聖書の名言 出会い【英語有】マタイ3章 悔い改めの実と恵み

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イエスの獅子と羊の顔 マタイの福音書
マタイ2章はイエス様がお生まれになった頃のことでした。
マタイ3章はイエス様が公生涯をはじめられるところです。
イエス様は、およそ30歳から宣教をはじめられたとルカ3:23に記してありますので、
2章のお生まれから時は30年が過ぎています。

聖書の名言「出会い」マタイ3:1-12 バプテスマのヨハネの叫ぶ声

お花
そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、 「悔い改めよ、天国は近づいた」。(マタイ3:1-2)
 In those days came John the Baptist, preaching in the wilderness of Judaea,
And saying, Repent ye: for the kingdom of heaven is at hand.
イエス様のお働きの前に、ヨハネという人が、現れ「悔い改めよ。・・・」と叫びます。
これは旧約聖書で預言されていることです。

3:3預言者イザヤによって、

「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ』」

と言われたのは、この人のことである。(マタイ3:3)

【KJV】
Mat For this is he that was spoken of by the prophet Esaias, saying, The voice of one crying in the wilderness, Prepare ye the way of the Lord, make his paths straight.
3:4このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。(マタイ3:4)
 And the same John had his raiment of camel’s hair, and a leathern girdle about his loins; and his meat was locusts and wild honey.
ヨハネという人は、質素な生活をしていました。
 すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、 3:6自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
                            (マタイ3:5-6)
 Then went out to him Jerusalem, and all Judaea, and all the region round about Jordan,
And were baptized of him in Jordan, confessing their sins.
エルサレムとユダヤの人々は、幼いころから聖書に親しんでいたので、
このヨハネが、来るべき救い主だと思って喜んでいましたが・・・

聖書の名言「出会い」マタイ3章 悔い改めの実

感謝
 ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。(マタイ3:7-9)
But when he saw many of the Pharisees and Sadducees come to his baptism, he said unto them, O generation of vipers, who hath warned you to flee from the wrath to come?
Bring forth therefore fruits meet for repentance:
And think not to say within yourselves, We have Abraham to our father: for I say unto you, that God is able of these stones to raise up children unto Abraham.
パリサイ人とは、旧約聖書の教えに忠実なユダヤ教の一派でしたが、聖書の教えの本質を離れ、救いは聖書の律法を厳格に守らなければならないと、自分たち自身も守れない厳しい戒律を人々にも強要していました。
サドカイ人はそもそも宗教的見解を持たず、政治的なグループで、奇跡や、未来に起きる神の裁き、復活、天使、永遠の霊、などを信じていませんでした。神の教えには従っているように見えても実際は多くの教えを否定していました。
ヨハネという人は、とても勇気のある人です。当時有力だった、パリサイ人やサドカイ人達を「口先だけではいけない、悔い改めたのなら行動で示せ」と真っ向から諫めています。普段は質素な生活をし、発言しなけらばならない時は忖度なしで、命がけで率直に語り、しかも、自分を崇めさせるのではなく、愛をもって、皆を救い主イエス・キリストへと導きます。
自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
                              (マタイ3:9)
 And think not to say within yourselves, We have Abraham to our father: for I say unto you, that God is able of these stones to raise up children unto Abraham.
これは、ユダヤ、イスラエルの人々への警告であると同時に、捨てられた道端の石ころのような異邦人が、逆に恵まれてアブラハムに約束された祝福を受けるという預言でもあります。
また私達への当てはめとしては、クリスチャンであるということを特権階級のように受け取り思いあがって、ユダヤ人の愚かさに続いてはならない、立場、地位から離れ、主のみ前に素朴にありのままを内省する者であるようにとの主の願いも込められていると思います。地位や自分を誇るものは、恵みを受けることができません。
主は初めから、宗教学者や神殿の祭司たちではなく、主を礼拝することを求めて来た異邦人の博士(東の方から来た博士)や社会的身分の低いベツレヘムの羊飼いたちにご自分の姿を現されたことを忘れてはならないと思います。
 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。(ガラティア3:14)
 That the blessing of Abraham might come on the Gentiles through Jesus Christ; that we might receive the promise of the Spirit through faith.
後にパウロがこのように解き明かしています。
斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。 (マタイ3:10)
And now also the axe is laid unto the root of the trees: therefore every tree which bringeth not forth good fruit is hewn down, and cast into the fire.
形式的に上辺で、宗教熱心に見せかけても、真実な悔い改めのない者、実を結ばない者(行いのともなわない者)は、裁かれます。
斧がすでに根元に置かれているというのは、ユダヤ人の滅亡の日が近いと警告した預言ですが、
それは、私達すべての人に対する警告でもあります。

聖書の名言「出会い」マタイ3章:悔い改め、水と聖霊と火のバプテスマは恵

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わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。 (マタイ3:11)
I indeed baptize you with water unto repentance. but he that cometh after me is mightier than I, whose shoes I am not worthy to bear: he shall baptize you with the Holy Ghost, and with fire:
自分の後にくる、主イエスこそキリストであって、
洗礼者ヨハネはキリストの道を用意する人間に過ぎないのだと、
ここでヨハネは、自分が来るべきキリストではないことをきっぱり伝えています。
水のバプテスマは悔い改めて、新しく生まれ変わった証に受ける洗礼です。
聖霊と火によるバプテスマは、主イエスご自身が授ける洗礼です。
聖められて、聖霊に満たされることです。
主イエスが復活され昇天された後、弟子たちが集まって心ひとつにして祈っていた時に受けた恵みのことです。聖霊と火によるバプテスマを受けた弟子たちは、聖霊の力を受け、強くなり、多くの神の業が現れる者と変えられていきました。

聖書の名言 出会い:聖霊様と毎日出会いたいです(クリスチャンへ)

私達は、ただ異言で祈るだけで満足しないで、弟子たちのように、力強い聖霊の力を受け、神の業が次々に現れる通り良き管となっていきたいと願います。
ワクワクします。・・・イエス様の弟子たちである、12使徒の時代には、そこにいる病人が全員癒されました。全員です。弟子たちの霊性にまで私達が回復していきますように。
日々聖霊様の助けをいただき罪について、義について、さばきについて、その誤りを悟らせていただき、罪を悔い改め、主イエスの血潮によって聖められ、主に献身する者となれるよう祈りましょう。
聖霊に満たされて、主の働きをするのは、あなたかも知れません。

聖書の名言「出会い」マタイ3章:主イエスも洗礼を受ける。天からの声

そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。
                                (マタイ3:13-15)
 Then cometh Jesus from Galilee to Jordan unto John, to be baptized of him.
But John forbad him, saying, I have need to be baptized of thee, and comest thou to me?
And Jesus answering said unto him, Suffer it to be so now: for thus it becometh us to fulfil all righteousness. Then he suffered him.
イエス様が水の洗礼を受けられたのは、罪があって悔い改めたからではなく、正しいことを実現するためです。後に主イエスは十字架で死んで、罪人の受けるべき刑罰を受けられました。
そのことの故に、この時、罪人のようになって、バプテスマ(水の洗礼)と受けられたのです。

聖書の名言「出会い」マタイ3章:主イエスは生きる神のみ言葉

 イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。 (マタイ3:16)
 And Jesus, when he was baptized, went up straightway out of the water: and, lo, the heavens were opened unto him, and he saw the Spirit of God descending like a dove, and lighting upon him:
鳩は平和の象徴です。12使徒たちはイエス様が復活の体で天に帰られた後、聖霊は内なる汚れを焼き尽くす聖める火としてくだってきましたが、主イエスには罪も汚れもないので、平和の霊として下りました。
また、主イエスは生けるみ言葉です。み言葉の上に聖霊が望むことを表しています
日々聖書のみ言葉に触れることを積み重ね、み言葉がマーライオンのように口から溢れるほどに心に満ちるとそこに聖霊様が下り恵みを受けます。聖書の通読を続けましょう。
1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1:2この言は初めに神と共にあった。 (ヨハネ1:1-2)
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
The same was in the beginning with God.

聖書の名言「出会い」マタイ3章:天からの声

3:17また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。  
                                 (マタイ3:17) 
 And lo a voice from heaven, saying, This is my beloved Son, in whom I am well pleased.
神様が、「これは私の愛する子」と天から証されました。
主イエスを信じて従う者は、主イエスをこの身に着ています。
私達にも神様に愛され、主イエスの故に「あなたは私の愛する子」と
今日も天からおっしゃってくださっています。
主イエスを信じる者は神の子どもです。
 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。(ローマ8:14-15
For as many as are led by the Spirit of God, they are the sons of God.
For ye have not received the spirit of bondage again to fear; but ye have received the Spirit of adoption, whereby we cry, Abba, Father.
主イエスの十字架の血潮の故に信じる私たちは神の子どもであることを感謝いたします。
主が死とよみに打ち勝って永遠に生きる道をつくられたことを感謝いたします。
これは社会的地位や、富や、能力に関係なく、
信じる私達に平等に与えられていることを感謝いたします。
ハレルヤ! アーメン! \(^o^)/

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