御顔を拝する恵み
主イエスは、私たちが父なる神の御顔を拝することができるように、ご自分を犠牲にされました。
十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたとき、御子は父の御顔が隠される経験をされました。それは私たちが経験すべきだった断絶でした。
今、主イエスの十字架の御業のゆえに、天の父なる神と、十字架のゆえに神の子とされた私たちとの間には交わり(交通)があります。
アロンの祝福に出てくる「御顔」(パニーム)は、単に視覚的に見ることではなく、関係の回復、受容、赦しを意味します。この祝福は、キリストにあって成就した現実なのです。
(※「父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる」というマラキ4:5-6の約束については、冨田愼悟牧師のマナメールもご覧ください)
✡ アロンの祝福
民数記6:24-26 — ヘブライ語構造と十字架による成就
🔑 鍵となる言葉:御顔(パニーム)
関係の回復・受容・赦し・親密さを意味する
神がモーセに「顔と顔を合わせて」語られたように(出エジプト33:11)
顔を見ることは親密な交わりの象徴
✨ 御顔を照らす・向ける
光・祝福・平安
関係の回復
神との親密な交わり
🌑 御顔を隠す
裁き・断絶・見捨てられる
関係の破綻
神との分離
十字架による成就
イエスが「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたとき、
御子は父の顔が隠される経験をされた。
それは私たちが経験すべきだった断絶。
その瞬間があったからこそ、今、私たちはアロンの祝福を
自分のものとして受け取れる。
🌟 成就した現実
「主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように」
「主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」
これはもはや願望ではなく、
キリストにあって成就した現実。


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