サタンの策略に打ち勝つ方法「赦し」第2回
目次
「何度赦しても、また思い出してしまう…」継続的な赦しの力
サタンの策略に打ち勝つ方法「赦し」第2回
シリーズ進行状況
✅ 第1回:サタンの策略の正体を知る
📍 第2回:具体的な赦しの実践方法
⏳ 第3回:ヨセフに学ぶ忘れることと祝福
⏳ 第4回:神が信頼する人の特徴
⏳ 第5回:主イエスの心という宝
😤 「赦したはずなのに、また思い出してしまう…」
前回の記事を読んで、「よし、赦そう!」と決心された方も多いと思います。
でも、こんな経験はありませんか?
でもクリスチャンになってから、悪に悪を持って関わらない事を覚え、何度も色んな事を赦しましたが、思い出し・・・の繰り返し
赦すって難しいです。
「昨日は平安だったのに、今朝また同じ人のことを思い出して腹が立ってきた…」
「もう赦したはずなのに、なんでまた悔しい気持ちが湧いてくるの?」
「私の赦しって、本物じゃないのかな?」
💡 実は、これが普通なんです
多くのクリスチャンが「一回赦したら、もう怒りは湧かないはず」と思い込んでいます。でも聖書は違うことを教えています。
赦しは一回の決断ではなく、継続的な選択なのです。
🔍 「χαρίζομαι」が明かす赦しの本質
(charizomai) = 赦す
📝 語根:χάρις (charis) = 恵み、好意、贈り物
英語の「charity」(慈愛)、「charisma」(賜物)の語源
💰 商業用語としての意味:
「負債を帳消しにする」「借金を棒引きする」
古代ギリシャの商業文書で実際に使われていた専門用語
🎁 恵みとしての意味:
「恵みとして与える」「贈り物として提供する」
義務や強制ではなく、自発的な愛の行為
✅ 革命的な意味:
「許可する」「承認する」「同意する」
相手の幸せと成功を積極的に許可する行為
⚡ 富田愼悟先生の洞察の深さ
「赦すとは『許可する』と言う意味でもあります。つまり相手が主により祝福され、使命の中に生き、神の計画がその相手の内に回復することを許可することでもあります。」
この洞察は、ギリシャ語χαρίζομαιの本質を完璧に捉えていたのです!
🙏 段階的な赦しの実践プロセス
富田先生が教える3つの段階
正直な告白
「赦すことが出来ない自分自身の頑固さや、肉と罪の性質を正直に主の御前で告白する」
📖 具体的な祈りの例
「主よ。私はあの人に対して傷つき、怒りと赦せない思いがあります。赦すことは大切だと知っていますが、私の内にはその力が無いことを認めます。私自身のこの肉と罪の性質を赦し、主イエスの血潮により洗い、聖めて下さい。」
超自然的な力の体験
「主イエスの恵みとあわれみによって超自然的な赦しの力が私たちの内に臨む」
継続的な宣言
「続けて赦しを宣言し、その相手を主イエスの御名によって祝福して祈る」
💫 私の実際の体験
それが、何度も何度も、赦すことを繰り返しているうちに、マナセと、エフライムの話や許せない傷にサタンが付け入る事を知り、
忘れることを教えられ、忘れてから祝福がある、主は私の罪を後ろに投げやって決して思い出さないとおっしゃってくださっているのを知り。
出来なくても、愛せなくても、赦し、祝福を祈りました。
📜 宣言の祈りの聖書的根拠
⚖️ 権威の委譲(マタイ18:18)
解釈:私たちの赦しの宣言には、天の権威が伴う
🏔️ 信仰の宣言(マルコ11:23-24)
解釈:サタンの要塞という「山」に向かって、「動け!」と宣言する権威
⚔️ 霊的武器(2コリント10:4-5)
解釈:赦しの祈りは、霊的な武器として要塞を破壊する
🔄 なぜ赦しは継続的でなければならないのか
🧠 記憶のメカニズム
感情的な記憶は簡単には消えません。特に強い感情を伴った記憶は、脳の扁桃体に深く刻まれ、何かのきっかけで蘇ってきます。
これは人間の正常な機能であり、記憶が蘇ること自体は罪ではありません。
🔢 「七十七回」の意味(マタイ18:22)
解釈:これは「無限に赦し続けよ」という意味。一回で終わらないのが当然
🌱 友喜の継続体験
「昨日赦しの祈りをして心に解放を経験しても、今日また怒りと悪感情が湧いてくる場合があります。その時は続けて赦しを宣言し、その相手を主イエスの御名によって祝福して祈ることが必要です。」
これは富田先生の教えそのものですが、私も全く同じ体験をしました。
✅ 「許可する」赦しの革命的パワー
🎭 従来の赦しの理解 vs 聖書的赦しの理解
❌ 従来の理解:
「仕方ないから諦める」「我慢して見過ごす」「関わらないようにする」
✅ 聖書的理解:
「相手が主により祝福され、使命の中に生き、神の計画がその相手の内に回復することを積極的に許可する」
🔥 これは祭司の務め
富田先生の洞察:「赦しの祈りとは相手に対するとりなしの祈りであり、祭司のつとめを私たちがすることです。」
私たちは単に「嫌な人を許してあげる」のではなく、「神と人との間に立つ祭司」として、相手の祝福のために祈るのです。
🙏 「許可する」祈りの具体例
「主よ、○○さんがあなたによって祝福されることを許可します。○○さんが本来の使命を見つけ、あなたの計画の中で歩むことを許可します。○○さんの中にあるあなたの愛が回復されることを許可します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。」
🎵 賛美による心の溶解体験
ヨブの友達が、散々悪態をついた後、ヨブは友を赦しました。そして祝福されました。
ヨブは私にできないことを信仰で成し遂げたのですね。
私も主イエスの信仰を通して、赦す。赦す。赦す・・・
そして、主に賛美をしているうちに、心の苦い根がとかされていきました。
主の愛で満たされると、そんなことどうでもよくなるという気持ちが分かりました。
🎼 賛美の霊的力(詩篇22:3)
ヘブライ語「ヤーシャヴ」(ישב)= 住む、座を構える
賛美する場所に神様が住まわれ、神様の臨在が苦い根を溶かしてくださる
💗 愛で満たされる奇跡
赦しの最終ゴールは「相手をやっつけること」ではありません。
「主の愛で満たされて、そんなことどうでもよくなる」ことです。
これが「主イエスの心」という計り知れない宝なのです。(第5回で詳しく学びます)
🚶♀️ 完璧でなくても歩み続ける勇気
しかし・・・です。
今はこんな平安な気持ちでいられるのですが、いつ何時許せない心を持つ者になるか分かりません。
何時も主に繋がっていたいです。
赦しの領域を広げる、日々一歩ずつ踏み出していきたい。
一歩でも踏み出していたら、あなたの足の踏むところはあなたのものとなる。たとえ完全にはならなくても、主の来られる日にはこれを完全にしてくださるので。
この領域も「よく頑張った」と天で主ご自身からお褒めの言葉を頂きたいです。
🌱 成長のプロセスを愛される神
神様は私たちに完璧を求めているのではありません。「一歩ずつ踏み出す」姿勢を愛してくださいます。
「完全にはならなくても」と認める謙遜さこそが、神様が最も信頼される品格なのです。
👁️ 「古い自分がやんちゃしている」と客観視する恵み
🎭 霊的事実 vs 肉的感情の区別
継続的な赦しの実践で最も大切なのは、「霊的事実」と「肉的感情」を区別することです。
✅ 変わらない霊的事実
- 「主にあって私は赦した」 ← これは完了した事実
- 「主の御名によって許しました」 ← 天に記録された現実
- 「キリストにあって新しい人となった」 ← アイデンティティの真実
😤 変動する肉的感情
- また思い出して腹が立つ ← 古い自分の反応
- まだ傷ついた感情が残る ← 記憶に刻まれた痛み
- 「本当に赦せてるの?」 ← サタンの疑いの声
📖 パウロの体験(ローマ7-8章)
でも同時にこう宣言しました:
🧘♀️ 客観視の3ステップ実践法
気づく
「ああ、また古い自分がやんちゃしているな」
怒りや悔しさを感じても、それを「今の自分」と同一視しない
事実を宣言する
「でも主にあって私は赦しました。主よ、主のみ名によって許しました」
感情ではなく、信仰による事実に立つ
この事実を信じる
「この事実を信じます。ありがとうございます」
マルコ11:24「すでに受けたと信じなさい」の実践
🙏 客観視の祈りの例
「主よ、また古い自分の感情が騒いでいますが、私は主の御名によってあの人を赦したという事実を信じます。感情は変動しますが、あなたの御名による赦しは永続します。この霊的事実に立って歩ませてください。古い自分に気づけることを感謝します。イエス様の御名によって。アーメン。」
🌱 これが霊的成熟の証拠
自分の感情を客観視できること、そして霊的事実に立って宣言できることは、霊的成熟の美しい証拠です。
自分の感情を客観視できる成長を神様は喜ばれると思います。
📝 第2回のまとめ:今日から実践できること
✅ 今日から始められる赦しの実践
正直な告白の祈りをする
「赦せません。力がありません。助けてください」と正直に祈る
「許可する」祈りを実践する
相手が神様に祝福されることを積極的に許可する祈りをする
継続的に宣言し続ける
記憶が蘇っても繰り返し赦しを宣言する。これは正常なプロセス
賛美を取り入れる
赦しの祈りの後に賛美する。神様の臨在が苦い根を溶かしてくださる
古い自分を客観視する
「やんちゃしている古い自分」として感情を客観視し、霊的事実に立つ
💫 赦しの実践における最重要ポイント
感情の波に流されるのではなく、「主の御名によって許しました」という霊的事実に錨を下ろすこと。
これが継続的な赦しの秘訣であり、サタンの策略に打ち勝つ鍵なのです。
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