ポジションを与えられた神に、ポジティブで応答する
今朝、目覚めた時のこと
今朝、目を覚ました時、いつもと何かが違いました。
聖霊に満たされ、愛と赦しが私の心に広がっていったのです。
創世記19章(ソドムの滅亡)、ルツ記2-3章(買い戻しの物語)、マタイ15章(カナンの女の信仰)を通読し、Claude先生と深い学びの時を持った後のことでした。
特にルツ記の「買い戻し」(ゴーエール גֹּאֵל)について学び、それがキリストの贖いを表していることを知った時、私の心に何かが起こりました。
主イエスに買い戻されている私たち。
なんだか主イエスの愛に包まれ、温かい思いで涙が出てきました。
目次
固い食物のおいしさ
ヘブル人への手紙5:14にこう書かれています:
「固い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です」
以前の私は、「固い食物」と聞くと、何だか難しくて、専門家だけのもののように感じていました。
でも違ったのです。
固い食物を食べると、主イエスの愛がもっと分かる。 そして確固たる信仰に向かって、主に応答して生きられる。
今日、ゴーエール(買い戻し)の神学を学んだ時、こんなことが分かりました:
ゴーエールになるための3つの条件
- 血縁関係があること
- **買い戻す力(経済力)**があること
- 進んで買い戻す意志があること
そして、これがキリストに完璧に当てはまること:
- イエス様は人間になってくださった – 私たちと血縁関係を持つため
- イエス様は罪がない方 – 私たちを買い戻す力を持っている
- イエス様は進んで来てくださった – 意志を持って救いに来られた
さらに、ルツ記4章で「もっと近い親類」が買い戻しを辞退した話が、律法では救えなかったことをキリストが成し遂げてくださったことを表していると知った時、
神様の救いのご計画の完璧さが心に迫ってきました。
表面的に「神様は愛です」と知っているのと、なぜ、どのように愛してくださったのかを深く知るのとでは、全く違います。
固い食物を食べることで、神様の愛が感情ではなく、確固たる事実として心に根付いていくのです。
ポジションからポジティブする
以前、Claude先生に教えていただいた言葉があります:
「ポジティブはポジションの応答形」
(※ポジション=神様が与えてくださる立場、ポジティブ=その立場からの応答。詳しくは「創世記12章が教える3つの真理 – ホバリング、ポジション、ポジティブ」をご覧ください)
この言葉が、今朝、まさに現実になりました。
多くの人は逆だと思っています:
- 「もっと頑張れば、神様に愛される立場になれる」
- 「もっと完璧になれば、買い戻される資格が得られる」
でも聖書が教えるのは逆です:
神様がまずポジション(立場)を与えてくださる
「あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです」(1ペテロ1:18-19)
**私たちはすでに「買い戻された者」**です。
これは私たちの努力や資格によるものではありません。 主イエスが一方的に、**「わたしが買い戻す」**と言ってくださったのです。
その立場から、ポジティブ(前向き)に応答する
ルツもそうでした:
- まずボアズが「わたしがあなたを買い戻す」と言った(ポジション)
- だからルツは安心して待つことができた(ポジティブ)
カナンの女もそうでした:
- まずイエス様が「あなたの信仰はりっぱです」と認めてくださった(ポジション)
- その結果、娘が癒された(ポジティブな結果)
私たちも同じです:
- まず神様が「あなたは買い戻された、愛されている」と言ってくださる(ポジション)
- だから私たちは、その愛に応答して生きることができる(ポジティブ)
「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(1ヨハネ4:19)
今朝、私の心に広がった愛と赦しは、私が頑張って作り出したものではありません。
神様が与えてくださったポジション(買い戻された者という立場)から、自然に湧き出てきた応答でした。
固い食物が信仰を確固たるものにする理由
なぜ固い食物を食べると、信仰が確固としてくるのでしょうか?
表面的な理解だと、揺らぎやすい
「神様は愛です」だけでは、苦しいときに「本当に?」と疑ってしまいます。
深い神学的理解があると、確固とする
- 「神様は契約を決して破らないヘセド(חֶסֶד 契約の愛)の神」
- 「キリストは買い戻しの三つの条件をすべて満たすゴーエール」
- 「律法でさえできなかった贖いを、キリストが成し遂げてくださった」
これらを知ると、神様の愛が感情的なものではなく、確固たる事実だと分かります。
ヘブル書が「固い食物」を勧めるのは、こういう理由なんですね。
「固い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です」(ヘブル5:14)
「見分ける感覚を訓練された」は、ギリシャ語でゲギュムナスメノン(γεγυμνασμένων)と言います。 これは「体育館」(ギュムナシオン)と同じ語根です。
つまり、固い食物を食べることは、霊的な筋トレなんです!
毎日:
- 通読して
- 疑問を持って
- 原語を学んで
- 神学的に深く考える
この霊的な筋トレをすることで、信仰の筋肉がついてくるのです。
通読の大切さと楽しさ
私は毎日、トーラー・ポーション(Torah Portion)という読み方で、旧約と新約を並行して読んでいます。
この読み方を始めてから、聖書が一つの大きな物語として見えるようになりました。
今日も:
- 創世記19章(ソドムの滅亡)
- ルツ記2-3章(買い戻しの物語)
- マタイ15章(カナンの女の信仰)
一見バラバラに見えるこれらの箇所が、実は**「恵みによる贖い」という一つのテーマで貫かれている**ことが見えてきました。
通読で見えてくること
- ソドムとルツ記3章の構造的対比(堕落した性と贖われた性)
- ルツの「翼を広げて」(カーナーフ כָּנָף)と、カナンの女がイエス様の「衣の房」(カーナーフ)に触れたことの繋がり
- 「買い戻された者」という共通のテーマ
通読をしていなかったら、これらの繋がりは見えなかったでしょう。
聖書は一つの大きな物語です。 そして、その中心にはキリストの贖いがあります。
通読することで、この大きな絵が見えてくるのです。
この年になってやっとわかった
私は今、こう思います:
「通読の大切さと楽しさ、固い食物のおいしさ、この年になってやっとわかった気がします」
もっと早く分かっていたら良かった、と思うこともあります。
でも、神様の時は完璧です。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3:11)
私が今:
- 通読の大切さと楽しさを知り
- 固い食物のおいしさを味わい
- 聖霊に満たされる経験をしている
これらすべてが、神様のカイロス(καιρός – 神の時)なんです。
「遅すぎる」ということはありません。 「早すぎる」ということもありません。
今が、神様の時なのです。
もしあなたが「今から聖書を深く学ぶのは遅すぎる」と思っているなら、そんなことはありません。
今が、あなたの時です。
様々な助け手への感謝
この信仰の歩みの中で、本当に多くの方々に支えられています:
- Claude先生(原語や神学を教えてくれる)
- 様々なツール
- YouTube(牧師先生方のメッセージ)
- 教会の牧会者の方々(母教会の牧会者、冨田愼悟牧師、冨田ひさえ先生、真島牧師、明石清正先生)
これらすべては、神様が私の信仰の成長のために備えてくださった具体的な助けです。
ルツにボアズが与えられたように、私にも具体的な助けが与えられています。
でも、これらすべての助け手は、主イエスが用いておられる器です。
究極の買い戻し主(ゴーエール)、究極の大祭司は、主イエスただお一人です。
永遠の大祭司への感謝
何よりも、永遠の大祭司、主イエス・キリストに心から感謝します。
「このキリストは、とこしえにいまし、変わることのない祭司の務めを持っておられるので、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(ヘブル7:24-25)
主イエスは今も:
- 私のためにとりなしておられます
- 私の信仰が失われないように祈っておられます(ルカ22:32)
- 私を完全に救うために働いておられます
すべての助け手は、主イエスが用いておられる器です。
でも究極の買い戻し主は、主イエスただお一人です。
ポジションとポジティブ – まとめ
今日学んだことをまとめます:
ポジション(立場) – 神様が与えてくださる
- 「あなたは買い戻された者」
- 「あなたは愛されている者」
- 「あなたは神の子ども」
これは神様が一方的に与えてくださる恵みです。
ポジティブ(応答) – 私たちの生き方
- 「だから主に応答して生きる」
- 「愛と赦しに満たされる」
- 「確固たる信仰で歩む」
これはポジションへの自然な応答です。
順番を間違えてはいけません。
ポジションが先、ポジティブは後です。
これが、義認(Justification)と聖化(Sanctification)の関係です:
- 義認: 神様が私たちの立場(ポジション)を変えてくださる – 一瞬の出来事
- 聖化: その立場から、主に応答して生きる – 一生の歩み
あなたも「買い戻された者」として
もしあなたが:
- 「自分には資格がない」と感じているなら
- 「完璧になれない」と悩んでいるなら
- 「神様に近づけない」と思っているなら
思い出してください。
あなたはすでに買い戻された者です。
カナンの女がそうだったように:
- 「私は小犬でも構いません」
- 「ただ、あなたの恵みがあればそれで十分です」
そう言って、主イエスの翼の下に入ればいいんです。
「【主】があなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」(ルツ記2:12)
神様の翼は、今もあなたを覆おうと広げられています。
ただ、その下に入ればいい。
そして、そのポジション(立場)から、ポジティブ(前向き)に応答して生きればいいんです。
固い食物を食べ始めませんか?
もしあなたが「固い食物を食べてみたい」と思われたなら:
- 毎日、聖書を通読してください
- 一つの箇所だけでなく、聖書全体の流れを見る
- 疑問を持ってください
- 「なぜ?」「どういう意味?」と問う
- 原語(ヘブライ語・ギリシャ語)に触れてください
- 完璧に習得する必要はありません
- 一つの言葉の意味を知るだけで、世界が広がります
- 神学的に考えてください
- 「この箇所は聖書全体とどう繋がるか?」
- 「これはキリストについて何を教えているか?」
これが、霊的な筋トレです。
最初は難しく感じるかもしれません。 でも、続けていくと、確実に信仰の筋肉がついてきます。
そして、主イエスの愛がもっともっと分かるようになります。
終わりに:永遠の大祭司に栄光を
今朝、聖霊に満たされ、愛と赦しが心に広がった時、 主イエスに買い戻されている恵みを、深く深く味わいました。
固い食物のおいしさ。 ポジションからポジティブする喜び。 通読の大切さと楽しさ。
この年になってやっとわかりました。
でも、遅すぎることはありません。 今が、神様の時です。
あなたも、「買い戻された者」として、 主イエスの翼の下で、 確固たる信仰の歩みを始めませんか?
永遠の大祭司、主イエス・キリストに栄光がありますように!
関連記事:
参考文献:
- 新改訳聖書第三版
- ヘブル語・ギリシャ語辞典



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