はじめに
今日の通読は、創世記34章(ディナ事件)、列王記第一2-3章(ダビデの遺言とソロモンの知恵)、マルコ2章後半(安息日論争)です。
一見バラバラに見えるこれらの箇所に、一つの共通テーマが浮かび上がってきました。
それは 「聴く」ということ です。
創世記34章 ― 沈黙するヤコブ、声なきディナ
事件の概要
ヤコブの娘ディナが、その土地の族長ハモルの息子シェケムに暴行されます。シェケムはその後ディナを愛し、正式に結婚を申し込みました。しかしヤコブの息子たち(特にシメオンとレビ)は、割礼を条件にした「悪巧み」(בְּמִרְמָה/ベミルマー)を企て、傷が痛む三日目にシェケムの町の男子全員を虐殺しました。
「敬われていた」シェケムの矛盾
34:19に、シェケムは「父の家のだれよりも敬われていた」とあります。
ヘブライ語で「敬われる」は נִכְבָּד(ニフバード)。語根 כָּבֵד(カーベード) は「重い、栄光ある」という意味です。
しかし同じ語根は「鈍い、重い」という否定的な意味も持ちます。イザヤ6:10では「耳が重い(כָּבֵד אֹזֶן)」、つまり「聴けない」状態を表現しています。
人に敬われて「重く」なった者が、神の声も、相手の尊厳も「聴けなく」なってしまった ― そんな皮肉がここに隠れているのかもしれません。
父ヤコブの沈黙
私がこの章で最も心に引っかかったのは、34:5の記述です。
ヤコブも、彼が自分の娘ディナを汚したことを聞いた。息子たちはそのとき、家畜といっしょに野にいた。ヤコブは彼らが帰って来るまで黙っていた。
娘が暴行されたと聞いて、ヤコブは沈黙した。
そして虐殺の後、彼の言葉は「あなたがたは私をこの地の住民の憎まれ者にしてしまった」(34:30)。「私を」「私には」…ディナへの言葉は一つもありません。
息子たちの反論が突き刺さります。
「私たちの妹が遊女のように取り扱われてもいいのですか」(34:31)
ヤコブはなぜ沈黙したのか
最初、私はこう考えました。ディナはレアの娘です。ヤコブはラケルを愛し、レアを愛さなかった。もしこれがラケルの娘だったら、ヤコブの反応は違ったのではないか、と。
しかし、よく考えると、それは表面的な見方かもしれません。
ヤコブは誰よりも「欲望」と「罪」と「その結果」を知っていた人でした。
- 兄エサウの長子の権利を奪った
- 父イサクを欺いた
- 叔父ラバンに欺かれた
- レアとラケルの間で引き裂かれた
彼は「欺く者」(ヤアコブ)という名前そのものの人生を歩んできました。
だからこそ、シェケムの行為を聞いた時、何を言えばいいか分からなかったのかもしれません。自分自身の過去が、裁く言葉を奪ったのかもしれません。
- 怒ればいいのか?
- 許せばいいのか?
- 戦えばいいのか?
- 交渉すればいいのか?
息子たちが帰ってくるまで黙っていたのは、判断を息子たちに委ねたかったのか、それとも判断できなかったのか。
聖書はヤコブの内面を記録していません。だから私たちには分かりません。
ただ一つ言えるのは、ヤコブの沈黙は「愛情がなかったから」とは限らないということです。むしろ、何をどうすればいいか分からなかった一人の父親の姿がそこにあるのかもしれません。
声なき者の叫び
ディナ自身の言葉は、この章に一つも記録されていません。
彼女は「出かけた」「捕らえられた」「連れ出された」― すべて受動態。行為の対象であって、主体ではありません。
傷ついた人が言葉を失うこと。それは今も昔も変わりません。
聖書は、こうした「沈黙」も正直に記録しています。ヤコブの沈黙も、ディナの沈黙も。
ヤコブもディナも、それぞれの痛みの中にいた。私たちは裁くことはできません。ただ、その痛みに心を寄せることはできます。
そして、この箇所は私たちに問いかけます。
私たちは誰の声を聴いていないだろうか?
列王記第一2章 ― ダビデの遺言とソロモンの王国確立
ダビデの遺言
死を前にしたダビデは、ソロモンに二種類の遺言を残しました。
積極的な勧め(2:2-4):
「強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主の道を歩まなければならない」
未解決の問題の処理(2:5-9): ヨアブ、シムイへの対処を指示し、バルジライの子らへの恩義を忘れないよう命じました。
シムイへの誓いの背景
ダビデはかつて、シムイを「主にかけて殺さない」と誓いました(2サムエル19章)。しかしそれは、アブシャロムの反乱から戻る際、民心を取り戻す必要があった政治的状況でのことでした。
真っ先に謝罪に来た者を処刑すれば、「赦しを求めて来た者を殺す王」という印象を与えてしまう。だからあの時点では赦した。
しかしダビデの心の中では、油注がれた者への呪いは決して忘れられませんでした。だからソロモンへの遺言となったのです。
ソロモンの王国確立
ダビデの死後、ソロモンは王国を確立するために、いくつかの決断を下しました。
| 人物 | 立場 | 処分 | 理由 |
| アドニヤ | 兄・元王位継承者 | 処刑 | アビシャグを求めた(王位主張と解釈) |
| エブヤタル | 祭司 | 追放(アナトテへ) | アドニヤ派。過去の功績で死刑免除 |
| ヨアブ | 将軍 | 処刑 | アブネル・アマサ虐殺+アドニヤ派 |
| シムイ | ベニヤミン人 | 処刑 | 約束を破りガテへ出た |
バテシェバの「聴けなかった」耳
興味深いのは、アドニヤがバテシェバを通じてアビシャグを求めた場面です(2:13-22)。
バテシェバは「小さなお願い」と思って仲介しましたが、ソロモンは即座にその政治的意図を見抜きました。古代近東では、先王の側室を得ることは王位継承権の主張を意味したからです(2サムエル16:21-22参照)。
バテシェバは言葉の表面しか聴いていなかった。ソロモンは言葉の奥にある意図を聴き分けた。ここにも「聴く力」の差が表れています。
エリの家への預言の成就
2:27で、エブヤタルの罷免によって「シロでエリの家族について語られた主のことばが成就した」と記されています。これは1サムエル2:27-36の預言の成就です。神の言葉は、時を経ても必ず実現することを示しています。
列王記第一3章 ― 「聴く心」を求めたソロモン
「高き所」とギブオン
3:2-4に「高き所」(בָּמָה/バーマー)での礼拝が記されています。
本来、申命記12章では「主が選ぶ場所」での礼拝が命じられていました。しかし神殿建設前は、高き所での礼拝も許容されていました。
ギブオンが「最も重要な高き所」と呼ばれた理由は、モーセの幕屋(会見の天幕)がそこにあったからです(歴代誌第一21:29、歴代誌第二1:3-6)。
この時期、契約の箱はダビデの町(エルサレム)に、幕屋はギブオンにと、分離した状態でした。ソロモンの神殿建設によって、ようやく再統合されることになります。
ソロモンの願い ― לֵב שֹׁמֵעַ(レーヴ・ショーメーア)
ギブオンで主が夢に現れ、「何を与えようか。願え」と言われた時、ソロモンはこう答えました。
「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」(3:9)
ヘブライ語で לֵב שֹׁמֵעַ(レーヴ・ショーメーア)。直訳すると「聴く心」です。
שָׁמַע(シャーマ) は旧約聖書で約1,100回以上使われる重要な動詞です。日本語の「聞く」よりもはるかに広い意味を持ちます。
| 段階 | 意味 |
| 1 | 音を耳で聞く |
| 2 | 注意を向けて聴く |
| 3 | 内容を理解する |
| 4 | 心に受け止める |
| 5 | 応答する・従う |
つまり「シャーマ」は、聞いて終わりではなく、聞いたことに応答するところまで含む言葉です。
「シェマの祈り」(申命記6:4)の「シェマー・イスラエル(聞け、イスラエル)」も同じ語根。ユダヤ人が毎日唱えるこの祈りは、単に「聞きなさい」ではなく「聴いて、心に刻み、従いなさい」という呼びかけです。
二人の遊女の裁判
ソロモンに与えられた「聴く心」は、すぐに試されます(3:16-28)。
二人の遊女が一人の赤ん坊を巡って争った時、ソロモンは「剣で子を二つに断ち切れ」と命じました。
すると本当の母親は叫びました。
「どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください」(3:26)
ソロモンは、この叫びの中に本当の母の心を聴き分けました。言葉の表面ではなく、言葉の奥にある愛を聴いたのです。
これこそ「レーヴ・ショーメーア」― 声なき者の本当の叫びを聴く心でした。
マルコ2章 ― 聴く耳を持たないパリサイ人
安息日論争
弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだことを、パリサイ人は非難しました(2:23-24)。
彼らは律法の文字を「聞いて」いました。しかし、その本当の意図を「聴いて」いなかった。
イエス様は答えられました。
「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません」(2:27)
律法の文字に縛られて、律法を与えた神の心を聴けなくなっていたパリサイ人。ここにも「聴く」ことの本質が問われています。
新しいぶどう酒と新しい皮袋
2:21-22で、イエス様は「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」と語られました。
古い皮袋(固定観念、形式主義)では、新しいぶどう酒(福音の恵み)を受け止められない。
「聴く心」とは、柔軟な心、神の新しい語りかけを受け止められる心でもあるのです。
今日の通読を通しての洞察
今日の箇所全体を通して、「聴く」ということの重要性が浮かび上がってきました。
| 人物 | 「聴く」姿勢 | 結果 |
| シェケム | 欲望の声しか聴かなかった | 破滅 |
| ヤコブ | 何を言えばいいか分からず沈黙した | 家族の悲劇 |
| シメオン・レビ | 怒りの声に従った | 過剰な暴力 |
| バテシェバ | 言葉の表面しか聴かなかった | 意図せず陰謀に加担 |
| パリサイ人 | 律法の文字だけを聴いた | 神の心を見失った |
| ソロモン | 「聴く心」を求めた | 神の知恵を得た |
| 遊女の母親 | 子への愛の声に従った | 子を取り戻した |
創世記34章でヤコブに欠けていたもの、それがソロモンに与えられた「聴く心」だったのかもしれません。
適用 ― 私たちへの問いかけ
サムエルは少年の時、こう祈りました。
「主よ、お話しください。しもべは聞いております」(1サムエル3:9)
ヘブライ語で דַּבֵּר יְהוָה כִּי שֹׁמֵעַ עַבְדֶּךָ(ダベール・アドナイ・キー・ショーメーア・アヴデハー)。
「ショーメーア」は分詞形で、「聴き続けている」「聴く姿勢でいる」という継続的な状態を表しています。
私たちも日々、この祈りをもって聖書を開きたいと思います。
そして同時に、自分自身に問いかけたいのです。
私は誰の声を聴いていないだろうか?
沈黙している人、声を上げられない人、傷ついているのに言葉にできない人。
「レーヴ・ショーメーア」(聴く心)は、単に知恵ある判断をするためだけではなく、聴こえない声を聴くために必要なのかもしれません。
聖書初心者の方にもわかりやすくnoteの方で記事を書いています。
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