福音宣教—ダビデの幕屋の完成

ダビデ自体の二つの礼拝場所 ダビデの幕屋

使徒15章が示す礼拝の究極の目的

序論:なぜ第9部が必要だったのか

第1部から第8部まで、私たちはダビデの幕屋について学んできました。

第1-2部で「何か」「誰が」を学び、第3-5部で「復活信仰」という核心を掘り下げ、第6-7部で「礼拝の完成形」を見て、第8部で「霊と真による礼拝」という本質に到達しました。

しかし、一つの問いが残っていました。

「それは何のためか?」

ダビデの幕屋の回復、霊と真による礼拝、異邦人の包含—これらすべては、どこに向かっているのでしょうか。その答えが、使徒15:16-17にあります。

第一章:使徒15:16-17—ダビデの幕屋回復の目的

エルサレム会議で、ヤコブはアモス書を引用してこう語りました。

「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。」(使徒15:16-17)

注目すべきは「それは…ためである」という目的節です。ダビデの幕屋の回復には、明確な目的がありました。異邦人が主を求めるようになるため—つまり福音宣教です。

第二章:エルサレム会議の文脈

なぜヤコブはこの箇所を引用したのでしょうか。

エルサレム会議(使徒15章)は、初代教会史上最初の公会議でした。議題は「異邦人クリスチャンは割礼を受けるべきか」という問題でした。つまり、この会議のテーマは異邦人への福音宣教をどう進めるかだったのです。

その文脈で、ヤコブは「ダビデの幕屋の回復」を引用しました。これは偶然ではありません。ダビデの幕屋の回復と福音宣教は、神のご計画の中で一つにつながっているのです。

第7部で学んだオベデ・エドム(異邦人)がダビデの幕屋で共に礼拝したことは、この真理の予表でした。

第三章:「主の名で呼ばれる異邦人」とは

使徒15:17の「わたしの名で呼ばれる異邦人」という表現に注目しましょう。これは誰のことでしょうか。

クリスチャン(キリスト者)です。

「キリスト者」という名称は、使徒11:26で初めて登場します。アンティオキアで弟子たちが初めて「クリスチャン」と呼ばれるようになった、と。

つまり「主の名で呼ばれる異邦人」とは、福音を聞き、キリストを知り、キリストを信じ、キリストを内に宿し、キリストに従う者となる—そのような人々のことです。

そして、主の名で呼ばれるようになった人々が、今度は福音を宣べ伝える者となる。この連鎖が、ダビデの幕屋の完成なのです。

第四章:マタイ24:14—終末の使命

「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(マタイ24:14)

ダビデの幕屋の教会には、終末論的な使命があります。福音が全世界に宣べ伝えられること—これが私たちの召しです。

稲福先生はYouTubeメッセージで独創的な洞察を語っておられます。黙示録13章の666と、第一サムエル17章のゴリアテの身長(6キュビト半)、鎧の重さ、槍の穂先(600シェケル)という数字の対応から、ダビデ vs ゴリアテの物語が終末の教会と反キリストの戦いの予表であることを示されました。

多くの教会は「携挙が艱難前だから反キリストを心配しなくていい」と教えています。しかし聖書は携挙の正確な時期を明示していません。もし私たちが反キリストの時代に生きることになったとしても、ダビデの幕屋の教会は恐れません。

なぜなら、神の召し—福音宣教—を日々全うしているからです。

ダニエル3章の3人のヘブル人を思い出してください。彼らはネブカデネザルの像を拝まず、火の炉に投げ込まれました。しかしイエス様が彼らと共におられ、傷一つなく出てきました。終わりの時代にも同じことが起こります。使命を果たしている者は、恐れる必要がないのです。

第五章:福音宣教の多様な形

福音宣教は、海外宣教師になることだけではありません。

証し、書籍、ブログ、YouTube、日々の生活で自分自身が主につながっていること—これらすべてが福音宣教の形です。

詩篇37:3は言います:

「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。」

「地に住み誠実を養う」—これも福音宣教の一形態です。主につながり、日々誠実に歩む中で、主が私たちを「通り良き管」として用いてくださる。

第六章:執り成しの祈り—もう一つの福音宣教

み霊によって導かれる祈りもまた、福音宣教です。

未信者の家族のため、教会学校の子どもたちのため、まだ救われていない人々のため—祈ることは、たくさんありますね。

私たち一人ひとりが書くブログ、語る証し、捧げる祈りによって、救われる魂が起こされますように。

結論:ダビデの幕屋の完結

異邦人の包含という「種」(第7部:オベデ・エドム)が、福音宣教という「実」(第9部)になる。

そして使徒15:17の預言が成就する:

「わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるため」

これがダビデの幕屋の完結です。

自分一人でなく、主の愛に包まれて励まされ、全ての人に福音を、主の愛を、主の心、ダビデの幕屋の心を届ける。

詳しくはダビデの幕屋シリーズ第1部から第8部をお読みください。

祈り

主よ、

ダビデの幕屋を建ててくださり、

その回復の目的を示してくださり、

ありがとうございます。

私たちが、

霊と真による礼拝者であると同時に、

福音を宣べ伝える者となれますように。

日々の生活の中で、

ブログを通して、

それぞれの召しを全うすることによって

祈りを通して、

主の愛を届ける者とならせてください。

全世界に福音が宣べ伝えられ、

すべての国民にあかしされる日まで。

イエス・キリストの御名によって。

アーメン。

【ダビデの幕屋シリーズ 完】

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