旧約聖書の最後の約束と「父と子」
旧約聖書は、次の御言葉で閉じられています。
「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。**彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。**それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:5-6)
「父と子の関係の回復」——これが旧約聖書の最後のメッセージであり、主イエスの再臨に備える重要な働きです。父なる神の愛がこの地に現され、人々が神の子としての身分と権威を持って生きるようになること。これがエリヤの霊性を受けた者たちの使命です。
今日の通読箇所(創世記30章、第二サムエル14-15章、マタイ27章)にも、様々な「父と子」の関係が描かれています。壊れた関係、赦しの遅れがもたらす悲劇、そして十字架による究極の和解。
(※この御言葉についてさらに詳しくは、冨田愼悟牧師のマナメールをご覧ください)
👑 アブシャロムの7年間
第二サムエル13-15章 父の顔を見られなかった日々
ダビデは怒ったが、何も行動しなかった。
アブシャロムは妹を引き取り、2年間沈黙を守った。
復讐を遂げたが、父ダビデのもとにいられなくなった。
3年間の亡命生活が始まった。
アブシャロムはエルサレムに帰ることを許された。
「あれは自分の家に引きこもっていなければならない。私の顔を見ることはならぬ」
帰国したのに、父に会えない。さらに2年間。
🔑 鍵となる言葉
「顔」(パニーム)= 関係の回復、受容、赦しの象徴
「顔を見ることはならぬ」= 「お前を赦さない、受け入れない」
アブシャロムは怒り、ヨアブの畑に火をつけた。
「あそこにとどまっていたほうが、まだましだった」という叫び。
「王はアブシャロムに口づけした」
しかし、この和解は5年遅かった。
門で訴えを聞き、人々を抱き、口づけをした。
父から受けられなかった愛を、民に与えながら。
ダビデはエルサレムから逃亡することになった。
この物語から学ぶこと
もしダビデが最初から息子を抱きしめていたら…
赦しを遅らせることの代償は大きい。
7年間で、アブシャロムの心には苦い根が深く張ってしまった。
私たちの人間関係でも、赦しを遅らせることで、
取り返しのつかない傷を残すことがある。
ダビデの対応
息子に顔を隠した
5年間、会うことを拒んだ
赦しが遅すぎた
神の対応
十字架によって御顔を向けてくださる
私たちを受け入れてくださる
赦しは即座に与えられる

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