「信仰を見せた」。屋根を破るという行動が、彼らの信仰を証明した。ヤコブ2:17「信仰も行いがなければ、それだけでは死んだもの」の実例。
👁️ 見えるものと見えないもの
癒し(見える)は、罪の赦し(見えない)の証拠。「信仰は望んでいることがらの確信、まだ見ていない事実の証拠」(ヘブル11:1)の生きた実例。
💊 罪と病の関係
イエスは肉体の癒しより先に罪の赦しを宣言。霊的問題が根本であり、肉体的癒しはその結果。ただし、すべての病が特定の罪の結果ではない(ヨハネ9:3)。
🌱 私たちへの適用
🩹 中風の人の癒し ― 三福音書並行比較
マタイ9:2-8 / マルコ2:1-12 / ルカ5:17-26
📖 ヨハネ福音書にはなぜ記録がないのか?
ヨハネは7つのしるしを厳選して記録しており、共観福音書と意図的に重複を避けています。ヨハネが執筆した頃には、すでに他の福音書が広まっていたため、補完的な内容を選んだと考えられます。
• 38年間の病人 • 安息日の癒し • 罪との関連(5:14「もう罪を犯してはなりません」)
| 比較項目 | マタイ 9:2-8 | マルコ 2:1-12 | ルカ 5:17-26 |
|---|---|---|---|
| 場所 | 「自分の町」 (カペナウム) |
カペナウム、 「家に」おられる |
明記なし |
| 聴衆の描写 | 記載なし | 「戸口のところまですきまもないほど」 | 「パリサイ人と律法の教師たち…ガリラヤとユダヤの全村々やエルサレムから」 |
| 運んだ人数 | 記載なし | 「四人の人」 | 「男たち」 |
| 屋根の描写 | 記載なし | 「屋根をはがして穴をあけ」 (ユダヤ式:泥と枝の屋根) |
「屋根の瓦をはがし」 (κέραμος/ケラモス:ギリシャ式瓦屋根) |
| イエスの 最初の呼びかけ |
「子よ、しっかりしなさい」 θάρσει, τέκνον (サルセイ・テクノン) |
「子よ」 τέκνον(テクノン) |
「友よ」 ἄνθρωπε(アンスローペ=人よ) |
| 罪の赦しの宣言 | 「あなたの罪は赦された」 | 「あなたの罪は赦されました」 | 「あなたの罪は赦されました」 |
| 反対者の反応 | 「この人は神をけがしている」 (心の中で) |
「心の中で理屈を言った」 | 「理屈を言い始めた」 διαλογίζεσθαι (ディアロギゼスタイ) |
| イエスが 見抜いた表現 |
「彼らの心の思いを知って」 ἰδών(イドーン=見て) |
「心の中でそんなことを考えていると、すぐにご自分の霊で見抜いて」 | 「その理屈を見抜いて」 ἐπιγνούς(エピグヌース=認識して) |
| 癒しの命令 | 「起きて寝床をたたんで、 家に帰りなさい」 |
「起きなさい。寝床をたたんで 家に帰りなさい」 |
「起きなさい。寝床をたたんで、 家に帰りなさい」 |
| 群衆の反応 | 「恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた」 | 「みな驚き、 神をあがめて言った」 |
「ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて」 |
📘 マタイの特徴
- 最も簡潔な記録
- 「しっかりしなさい」という励ましを含む(θάρσει)
- 群衆の反応で「人に与えられた権威」を強調
- ユダヤ人読者への弁証的意図
- 税取人としての簡潔・正確な記録スタイル
📕 マルコの特徴
- 最も詳細で生き生きした描写
- 四人の友人の存在を明記
- 屋根を「掘り破る」具体的場面
- ペテロの家だった可能性(だから詳細を記憶)
- ペテロの証言に基づく臨場感
📗 ルカの特徴
- 「パリサイ人と律法の教師たち」の出席を詳細に記録
- 「瓦」(ケラモス)というギリシャ・ローマ式の表現
- 「友よ」(人よ)という呼びかけ
- 「主の御力をもって病気を直しておられた」(5:17)
- 医者としての客観的・学術的関心
「エハド」の一致の条件
神殿に主の栄光が満ちた時、賛美者たちは「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」(5:13)と歌いました。彼らが一致していたのは以下の点でした。
1. 賛美の対象:自分の賜物や技術ではなく、主ご自身に焦点を合わせていた
2. 賛美の内容:「主の恵み」という共通の告白があった
3. 賛美の姿勢:自分を聖別し、主に仕える備えができていた(5:11)
パロとの対比―神を知らない者の孤立
出エジプト5章のパロは「主とは何者か。私は主を知らない」(5:2)と言いました。
神を知らない者には「エハド」の一致がありません。パロはイスラエルの民を分断し、苦役を増やし、孤立させようとしました。しかし神を知り、神に焦点を合わせる時、私たちは「ケエハド」=一つのようになれるのです。
私たちへの適用
「エハド」の一致は、画一的な統一ではありません。アサフ、ヘマン、エドトンがそれぞれ異なる賜物を持ちながら一つになったように、私たちも多様性の中の一致に召されています。
その一致の秘訣は、お互いを見るのではなく、同じ方向(神様)を見ることです。父・子・聖霊が永遠に「エハド」であるように、私たちも神様に繋がる時、一つになれます。
今日、私たちの礼拝は「エハド」の一致があるでしょうか。技術や形式の一致だけでなく、心が主に向かって一つになっているでしょうか。その時、主の栄光が私たちの間に満ちるのです。
祈り
天の父よ。あなたは「エハド」=複合的な一致として存在される三位一体の神です。ソロモンの神殿に栄光が満ちたように、私たちの礼拝にもあなたの臨在が満ちますように。私たちが異なる賜物を持ちながらも、あなたを見上げて「エハド」の一致に入れられますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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「※この記事はAIの支援を受けて作成し、筆者が内容を監修しています」
「※図解はAIツールを使用して作成しました」

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