旧約聖書の最後の約束と「父と子」
旧約聖書は、次の御言葉で閉じられています。
「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。**彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。**それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:5-6)
「父と子の関係の回復」——これが旧約聖書の最後のメッセージであり、主イエスの再臨に備える重要な働きです。父なる神の愛がこの地に現され、人々が神の子としての身分と権威を持って生きるようになること。これがエリヤの霊性を受けた者たちの使命です。
今日の通読箇所(創世記30章、第二サムエル14-15章、マタイ27章)にも、様々な「父と子」の関係が描かれています。壊れた関係、赦しの遅れがもたらす悲劇、そして十字架による究極の和解。
(※この御言葉についてさらに詳しくは、冨田愼悟牧師のマナメールをご覧ください)
📖 父と子の関係 — 聖書に見る4つのパターン
🐑
ヤコブとラバン
創世記30章 — 義理の父子
ラバン
義父
⇄
ヤコブ
義子
互いに出し抜こうとする駆け引きの関係。ラバンは主の祝福を「まじない」で確認し、ヤコブは迷信的な方法で群れを増やそうとした。
⚠️ 結果:信頼なき利用関係 → 最終的に決別
「私はあなたのおかげで、主が私を祝福してくださったことを、まじないで知っている」(30:27)
👑
ダビデとアブシャロム
第二サムエル14-15章 — 実の父子
ダビデ
父・王
⇄̸
アブシャロム
息子
「私の顔を見ることはならぬ」— 7年間、父の愛を確認できなかった息子。赦しの遅延が苦い根を育てた。
⚠️ 結果:謀反と悲劇的な死
「あれは自分の家に引きこもっていなければならない。私の顔を見ることはならぬ」(14:24)
✝️
父なる神と御子イエス
マタイ27章 — 十字架上
父なる神
天の父
⇄̸
御子イエス
神の子
十字架上で、御子は父の顔が隠される経験をされた。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
✝️ 私たちが経験すべきだった断絶を、御子が代わりに受けられた
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27:46)
🙏
父なる神と私たち
キリストにあって — 回復された関係
父なる神
天の父
⇆
私たち
神の子ども
十字架のゆえに、神は御顔を私たちに向けてくださる。アロンの祝福は願望ではなく、成就した現実となった。
✓ 「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してない」
יִשָּׂא יְהוָה פָּנָיו אֵלֶיךָ
「主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」(民数記6:26)
「主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」(民数記6:26)


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