2025年11月16日 創世記24章1節から14節 第一サムエル10章から12章 マタイ19章16節から30節
導入:「こんな祈りをしてもいいのですね?」
創世記24章を読んでいて、アブラハムのしもべの祈りに驚かされたことはありませんか?
彼は井戸のそばで、こう祈りました。
「私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。」(創世記24:14)
「こんなに具体的なしるしを求める祈りをしてもいいのですね?」
この問いから、今日は創世記24章の深い意味を探っていきたいと思います。この章は、単なる結婚物語ではありません。そこには、キリストと教会の関係、そして私たちの奉仕の本質が隠されているのです。
第一部:らくだ10頭に水を飲ませる労力
見落としがちな「十頭」という言葉
創世記24:10にこう書かれています。
「しもべは主人のらくだの中から十頭を連れて出かけた。主人のあらゆる良い品々をその手に携えていた。」
しもべが祈った「しるし」は、単なる親切を超えた驚くべき労働を意味していました。
らくだは一度にどれだけの水を飲むのか?
らくだが一度に飲む水の量をご存知ですか?
- 通常の状態で:100-150リットル
- 長い旅の後、喉が渇いている状態だと:最大200リットル以上
そして、アブラハムのしもべは10頭のらくだを連れていました。
合計:1,000-1,500リットル
これは、一般的な浴槽5-7杯分、2リットルのペットボトルで500-750本分に相当します。
リベカの労働
井戸から水を汲み上げて、水飲み場に注ぐ作業。当時の水がめは1つ約20-30リットル入りますから:
- 50-100回の往復
- 重い水がめを何度も持ち上げる
- らくだは飲むのが遅い
- おそらく2-3時間の作業
しかも、創世記24:16によれば、リベカはנַעֲרָה(ナアラー)、つまり「若い娘」(10代後半くらい)でした。
見知らぬ旅人とそのらくだのために、これだけの労働を進んで申し出る。これは尋常ではない親切さです。
しもべが求めた「しるし」の知恵
しもべは、単なる偶然の一致を求めたのではありません。彼が求めたのは:
- 主体的な親切さ – 頼まれる前に「あなたのらくだにも」と言う
- 過剰な奉仕 – 最低限ではなく、それをはるかに超える
- 喜んでする心 – 重労働なのに文句を言わない
- 見知らぬ人への愛 – 報いを期待せずに
これらは、相手の人格と心の性質を見極める知恵ある祈りでした。
第二部:リベカの型が示すもの
この物語は「型」である
創世記24章は、単なる歴史的な出来事ではありません。これはキリストと教会の関係を示す型となっています。
- アブラハム = 父なる神
- 最年長のしもべ = 聖霊
- イサク = キリスト
- リベカ = キリストの花嫁である教会(私たちクリスチャン)
「ももの下に手を入れる」誓いの意味
創世記24:2-3で、アブラハムはしもべに不思議な命令をします。
「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。私はあなたに、天の神、地の神である【主】にかけて誓わせる。」
ヘブライ語で「もも」はיָרֵךְ(ヤレーフ)。これは子孫が出てくる部分を婉曲的に指す言葉です。
この誓いの意味:
- アブラハムの子孫(イサクとその後継者たち)にかけて誓う
- 花嫁を迎えることは、子孫の問題、つまり契約の継承の問題
- もし約束を破れば、その子孫が証人となる
型として見ると:
- 父なる神の永遠の計画(子孫=教会を生み出す)
- 聖霊が探し出す花嫁(教会)
- イサク(キリスト)の相続人を生み出すための結婚
- 神の契約が次世代へ続いていく
しもべ(聖霊)の働き
しもべがしたこと:
- アブラハムの財産を携えて行く – 聖霊は父とキリストの栄光を示す
- イサクについて語る – 聖霊はキリストを証しする(ヨハネ15:26)
- リベカを説得して連れて来る – 聖霊は私たちを招き、導く
- リベカとイサクを引き合わせる – 聖霊は私たちとキリストを結びつける
しもべは自分のことは語りません。すべて、主人とその息子のことを語ります。これがまさに聖霊の働きです。
リベカの選び
リベカは、まだイサクに会っていませんでした。 しもべ(聖霊)の言葉を信じて、すべてを後にして旅立ちました。
創世記24:58で、家族は彼女に尋ねます。 「この人と一緒に行きますか?」
リベカは答えます:「行きます」
これは私たち一人一人への問いかけでもあります。 まだ顔と顔を合わせて見ていないキリストを、信じて従うか?
第三部:現代の私たちへの適用―教会の奉仕
教会の奉仕は「らくだに水を飲ませること」に似ている
リベカがらくだに水を飲ませたように、教会での奉仕には大変な労力がかかります。
祈りの奉仕 – 精神力がいる
- 誰も見ていない
- 結果がすぐに見えない
- でも最も重要
- リベカが水を運んだように、見えないところでの忠実さ
トラクト配布 – 勇気がいる
- 拒絶される痛み
- 日本では特に受け取りを拒否する人が多い
- でも一つの種が誰かの心に
- 日本の土壌の固さを実感しながらも
動画編集、パワーポイント作成、週報作成 – 忍耐と正確さ
- 「間違ってはいけない」というプレッシャー
- 時間のかかる地道な作業
- でもこれが主のみ言葉を伝える器
賛美の奉仕 – 霊的な責任
- 礼拝の流れを導く責任
- 会衆が主にだけ目を上げられるように
- 主の品性が流れるように祈りながら
- これは本当に執り成しの働き
すべての奉仕に共通すること
これらの奉仕はすべて:
- 重労働である(らくだに水を飲ませるように)
- すぐには報われない
- 人に認められないかもしれない
- でも主は見ておられる
リベカがらくだに水を飲ませたとき、それは:
- まだ見ぬイサクのため
- しもべ(聖霊)の導きに従って
- 見返りを求めず
私たちの奉仕も同じです。
- まだ顔と顔を合わせて見ていないキリストのため
- 聖霊の導きに従って
- 天に宝を積む思いで
第四部:完璧でなくても本物でいい
リベカもまだイサクに会っていなかった
リベカが水を運んでいたとき、彼女はまだイサクを知りませんでした。 イサクの顔も、性格も、何も知らない。 ただ、しもべの言葉を信じて。
私たちも同じです。
パウロはこう言います:
「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知るようになります。」(Ⅰコリント13:12)
でも「内におられるキリスト」
同時に、パウロはこうも言います:
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)
「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の望み」(コロサイ1:27)
これが私たちの今の状態です:
- すでに: キリストは私たちの内におられる
- まだ: でもまだ完全には現れていない
- やがて: 「彼が現れるとき、私たちは彼に似た者になる」(Ⅰヨハネ3:2)
マラナタ! 主よ、来てください!
初代教会は、アラム語でמָרַנָא תָא(マラナ・タ)と祈りました。 「私たちの主よ、来てください!」
パウロはギリシャ語の手紙の中で、わざわざアラム語のままこの祈りを残しました(Ⅰコリント16:22)。それほど大切な祈りだったのです。
黙示録の最後もこの祈りで閉じられています:
「しかり、わたしはすぐに来る。」「アーメン。主イエスよ、来てください。」(黙示録22:20)
- 死によって主イエスにお会いするのか
- 携挙で主イエスとお会いするのか
- 再臨の時、主イエスとお会いするのか
どんな時?というのは分からない。でも確実なのは、必ず会えるということ。
イザヤ55:11の約束
そして、今日の奉仕は決して無駄ではありません。
「わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:11)
あなたが蒔いている種は、必ず実を結びます。 あなたが運んでいる水は、必ず誰かの渇きを癒します。
たとえ完璧でなくても。 たとえすぐに結果が見えなくても。
本物であればいい。
リベカは完璧ではなかったかもしれません。 でも彼女の心は本物でした。 そして、彼女は花嫁として選ばれました。
結び:あなたも花嫁として招かれている
創世記24章のリベカの物語は、あなたの物語でもあります。
聖霊は今日も:
- 花嫁を探している
- あなたに語りかけている
- 「この方について来ますか?」
リベカのように「行きます」と答えるなら:
- あなたも花嫁として選ばれる
- らくだに水を飲ませるような奉仕も
- すべて意味を持つ
そして、いつか:
- 顔と顔を合わせて会う日が来る
- 「よくやった、良い忠実なしもべよ」と言われる
- 完全に知り、完全に愛される
マラナタ! 主よ、来てください!
その日まで、内におられるキリストと共に、一歩一歩、歩んでいきましょう。
完璧でなくても、本物で。 主の愛によって。
聖書を読んでみませんか?
もしあなたがまだ聖書を読んだことがないなら、創世記24章から始めてみませんか? そこには、神があなたをどれほど愛し、どのように招いておられるかが描かれています。
もしあなたがすでにクリスチャンなら、今日の奉仕を励まされて続けてください。 あなたが運んでいる水は、決して無駄にはなりません。
主があなたと共におられます。
アーメン。



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