―新改訳が選んだ翻訳の知恵―
目次
はじめに
聖書を読んでいると「きよめ」という言葉に出会います。でも、漢字で書くと「清め」なのか「聖め」なのか、それとも両方なのか? 新改訳聖書がなぜひらがなで「きよめ」と書いているのか、不思議に思ったことはありませんか?
実は、この一見シンプルな疑問の背後には、ヘブライ語の深い神学的な区別と、日本語翻訳者たちの苦心が隠れています。この記事では、「きよめ」の二つの側面—「清める」と「聖める」—を、聖書の原語から探っていきます。
一、実例から見る翻訳の違い―レビ記12章7節―
まず、具体的な聖書箇所を見てみましょう。レビ記12章7節を各訳で比較してみます:
【レビ記12:7 各訳比較】
新改訳2017:「彼女はその出血の汚れからきよくなる」
新改訳第3版:「彼女はその出血からきよめられる」
新共同訳:「彼女は出血の汚れから清められる」
口語訳:「その女のその出血の汚れが清まるであろう」
同じヘブライ語の箇所なのに、翻訳によって表記が違います。新改訳はひらがな「きよ」、他の訳は漢字「清」を使っています。なぜでしょうか?
二、ヘブライ語の二つの「きよめ」
日本語では一言で表せない二つの概念
実は、ヘブライ語原典には、「きよめ」に相当する二つの異なる単語があります:
- טָהֵר (taher/ターヘール – 清める) = 汚れを取り除く、清める
- קָדַשׁ (qadash/カダシュ – 聖める) = 聖別する、神のものとして区別する、聖める
この二つの概念は関連していますが、本質的に異なります。日本語で「清める」と書けば taher のニュアンスが強く、「聖める」と書けば qadash のニュアンスが強くなります。
レビ記12:7のヘブライ語は טָהֵר (taher/ターヘール) です。つまり、「汚れを取り除く、清める」という意味です。
では、なぜ新改訳は taher に対してもひらがな「きよめ」を使うのでしょうか?
三、二つが同時に起こる―聖書の実例―
実例1:レビ記16章19節(大贖罪日)
答えは、聖書の中にこの二つの動詞が同時に使われている箇所があるからです。まず、大贖罪日の規定を見てみましょう:
「彼はその血を七たび指で祭壇に振りかけ、イスラエルの子らの汚れからこれをきよめ(taher/ターヘール)、また聖なるものとする(qadash/カダシュ)。」(レビ記16:19、新改訳2017)
ここで明確に二つの動詞が使われています:
- טִהֵר (tiher/ティヘール) = taher の使役形、汚れから清める
- קִדְּשׁוֹ (qiddsho/キッドショー) = qadash の完了形、聖別する
新共同訳も同様に:
「イスラエルの人々の汚れから、それを清め、聖別する。」(レビ記16:19、新共同訳)
実例2:出エジプト記29章36節(祭壇の聖別)
もう一つの重要な実例があります。祭壇を聖別する規定です:
「あなたはその上で宥めを行い、その祭壇から罪を除く。聖別するためにそれに油注ぎをする。」(出エジプト記29:36、新改訳2017)
新共同訳では:
「祭壇のために罪の贖いの儀式を行って、それを清め、またそれに油を注いで聖別しなさい。」(出エジプト記29:36、新共同訳)
英訳(NKJV)でも明確です:
“You shall cleanse the altar when you make atonement for it, and you shall anoint it to sanctify it.”
ここでも “cleanse”(清める)と “sanctify”(聖別する)という二つの異なる動詞が使われています。
パターンの発見―順序の重要性―
この二つの実例から、重要なパターンが見えてきます:
第一段階:清める(taher/ターヘール)
- レビ記16:19:「イスラエルの子らの汚れからこれを清め」
- 出エジプト29:36:「祭壇から罪を除く」
- まず、汚れを取り除く
- マイナスをゼロにする
第二段階:聖別する(qadash/カダシュ)
- レビ記16:19:「また聖なるものとする」
- 出エジプト29:36:「聖別するために油注ぎをする」
- 次に、神のものとして区別する
- ゼロをプラスにする
これは偶然ではありません。両方の箇所で同じ順序があるということは、これが神学的に意味のある順序だということです。
なぜこの順序なのでしょうか?
答えは明確です。汚れたままでは聖別できないからです。まず清められて、それから神のものとされるのです。
🔴 【図解1:taher と qadash の対比表】
taher と qadash の対比
| 比較項目 | טָהֵר (taher/ターヘール) 清める |
קָדַשׁ (qadash/カダシュ) 聖める・聖別する |
|---|---|---|
| ヘブライ語 | טָהֵר taher/ターヘール | קָדַשׁ qadash/カダシュ |
| 基本的意味 | 汚れを取り除く 清くする 純粋にする |
聖別する 神のものとして区別する 聖なるものにする |
| プロセスの性質 | 除去のプロセス 何か悪いもの・汚れたものを取り除く |
献身のプロセス 神のために取り分ける・専用にする |
| 方向性 | マイナスをゼロにする 「汚れた状態」→「清い状態」 |
ゼロをプラスにする 「普通のもの」→「聖なるもの」 |
| 焦点 |
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| 実現方法 |
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| 旧約での代表例 |
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| 新約ギリシャ語 |
καθαρίζω (katharizō/カタリゾー) 清める |
ἁγιάζω (hagiazō/ハギアゾー) 聖別する |
| 新約での代表例 |
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| クリスチャン生活 への適用 |
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📖 両方が同時に使われる聖書箇所
レビ記16:19(大贖罪日)
「彼はその血を七たび指で祭壇に振りかけ、イスラエルの子らの汚れからこれをきよめ(taher)、また聖なるものとする(qadash)。」
出エジプト記29:36(祭壇の聖別)
「あなたはその上で宥めを行い、その祭壇から罪を除く(taher)。聖別する(qadash)ためにそれに油注ぎをする。」
パターン:両方の箇所で、第一段階:taher(清める) → 第二段階:qadash(聖める)
汚れたままでは聖別できない。まず清められて、それから神のものとされる。
💡 新改訳がひらがな「きよめ」を使う理由
新改訳聖書は、taher(汚れを取り除く)とqadash(神のものとする)の両方を包含する概念として、ひらがな「きよめ」を使用しています。
これは、日本語で「清める」と書けば taher のニュアンスが強く、「聖める」と書けば qadash のニュアンスが強くなるため、両方の意味を含ませるための翻訳上の知恵です。
ただし、レビ記16:19や出エジプト29:36のように、二つのプロセスが明確に区別されている箇所では、きちんと「清め、聖別する」と訳し分けています。
✝️ 新約における統合
ヘブル10:10
「このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」
キリストの十字架において、taher(罪からの清め)とqadash(神のものとする聖別)の両方が「一度で、永遠に」成し遂げられました。
- キリストの血による罪の赦し(taher の完成)
- 聖霊による聖化のプロセス(qadash の完成)
- 神の子どもとしての身分(永遠の聖別)
🔴 【図解2:レビ記16:19と出エジプト29:36の二段階プロセス図】
清めと聖別の二段階プロセス
清め(Cleansing)
(tiher/ティヘール – taher/ターヘール の使役形)
結果
↓
清い状態(טָהוֹר)
聖別(Sanctification)
(qiddsho/キッドショー – qadash/カダシュ の完了形)
結果
↓
聖なるもの(קֹדֶשׁ)
新共同訳:「祭壇のために罪の贖いの儀式を行って、それを清め、またそれに油を注いで聖別しなさい。」
清め(Cleansing)
(taher/ターヘール)
結果
↓
清い状態
聖別(Sanctification)
(qadash/カダシュ)
結果
↓
神のための聖なるもの
🔍 パターンの発見―順序の重要性―
第一段階:清める(taher)
- レビ記16:19:「イスラエルの子らの汚れからこれを清め」
- 出エジプト29:36:「祭壇から罪を除く」
- まず、汚れを取り除く
- 罪の影響を除去する
- マイナスをゼロにする
第二段階:聖別する(qadash)
- レビ記16:19:「また聖なるものとする」
- 出エジプト29:36:「聖別するために油注ぎをする」
- 次に、神のものとして区別する
- 神の目的のために献げる
- ゼロをプラスにする
汚れたままでは聖別できないからです。
まず清められて、それから神のものとされる。
これが聖書が示す神学的な順序です。
罪の告白(Iヨハネ1:9)、キリストの血による赦し、良心の清め
第二段階:聖別(qadash)
神のものとされる(Iペテロ2:9)、神の目的のために生きる、世から区別された歩み
ヘブル10:10「このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、
ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」
四、新改訳がひらがなを選んだ理由
ここまで見てきたように、聖書には:
- taher(清める)だけが使われる箇所
- qadash(聖める)だけが使われる箇所
- 両方が同時に使われる箇所
があります。
新改訳の翻訳者たちは、この複雑な状況に対して、ひらがな「きよめ」という包括的な表記を選びました。
新改訳の基本戦略
- taher だけの箇所 → 「きよめる」(ひらがな)
- qadash だけの箇所 → 「聖別する」または「きよめる」
- 両方が使われる箇所 → 「きよめ、聖別する」と区別
翻訳者の意図:
ひらがな「きよめ」という表記によって、読者に原語の細かい区別を押し付けることなく、「神の前に正しい状態にされる」という包括的な概念を伝えることができます。
同時に、レビ記16:19や出エジプト29:36のように、二つのプロセスが明確に区別されている箇所では、きちんと「清め、聖別する」と訳し分けています。
これは、翻訳者たちの深い配慮と知恵の表れなのです。
五、taher と qadash の特徴
taher(ターヘール – 清める)の特徴
- 除去のプロセス:何か悪いもの、汚れたものを取り除く
- 儀式的側面:特定の手続きを経て実現される
- 時間の経過:七日間などの待機期間が必要
- 状態の変化:「汚れた状態」から「清い状態」へ
この概念は、私たちの罪からの解放、過去の汚れからの清めを象徴しています。
qadash(カダシュ – 聖める)の特徴
- 献身のプロセス:神のために取り分ける、専用にする
- 積極的行為:何かを加える、新しい目的を与える
- 永続的関係:一度聖別されたものは神のもの
- 全体性の要求:部分的ではなく、全面的な献身
この概念は、私たちが神のものとされること、神の目的のために生きることを象徴しています。
六、新約における統合―清められ、かつ聖められる
ヘブル人への手紙の視点
ヘブル人への手紙10章は、この二つの側面の完成を語っています:
「このキリストが、ただ一度だけご自分を献げて罪のために完全ないけにえを献げられたので、永遠に大祭司の座に着き、それ以来、敵がご自分の足台となるのを待っておられます。キリストは聖なるものとされる人々を、ただ一度のささげ物によって永遠に完成されたのです。」(ヘブル10:12-14)
ここでギリシャ語は ἁγιάζω (hagiazō/ハギアゾー – 聖める) を使っています。これはヘブライ語の qadash に相当する言葉です。
しかし、文脈全体を見ると:
- 罪の除去(taher の側面):「罪のために完全ないけにえ」
- 聖別(qadash の側面):「聖なるものとされる」
- 完成:「永遠に完成された」
一度で、永遠に
旧約では、taher と qadash は繰り返しのプロセスでした:
- 祭司は何度も清められ、何度も聖別された
- 祭壇は年ごとに清められ、聖別された
- 民は絶えず汚れ、絶えず清めを必要とした
しかし、キリストのわざは「一度で、永遠に」です(ヘブル10:10):
「このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」(ヘブル10:10)
ギリシャ語の完了形 ἡγιασμένοι (hēgiasmenoi/ヘーギアスメノイ – 聖なるものとされている) は、「聖なるものとされており、その状態が続いている」という意味です。
七、実践的適用―私たちの「きよめ」
二つの側面を生きる
この理解は、私たちのクリスチャン生活に深い示唆を与えます:
1. 清め(taher/ターヘール)の側面—罪からの解放
私たちは日々、罪や汚れから清められる必要があります:
- 過去の罪の影響からの解放
- 日々の誘惑や思いの汚れからの清め
- 世の価値観による汚染からの洗い
これは I ヨハネ1:9 の約束です:
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての不義から私たちをきよめてくださいます。」
2. 聖め(qadash/カダシュ)の側面—神のための献身
同時に、私たちは神のために聖別されています:
- 神の目的のために取り分けられた存在
- 世から区別された、神のもの
- 神の栄光を現すための器
これは I ペテロ2:9 の宣言です:
「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」
日々の歩みにおける順序
レビ記16:19と出エジプト29:36が教える順序は、私たちの日々の歩みにも適用されます:
- 朝ごとに罪を告白し、清めを受ける(taher)
- その日を神のために生きると献げる(qadash)
ブログ執筆も、仕事も、人間関係も、すべてこのプロセスです:
- まず、自分の思い込みや誤解、プライドを清める
- そして、神の栄光のために献げる
順序が大切です。 まず清められて、それから聖別される。これが聖書が示す道です。
八、終わりに―翻訳者の知恵と神の恵み
新改訳聖書が「きよめ」とひらがなで書いたのは、翻訳上の妥協ではなく、深い神学的洞察でした。
ヘブライ語の taher/ターヘール(汚れを取り除く)と qadash/カダシュ(神のものとして区別する)—日本語では一語で表せない二つの概念を、「きよめ」というひらがな表記で包括的に表現したのです。
私たちの信仰生活も、この二つの側面を持っています:
- 清められること(taher):罪から解放され、過去の汚れから自由になる
- 聖められること(qadash):神のものとされ、神の目的のために生きる
そして、キリストの十字架において、この二つは 「一度で、永遠に」 成し遂げられました。
レビ記16:19と出エジプト29:36が示す順序は、今日の私たちにも問いかけます:
「あなたは日々、清めを受けていますか?そして、神のために生きていますか?」
本物の「きよめ」とは、完璧な無罪性ではなく、神への誠実な献身です。
日々、罪を告白し清められながら(taher)、
日々、神のために生きると献げる(qadash)。
これが、新約の信者に与えられた「きよめ」の生活なのです。


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