今日の通読箇所:創世記4章、ヨシュア記7-9章、マタイ4章
目次
友喜の問いかけ
今日の通読から、サタンとの立ち向かい方について考えさせられました。
マタイ4章でイエス様がサタンの誘惑に対して、三度とも「〜と書いてある」と申命記の御言葉を用いられたこと。
そして、創世記4章ではカインが弟アベルを殺したこと。ヨシュア記ではアカンが主の言われる通りにしないで分捕り物に手をつけたことで一度目アイに負け、二度目は悔い改めて挟み撃ち戦法でアイに勝ったこと。その時は分捕り物は主が手をつけてもいいと言われたこと。
これらの箇所から、どんなことが学べるのでしょうか?
【補足】登場人物の名前の意味
カイン(קַיִן/カイン) = ヘブライ語で「獲得した者」
- 母エバが「私は主によって一人の男子を得た」と言ったことに由来(創世記4:1)
アベル(הֶבֶל/ヘベル) = ヘブライ語で「息、はかないもの」
- 彼の短い生涯を預言的に示していると言われる
アカン(עָכָן/アカン) = ヘブライ語で「悩ます者」
- まさに彼の行為がイスラエル全体を悩ませたことを表している(ヨシュア7:25)
聖書では、名前がその人の性質や運命を表すことがよくあります。
Claude先生の解説
イエスの戦い方:御言葉という剣
マタイ4章でイエスがサタンの試みに対して取られた方法は、実に明確です。三度とも「〜と書いてある」という言葉で申命記の御言葉を用いられました。
この「書いてある」というギリシャ語は:
- γέγραπται(ゲグラプタイ) = 完了形
- 意味:「書かれていて、今も有効である」
完了形というのは、過去に書かれた行為が現在も継続している状態を表します。つまり、「昔書かれたもの」ではなく、「書かれていて今も生きている言葉」なのです。
興味深いのは、サタン自身も聖書を引用したことです(詩篇91篇)。しかしイエスは、文脈を無視した悪用を見抜き、正しい御言葉の理解で対抗されました。つまり、聖書の知識だけでなく、その正しい理解と適用が鍵なのです。
エペソ6:17が「御霊の剣、すなわち神のことば」と語るように、御言葉は私たちの霊的武器です。
ちなみに、この「神のことば」は:
- ῥῆμα θεοῦ(レーマ テウー)
- 意味:「神の語られた言葉」(一般的な言葉λόγος/ロゴスではなく、具体的に語られた個別の言葉)
アカンの罪:従順と不従順の分岐点
ヨシュア7-9章は、劇的な対比を見せています:
ヨシュア6章(エリコ陥落時)
- 主の命令:「聖絶のものに手をつけるな」
- アカンの不従順:隠れて銀、金、外套を取った
結果:ヨシュア7章
- アイでの予想外の敗北(36名の戦死者)
- 「主の怒りがイスラエルに対して燃えた」(7:1)
- 「怒り」= אַף(アフ) = ヘブライ語で「鼻」という意味。怒りで鼻息が荒くなることから「怒り」を意味する
- ヨシュアの嘆きと執り成し
- アカンの告白と裁き
悔い改め後:ヨシュア8章
- 主が再び語られる:「恐れるな、おののくな」(8:1)
- 今度は**「分捕り物と家畜は自分たちのものとしてよい」**(8:2)
- 挟み撃ち作戦の成功
深い学び:なぜ最初はダメで、後は良かったのか
この違いは偶然ではありません:
- 初穂の原則:エリコはカナン征服の「初穂」でした。初穂は全て主に捧げられるべきものです(レビ記23章、箴言3:9)
- 「初穂」= בִּכּוּרִים(ビックリーム) = ヘブライ語で「最初の実り」
- 従順のテスト:神は分捕り物が欲しかったのではなく、イスラエルの心を試されました
- 「従順」= שָׁמַע(シャマ) = ヘブライ語で「聞く、聞き従う」(申命記6:4の「聞け、イスラエルよ」と同じ語根)
- 共同体の連帯責任:アカン一人の罪が、イスラエル全体に影響を及ぼしました(7:1「イスラエルの人々は…」)
- 悔い改めと回復:罪が取り除かれた後、主は再び祝福の約束を与えられました
友喜の気づき
これは今も有効であるという意味だったのですね。
そっか、単にみ言葉を覚えているだけではサタンにやられるのですね。知識だけでもやられる。その正しい理解と適用が鍵。そこで初めて御霊の剣である神の言葉が霊的武器になるのですね。
初穂の原則についても、そういう意味が込められていたんだ。
読み飛ばすところでした。読み飛ばしてもいいからとにかく一年で聖書全巻読破、そう思ってはいるのですが、Claude先生のおかげで、クイック対応で少しでも霊的意味を抑えられて感謝です。
禁じられたことに対して、真剣に向き合っているか。偶像礼拝はしてないつもりだけど、自分の中の弱いところ、出来ない思い、劣等感を像として持ってしまっていた。先週これに気づき悔い改めました。
御言葉に書いてある、この備えを日々していきたいです。
Claude先生の励まし
あなたの気づきと悔い改めの深さに、心から感動しています。特に、「自分の中の弱いところ、出来ない思い、劣等感を像として持ってしまっていた」という洞察は、非常に鋭いものです。
現代の「隠れた偶像」
多くのクリスチャンが、木や石の偶像は避けられても、心の中の偶像には気づきにくいものです:
- 「私には無理」という思い込み
- 「どうせ変われない」という劣等感
- 過去の失敗の記憶
これらは、**神の約束よりも強く信じてしまっている「別の真実」**なんですよね。ある意味で、神の言葉以上に力を与えてしまっている偶像です。
γέγραπται(ゲグラプタイ)の力
このギリシャ語完了形が持つ意味は本当に素晴らしいです:
γέγραπται(ゲグラプタイ) = 「書かれている」(完了形)
- 語根:γράφω(グラフォー) = 「書く」
- 完了形の意味:
- 「かつて書かれた」(過去)
- 「今も書かれている」(現在)
- 「これからも有効である」(未来)
つまり、イエスは時を超えて変わらない真理をサタンにぶつけられたのです。
あなたの劣等感に対しても、神は言われます:
- 「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)—γέγραπται(ゲグラプタイ)!
- 「高価で尊い」= ヘブライ語 יָקַר(ヤーカル) + כָּבַד(カーバド) = 「価値がある」+「重みがある、栄光がある」
- 「わたしにあって、あなたは新しく造られた者」(2コリント5:17)—γέγραπται(ゲグラプタイ)!
- 「新しい」= ギリシャ語 καινός(カイノス) = 「質的に新しい、これまでになかった新しさ」
- 「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(ヨハネ15:5)—γέγραπται(ゲグラプタイ)!
最後のものは一見ネガティブですが、実は**「わたしにつながっていれば、あなたは実を結ぶ」という約束**なんです。
「とにかく一年で全巻読破」は正解です
あなたの姿勢は本当に素晴らしいです。なぜなら:
1. 聖書全体を知ることの重要性 イエスがサタンの詩篇91篇の誤用を見抜けたのは、聖書全体を知っておられたからです。一部だけ知っていると、文脈を失います。
2. 完璧主義の罠を避ける 「全部理解してから次へ」という姿勢は、かえって進めなくなります。まず一度通読し、二巡目、三巡目で深めていけばいいのです。
3. 御霊が後から教えてくださる ヨハネ14:26「助け主、すなわち聖霊は…すべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」
- 「助け主」= ギリシャ語 παράκλητος(パラクレートス) = 「傍らに呼ばれた者、弁護者、慰め主」
- παρά(パラ) = 「傍らに」+ κλητός(クレートス) = 「呼ばれた者」
- 「思い起こさせる」= ギリシャ語 ὑπομιμνῄσκω(ヒュポミムネースコー) = 「記憶に戻す、思い出させる」
一度読んでいると、後で「あの時読んだあの箇所だ!」と聖霊が思い起こさせてくださいます。
今日の黙想
問いかけ: 私の人生で、「御言葉に書いてある」と言える備えはできているでしょうか?また、「主が禁じられたこと」に対して、どれほど真剣に向き合っているでしょうか?
実践的な提案:
- 毎日の通読を続ける
- 心に残った一節だけでも、声に出して言ってみる
- ローマ10:17「信仰は聞くことから」
- 「信仰」= ギリシャ語 πίστις(ピスティス) = 「信頼、確信」
- 「聞くこと」= ギリシャ語 ἀκοή(アコエー) = 「聞くこと、聞いたもの」(英語のacoustic/音響の語源)
- 劣等感が湧いた時、「γέγラプται(ゲグラプタイ)!私は主にあって新しく造られた者」と宣言してみる
日本のリバイバルは、御言葉を愛し、日々それに立ち返ろうとする一人ひとりから始まります。
この記事が、あなたの聖書通読の助けとなり、御言葉の深みを味わう喜びとなりますように。
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