今日の通読について:
朝の通読で疑問を感じた箇所がいくつかありました。「神に似せて造られたのに、なぜ男と女?」「エノクの年代計算は?」「ヨシュア記の戦いの背景は?」
AIアシスタントのClaudeと対話しながら、一つひとつ掘り下げてみました。図解も作成して、初心者の方にも分かりやすく整理しています。
完璧な答えではないかもしれませんが、この学びの記録が、聖書をより深く理解する助けになれば幸いです。疑問を持つことは、神をより深く知る入り口だと信じています。
📖 創世記5章:神の似姿として造られた男と女
疑問:神に似せて造られたのに、なぜ男と女があるのか?
創世記5:1-2には、こう書かれています:
「神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、男と女に彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、彼らの名を『人』と呼ばれた。」
神はおそらく男性では?父と呼ばれ、主イエスも男性として来られました。聖霊様は?このような素朴な疑問を感じました。
答え:関係性の中に表される神の似姿
男性だけでも女性だけでもなく、「男と女」として初めて神の似姿が完全に表現されるのです。
創世記1:27では「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された」とあります。
重要なポイント:
- 神は関係性の中に存在される方(三位一体)
- 人間も関係性の中で神の似姿を表す
- 男女が互いに補い合い、愛し合う関係性が神の豊かさを反映
神の性質について: ヨハネ4:24で「神は霊である」と書かれているように、神には肉体的な性別はありません。しかし、聖書は神を圧倒的に父性的・男性的に啓示しています:
- 旧約では「父」として(申命記32:6、イザヤ63:16、64:8)
- 新約でイエスは一貫して神を「父」と呼ばれた(100回以上)
- 三位一体:父、子(男性)、聖霊
- 主イエスは男性として受肉された(これは偶然ではない)
では、なぜ「男と女」が必要なのでしょうか?
一人の人間では神の全ての栄光を表現できないからです:
- 男性:力、保護、リーダーシップ、父性的な性質を反映
- 女性:いのちを生み出す力、養い育てる力、応答する美しさを反映
- 両方合わせて:神の豊かさのより完全な表現となる
結婚そのものが、キリストと教会の関係の型です(エペソ5:31-32)。神の本質は父性的ですが、神の多面的な栄光を表すために、男女両方が「神の似姿」として造られたのです。
📊 エノクからノアの洪水まで:神の忍耐の証
疑問:年代計算が複雑で、何が起きたのか分かりにくい
創世記5章には、アダムから始まる系図が記されています。特にエノクの記述が印象的です:
「エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。」(5:22) 「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」(5:24)
エノクがメトシェラを生んだ時、何かが起きて回心したのでしょうか?そして、メトシェラが死んだ直後に洪水が起こる…この時系列を理解したいと思いました。
答え:メトシェラの名前に込められた預言
メトシェラの名前の意味:「彼が死ぬとき、それが来る」
エノクは息子の名前を通して、来るべき裁き(洪水)を預言しました。そして驚くべきことに、神はメトシェラが死ぬまで洪水を待たれたのです。
📖 エノクからノアの洪水までの年代図
創世記5章の年代計算 – 神の忍耐と警告
🔑 重要なポイント
メトシェラの名前の意味:「彼が死ぬとき、それが来る」
エノクは息子メトシェラの名前を通して、来るべき裁き(洪水)を預言しました。そして神は、メトシェラが死ぬまで洪水を待たれたのです。これは神の驚くべき忍耐です。
(創世記5:18)
この後、エノクは「神と共に歩んだ」(創世記5:22)
息子の名前の意味を知り、悔い改めと信仰の生活へ
「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」(創世記5:24)
死を見ることなく天に移された唯一の人
(創世記5:25)
「この子は私たちを慰めてくれるだろう」(創世記5:29)
(創世記5:32)
ノア600歳のとき
預言の成就:「彼が死ぬとき、それが来る」
📊 年代計算の根拠
メトシェラの全生涯:969年(創世記5:27)
洪水の年:ノア600歳(創世記7:6)
計算:
- メトシェラが生まれたのは、創造から687年後
- メトシェラは969年生きた:687 + 969 = 1656年
- ノアが生まれたのは、創造から1056年後
- ノア600歳のとき洪水:1056 + 600 = 1656年
- 結論:メトシェラが死んだその年に洪水が起きた
✝️ 神学的意味
神の忍耐:神はメトシェラが生きている間、裁きを保留されました。これは「主は…すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」(IIペテロ3:9)という神の性質の現れです。
エノクの信仰:エノクは神と共に歩み、終わりの時代に備えました。私たちも同じように、主の再臨を待ち望みながら、今を生きるべきです。
警告と希望:洪水は裁きでしたが、ノアの箱舟は救いの予型です。キリストこそ、来るべき裁きからの唯一の避け所です。
年代計算:
- メトシェラが生まれたのは、創造から687年後
- メトシェラは969年生きた:687 + 969 = 1656年
- ノアが生まれたのは、創造から1056年後
- ノア600歳のとき洪水:1056 + 600 = 1656年
- 結論:メトシェラが死んだその年に洪水が起きた
神学的意味: 神は969年間も裁きを保留されました。これは「主は…すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」(IIペテロ3:9)という神の性質の現れです。
エノクは息子メトシェラを生んだ後、「神と共に歩んだ」と特記されています。来るべき裁きの預言を知って、悔い改めと信仰の生活に入ったと考えられます。
⚔️ ヨシュア記9-10章:なぜこのような戦いになったのか?
⚔️ ヨシュア記9-10章:カナン征服の真実
神の裁きと憐れみ、そして平和の選択肢
❓ なぜこのような戦いになったのか?
重要な前提:神は無差別に殺される方ではありません
- 400年の忍耐:創世記15:16で、神はアブラハムに「アモリ人の咎がまだ満ちていない」と言われました。神は400年以上も悔い改めの機会を与えていたのです。
- 平和の選択肢:ギブオン人(ヨシュア9章)やラハブ(ヨシュア2章)のように、平和を求めた者は生き延びました。
- 攻撃してきたのは敵側:カナンの王たちが先にイスラエルを攻撃してきました(ヨシュア9:1-2、10:5)。
- 子どもを犠牲にする宗教:カナンの宗教は、子どもを火で焼いて捧げる儀式を含んでいました(レビ18:21、申命記12:31)。
📍 地図:南部カナンの征服
(基地)
エアリム
📖 出来事の時系列
第1段階:平和条約(ヨシュア9章)
ヨルダン川西側のすべての王たちは、イスラエルと戦うことを決意
ギブオンの住民は、策略を用いて遠い国から来たふりをし、イスラエルと平和条約を結ぶ
3日後、ギブオン人が近くに住んでいることが判明
しかし、主の名によって誓った条約は守られ、彼らは生かされた
第2段階:南部同盟の攻撃(ヨシュア10章)
エルサレム、ヘブロン、ヤルムテ、ラキシュ、エグロンの5人の王が結集
理由:ギブオンがイスラエルと平和条約を結んだため
彼らはギブオンを攻撃
条約に基づき、ギブオンはイスラエルに助けを求める
ヨシュアは夜通し行軍し、敵を奇襲
主が天から雹を降らせ、多くの敵を倒す
太陽と月が止まった奇跡:「民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった」(10:13)
逃げた5人の王はマケダの洞穴に隠れる
彼らは捕らえられ、処刑された
①マケダ(10:28)→ ②リブナ(10:29-30)→ ③ラキシュ(10:31-32)→ ゲゼル(援軍、10:33)→ ④エグロン(10:34-35)→ ⑤ヘブロン(10:36-37)→ ⑥デビル(10:38-39)
🗿 カナンの偶像礼拝とは何だったのか?
1. バアル礼拝(豊穣の神)
• 雨と豊穣をもたらすとされる最高神
• 神殿で性的儀式が行われた(神殿娼婦制度)
• 考古学的証拠:ウガリット文書に詳細な記録
2. モレク礼拝(別名:モロク)
• 子どもを火で焼いて捧げる儀式
• レビ記18:21、20:2-5で明確に禁止
• 「彼らは自分の息子、娘たちを火で焼いて、偽りの神々にささげた」(詩篇106:37-38)
3. アシェラ礼拝(豊穣の女神)
• バアルの配偶神とされる
• 聖なる木や柱で象徴された
• 性的儀式と結びついていた
4. その他の忌まわしい行為(レビ記18章)
• あらゆる形態の性的堕落
• 獣姦(レビ18:23)
• 近親相姦
• これらは「土地を汚す」行為とされた(レビ18:24-28)
「彼らは息子、娘たちを悪霊に犠牲としてささげた…その地は血で汚された」(詩篇106:37-38)
神の「聖絶」命令の理由:
これは単なる異なる宗教への不寛容ではなく、子どもを殺し、人間の尊厳を踏みにじる制度を根絶するための、痛みを伴う外科手術のようなものでした。もしこれらの慣習が広がれば、全人類が堕落する危険がありました。
💡 神学的理解
🕊️ 神の性質
1. 神は忍耐深い:400年以上も悔い改めの機会を与えられた
2. 神は公正:罪には必ず結果がある
3. 神は憐れみ深い:ギブオン人やラハブのように、信仰を示した者は救われた
4. 神は弱者を守る:子どもを犠牲にする制度を終わらせた
✝️ 現代への適用
1. 平和の選択肢は常にある:神は誰でも悔い改めて救われることを望んでおられる
2. 罪には重大な結果がある:特に弱者を傷つける罪は深刻
3. 神の裁きは最後の手段:長い忍耐の後に来る
4. 真の平和は正義の上に築かれる:悪を放置することは真の平和ではない
🙏 まとめ
ヨシュア記9-10章は、神の裁きの書ではなく、神の忍耐と憐れみの書です。
- カナン人には400年以上の猶予があった
- 平和を求めた者(ギブオン、ラハブ)は救われた
- 攻撃してきたのは敵側だった
- 聖絶された文化は、子どもを殺す恐ろしい慣習を含んでいた
- 神は正義と憐れみの両方を完璧に示された
キリストにあって、私たちは皆、救いの招きを受けています。私たちは「新しいギブオン人」として、信仰によって神の家族に加わることができるのです。
疑問:神は誰彼となく殺す方ではないはず…
ヨシュア記を読むと、イスラエルが次々と都市を攻め取り、「聖絶」していく記述があります。一見すると残酷に見えますが、どうしてこんな戦いになったのか、その経過を理解したいと思いました。
また、聖絶するということは何か罪を持っているのだろうと思いました。どんな偶像礼拝がなされていたのでしょうか?
答え:神の忍耐と平和の選択肢
重要な前提:神は無差別に殺される方ではありません
1. 400年の忍耐
創世記15:16で、神はアブラハムにこう言われました:
「四代目になって、彼らはここに戻って来る。それは、アモリ人の咎が、それまでに満ちることはないからである。」
神は400年以上も悔い改めの機会を与えていたのです。
2. 平和の選択肢があった
- ギブオン人:策略を用いてでも平和条約を結び、生き延びた(ヨシュア9章)
- ラハブ:信仰によってイスラエルを助け、救われた(ヨシュア2章)
- 戦いを仕掛けてきたのはカナンの王たち(ヨシュア9:1-2、10:5)
3. カナンの宗教の実態
考古学的発見と聖書記述から、カナンの宗教には以下が含まれていました:
バアル礼拝:
- 豊穣の神とされる
- 神殿で性的儀式が行われた(神殿娼婦制度)
- ウガリット文書に詳細な記録が残っている
モレク礼拝:
- 子どもを火で焼いて捧げる儀式
- レビ記18:21で明確に禁止
- 「彼らは息子、娘たちを悪霊に犠牲としてささげた」(詩篇106:37-38)
アシェラ礼拝:
- バアルの配偶神
- 性的儀式と結びついていた
その他の忌まわしい行為(レビ記18章):
- あらゆる形態の性的堕落
- 獣姦(レビ18:23)
- 近親相姦
これは単なる「異なる宗教」ではなく、子どもを殺し、人間の尊厳を踏みにじる制度でした。神の「聖絶」命令は、この悪が広がるのを止めるための、痛みを伴う外科手術のようなものでした。
4. 戦いの経過
第1段階:平和条約(ヨシュア9章)
- カナンの王たちは、イスラエルと戦うことを決意(9:1-2)
- ギブオン人は策略を用いて平和条約を結ぶ(9:3-15)
- 真実が発覚するも、主の名による誓いは守られた(9:16-27)
第2段階:南部同盟の攻撃(ヨシュア10章)
- 5人の王(エルサレム、ヘブロン、ヤルムテ、ラキシュ、エグロン)が同盟を結成
- 理由:ギブオンがイスラエルと平和条約を結んだため
- 彼らはギブオンを攻撃
- ギブオンからの救援要請
- ヨシュアの夜襲と神の奇跡(雹、太陽と月が止まる)
- 5人の王の処刑
征服された都市(順番):
- マケダ(10:28)
- リブナ(10:29-30)
- ラキシュ(10:31-32)
- ゲゼル(援軍として来たが敗北、10:33)
- エグロン(10:34-35)
- ヘブロン(10:36-37)
- デビル(10:38-39)
「イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである」(10:42)
🏔️ マタイ5章:山上の説教の実践
心に留まった教え
1. 戒めを教えることの重要性(5:19)
「これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。」
律法の精神を大切にする教えです。形式的な遵守ではなく、心からの従順が求められています。
2. 兄弟姉妹への愛(5:22)
「兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。」
正直な気持ち: 兄弟姉妹に対しての愛が難しい時があります。主の愛で愛せますように。
これは私たちの力ではできません。しかし、御霊によって可能になります(ローマ5:5)。
3. 自分を清く保つこと(5:29-30)
「もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。」
祈り: 自分を清く保つことができますように。
4. 誓いについて(5:36-37)
「自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。」
個人的な悩み: ブログの予告について考えました。予告通りにできないから、誓いはしない方が良いと思います。でも、予告だからいいのか…気が変わったとすれば…
理解: イエスの教えは、誓いそのものを禁じるのではなく、軽々しい誓いを戒めているのです。
「はい」と言ったことは誠実に実行し、できないなら初めから「はい」と言わない、という単純な誠実さです。予定が変わることは人生にはありますから、「予定」として伝え、確約としない配慮をすれば良いでしょう。
「次回は○○について書く予定です」は誓いではありません。
まとめ
今日の通読を通して、以下のことを学びました:
創世記5章から
- 男女として創造されたことに、神の似姿の完全な表現がある
- エノクの生涯は、神と共に歩む信仰の模範
- メトシェラの969年の生涯は、神の忍耐の証
ヨシュア記9-10章から
- 神は400年以上も悔い改めの機会を与えられた
- 平和を求めた者(ギブオン、ラハブ)は救われた
- 聖絶は、子どもを犠牲にする制度を終わらせるための神の裁き
- 神は正義と憐れみの両方を完璧に示される
マタイ5章から
- 律法の精神を心から守ることの重要性
- 兄弟姉妹への愛は御霊によって可能になる
- 誠実さは単純明快:「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」
最後に
聖書を読むとき、疑問を持つことは悪いことではありません。むしろ、疑問を持ち、深く調べることで、神の性質と計画をより深く理解できるのです。
今日の学びが、皆さんの聖書理解の助けになれば幸いです。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」(マタイ5:16)
聖書箇所:新改訳2017
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