今日の通読箇所は、創世記46章28節から34節 第二列王記25章 第一歴代誌1章 マルコ14章1節から26節ですが、今日も盛りだくさんなので①②③④に分かれて投稿します。年末出血大サービス!!。。。といいますか、後で私自身が復習する時に、調べやすいように、分けて書いております。このブログ私の備忘録と言う機能もあります。 (#^.^#)
2025年12月31日
目次
はじめに
今日は2025年最後の通読です。創世記46章は、ヤコブ一家のエジプト移住という歴史的転換点を描いています。22年間死んだと思っていた息子ヨセフとの再会、そしてエジプトでの生活を守るためのヨセフの知恵深い戦略が記されています。
本日の聖書箇所
創世記46:28-34(新改訳改訂第3版)
28節 さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わしてゴシェンへの道を示させた。それから彼らはゴシェンの地に行った。
29節 ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた。
30節 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」
31-32節 ヨセフは兄弟たちや父の家族の者たちに言った。「私はパロのところに知らせに行き、申しましょう。『カナンの地にいた私の兄弟と父の家族の者たちが私のところに来ました。この人たちは羊を飼う者です。家畜を飼っていた者です。彼らは、自分たちの羊と牛と彼らのものすべてを連れて来ました。』」
33-34節 「パロがあなたがたを呼び寄せて、『あなたがたの職業は何か』と聞くようなときには、あなたがたは答えなさい。『あなたのしもべどもは若い時から今まで、私たちも、また私たちの先祖も家畜を飼う者でございます』と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住むことができるでしょう。羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌みきらわれているからです。」
22年越しの再会
「泣き続けた」の意味
29節の「父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた」という描写は、原語で深い意味を持っています。
ヘブル語で「泣く」は בָּכָה(バーカー)ですが、ここでは強調形が使われています。これは単なる涙ではなく、抑えきれない感情の爆発を表しています。
ヨセフは17歳で兄たちに売られ、この時点で39歳前後。エジプトの宰相として権力の頂点にいる男が、父を見た瞬間、地位も体裁も忘れて「泣き続けた」のです。
「もう今、私は死んでもよい」
ヤコブのこの言葉は絶望ではありません。これは満たされた魂の告白です。
この言葉は、後にシメオンが幼子イエスを抱いて語った言葉と響き合います。「主よ。今こそあなたは、しもべを安らかに去らせてくださいます」(ルカ2:29)。人生で本当に大切なものを見た時、人は「もう死んでもいい」と言えるのです。
私たち信仰者にとって、それは復活の主に会う日かもしれません。その日、私たちは「もう死んでもよい」ではなく、「ついに本当に生き始める」と言えるのではないでしょうか。
羊飼いへの差別問題
なぜエジプト人は羊飼いを忌み嫌ったのか
34節の「羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌みきらわれている」という記述は、当時の社会的偏見を反映しています。その理由として以下が考えられます。
1. 宗教的理由 ― エジプトでは羊(特に雄羊)はアメン神など複数の神々の聖獣とされていました。それを屠殺する羊飼いは冒涜的に見えた可能性があります。
2. 遊牧民への偏見 ― 定住農耕文明のエジプト人にとって、遊牧民は「野蛮」「不潔」という偏見の対象でした。
3. ヒクソスの記憶 ― 羊飼いを含む遊牧民系のヒクソスがエジプトを支配した歴史(紀元前17-16世紀頃)への反感があったと考えられます。
現代にも通じる問題
羊飼いがいなければ、食料(羊肉)にも困り、毛糸を着ることもできません。それなのに羊飼いを忌み嫌うというのは、矛盾した傲慢さです。
これは現代社会にも通じる問題ではないでしょうか。ホワイトカラーが現場の仕事を下に見る傾向がありますが、現場あっての経営です。職業で人を差別することの愚かさを、この箇所は静かに指摘しています。
ヨセフの知恵深い戦略
ヨセフの対応には深い知恵があります。彼はエジプト人の偏見を逆手に取りました。
ゴシェンの地の確保 ― 「羊飼いは忌み嫌われている」からこそ、エジプト人は彼らと離れて住みたがる。結果として、ナイル川デルタの肥沃な土地ゴシェンをイスラエル一家が独占できる。
民族的アイデンティティの保護 ― エジプト人と混ざらないことで、イスラエル民族としてのアイデンティティを守ることができる。後の出エジプトの伏線となる。
ここに神の摂理を感じます。人間の偏見や差別さえも、神は民を守るために用いられるのです。
今日の適用
1. 再会の希望を持ち続ける ― ヤコブは22年間、ヨセフは死んだと思っていました。しかし神は再会を備えておられました。私たちも「もう終わった」と思える状況で、神の逆転を期待できます。
2. 感情を正直に表す ― エジプトの宰相であるヨセフが、地位も体裁も忘れて泣いた姿は美しいです。大切な人の前では、強がらず正直でいることの大切さを教えられます。
3. 偏見を超えて人を見る ― 職業や社会的地位で人を判断しない。すべての仕事には価値があり、神の前に貴い存在です。
4. 逆境を知恵に変える ― ヨセフは差別を嘆くのではなく、それを家族を守る戦略に変えました。困難な状況でも、神が備えてくださる道があることを信じましょう。
まとめ
創世記46章は、22年の歳月を超えた親子の再会という感動的な場面と、異国での生存戦略という現実的な知恵が交差する箇所です。
ヤコブの「もう今、私は死んでもよい」という言葉は、人生で本当に大切なものを見た満足を表しています。そしてヨセフの知恵は、どんな状況でも神が道を備えてくださることを示しています。
2025年最後の日に、この箇所を読めることを感謝します。新しい年も、神の摂理を信じて歩んでいきましょう。
祈り
天の父なる神様。22年越しの再会を果たしたヤコブとヨセフの姿を通して、あなたの真実さを教えてくださりありがとうございます。どんなに長い時間が経っても、あなたは私たちを忘れず、最善の時に最善のことをしてくださるお方です。
職業や地位で人を差別してしまう私たちの傲慢さを赦してください。すべての人があなたの前に等しく尊い存在であることを覚えさせてください。
新しい年に向かう私たちを導いてください。困難があっても、あなたの知恵をいただいて乗り越えていくことができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。



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