創世記37章・第一列王記10-11章・マルコ5章から学ぶ
今日の通読は、三つの異なる時代、三人の異なる人物を通して、神の働きと人間の応答について深く考えさせられる箇所です。17歳の夢見る青年ヨセフ、栄華の絶頂から堕落していくソロモン、そして悪霊から解放された名もなき男。それぞれの物語が、私たちの信仰生活に重要な問いかけを投げかけています。
目次
ヨセフの夢と父の心
創世記37:1-17
二つの夢の神学的意味
ヨセフは二つの夢を見ました。第一の夢は地上の畑で束がおじぎをする光景、第二の夢は天上で太陽・月・星が伏し拝む光景です。創世記41:32でヨセフ自身が後に説明しているように、夢が二度繰り返されるのは「このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさろうとしておられるから」です。二重の夢は神による確定を意味します。
| 要素 | 第一の夢(37:7) | 第二の夢(37:9) |
| 舞台 | 地上(畑) | 天上(天体) |
| 象徴 | 束(農業) | 太陽・月・星(宇宙) |
| 動作 | おじぎをする | 伏し拝む |
| 対象 | 兄たち | 父・母・兄たち |
「心に留めていた」父ヤコブ
兄たちがヨセフを憎み、ねたんだのに対し、37:11で「父はこのことを心に留めていた」と記されています。ヘブライ語で「心に留める」は שָׁמַר(シャーマル)で、「守る、見張る、注意深く保つ」という意味です。
ヤコブ自身がベテルで夢を通して神に出会った経験がありました(創世記28章)。だからこそ、息子の夢を単なる若者の誇大妄想として片付けられなかったのでしょう。これが神からの啓示かもしれない、という霊的な識別力が働いていました。
ルカ2:19でマリアがイエス様について「これらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた」のと同じ姿勢です。神の言葉かもしれないものを軽々しく捨てず、熟考する。これは私たちも学ぶべき態度です。
キリストの予型としてのヨセフ
ヨセフはイエス・キリストの最も明確な予型の一人です。父に愛された息子、兄弟たちに憎まれた者、銀で売られた者、無実の罪で苦しんだ者、そして高く上げられて多くの命を救った者。この物語はメシアの物語の影なのです。
| ヨセフ | イエス・キリスト |
| 父に愛された息子(37:3) | 父なる神に愛された御子(マタイ3:17) |
| 兄弟たちに憎まれた(37:4) | 同胞に受け入れられなかった(ヨハネ1:11) |
| 銀で売られた(37:28) | 銀30枚で売られた(マタイ26:15) |
| 高く上げられた(41:40-43) | 高く上げられた(ピリピ2:9) |
| 飢饉の中で命を救った | 罪の中で命を救う |
ソロモンの栄光と堕落
第一列王記10-11章
シェバの女王の驚き
10章はソロモンの栄光の絶頂を描いています。シェバの女王は「息も止まるばかり」(10:5)となり、「私にはその半分も知らされていなかった」(10:7)と告白しました。彼女の言葉の中で最も重要なのは10:9の信仰告白です。
「あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行わせられるのです。」
異邦人の女王がイスラエルの神を称えている。これはソロモンの知恵が神への証しとなっていた証拠です。
銀と金の象徴的意味
10:21に興味深い記述があります。「銀はソロモンの時代には、価値あるものとはみなされていなかった」。聖書的な象徴として、銀(כֶּסֶף/ケセフ)は贖いや代価を意味することが多く(出エジプト30:11-16の「贖いの銀」)、金(זָהָב/ザハーブ)は神の栄光や神性を象徴します。
ソロモンの時代を千年王国の予表として見ると、この「銀に価値がない」という描写は興味深い意味を持ちます。贖いが完成した後の世界では、贖いの代価としての銀はもはや必要ない。黙示録21-22章の新しいエルサレムでも、銀についての言及はなく、純金が強調されています。
ただし、10:22では銀が輸入されていることも記されています。これは、ソロモンの時代が「完全な千年王国」ではなく、あくまで「予表・影」であることを示しているのかもしれません。影は本体ほど完全ではないのです。
申命記17章の王への戒めとの対比
神はかつてイスラエルの王に明確な戒めを与えておられました(申命記17:14-20)。しかしソロモンは、そのすべてに違反しました。
| 戒め | 申命記の命令 | ソロモンの違反 |
| 馬 | 馬を多く持つな(17:16) | 戦車1,400台、騎兵12,000人(10:26) |
| エジプト | 民をエジプトに帰らせるな(17:16) | エジプトから馬を輸入(10:28-29) |
| 妻 | 多くの妻を持つな(17:17) | 700人の王妃、300人のそばめ(11:3) |
| 金銀 | 金銀を多く蓄えるな(17:17) | 年間666タラントの金(10:14) |
段階的な堕落のプロセス
ソロモンの堕落は一夜にして起こったのではありません。列王記の記述から、段階的なプロセスが見えてきます。
第1段階:政略結婚の始まり
パロの娘との結婚(Ⅰ列王3:1)。これ自体が申命記7:3の異邦人との結婚禁止に違反していました。しかしこの時点ではまだ「主を愛していた」(3:3)と記されています。
第2段階:富と権力の蓄積
知恵による成功が富をもたらしました。成功が自己充足につながり、神への依存から自己への依存へと移行していった可能性があります。
第3段階:外国の妻たちの増加
11:1「多くの外国の女を愛した」。ヘブライ語 אָהַב(アーハブ) は深い愛着、執着を意味します。
第4段階:心の転向
11:3「その妻たちが彼の心を転じた」。ヘブライ語 נָטָה(ナーター) は「傾ける、曲げる、そらす」という意味です。
第5段階:偶像礼拝への参加
11:5「アシュタロテ…ミルコムに従った」。ヘブライ語 הָלַךְ אַחֲרֵי(ハーラフ・アハレイ) は「後について歩く」という意味です。
第6段階:高き所の建設
11:7で、ソロモンは自らケモシュとモレクのための礼拝所を築きました。ケモシュとモレクへの礼拝には幼児犠牲が含まれていました(レビ18:21、20:2-5)。もはや受動的な参加ではなく、積極的な推進者となってしまったのです。
「心が全く一つにはなっていなかった」
11:4の重要な表現を見てみましょう。「彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった」。ヘブライ語で שָׁלֵם(シャーレーム) は「完全な、全き、分割されていない」という意味です。シャロームと同じ語根です。
ソロモンの心は分裂していました。主への愛と、妻たちへの愛と、偶像への妥協が混在していた。これは現代の私たちへの警告でもあります。
ダビデとの決定的な違い
興味深いのは、ダビデも大きな罪を犯したことです(バテシェバ事件、人口調査)。しかし神はダビデについて「わたしの見る目にかなうことを行い」(11:33)と言われます。違いは何でしょうか。
- ダビデ:罪を犯したが、指摘されると即座に悔い改めた(詩篇51篇)。偶像礼拝には決して陥らなかった。
- ソロモン:神が二度も現れて警告されたにもかかわらず(11:9-10)、悔い改めの記録がない。
ダビデの心は「シャーレーム(全き)」でした。完璧ではないが、分裂していなかった。主だけを神としていたのです。
繁栄は苦難より危険かもしれない
申命記8:10-14の警告がここに生きています。
「あなたが食べて満ち足り…心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがないように」
知恵の王ソロモンがここまで堕落したことは、人間の知恵だけでは罪に勝てないことを示しています。「主を恐れることは知恵の初め」(箴言1:7)を忘れた知恵は、最悪の愚かさに至り得るのです。皮肉にも、これはソロモン自身が書いた言葉でした。
解放と証し
マルコ5:1-24
レギオンからの解放
ゲラサ人の地で、イエス様は悪霊につかれた人と出会いました。「レギオン」(λεγιών)はローマ軍の一個軍団で、約6,000人の兵士を指します。悪霊たちがこの名を名乗ったのは、自分たちの数の多さを示すためでした。
この男は墓場に住み、鎖を引きちぎり、石で自分の体を傷つけていました。社会から完全に隔絶され、自己破壊的な状態にあった。しかしイエス様の一言で、すべてが変わりました。
印象的なのは、悪霊たちの態度です。彼らはイエス様が誰であるかを正確に知っていました(「いと高き神の子」5:7)。そしてイエス様の権威に完全に服従し、懇願し、許可を求めています(5:10, 12)。悪霊でさえイエス様の権威を認めているのです。
町の人々の驚くべき反応
5:15で、人々は解放された男を見て「恐ろしくなった」と記されています。ギリシャ語 ἐφοβήθησαν(エフォベーテーサン) は「恐れた、畏怖した」という意味です。
そして彼らの応答は何だったでしょうか。「彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った」(5:17)。奇跡を見ても、イエス様を歓迎しなかったのです。
ゲラサはデカポリス(ギリシャ語で「10の町」)の一部で、異邦人の地域でした。豚を飼っていたこと自体がそれを示しています(ユダヤ人にとって豚は汚れた動物)。2,000頭の豚は、当時の貨幣価値で相当な額です。町全体の経済に影響する規模だったでしょう。
彼らは無意識のうちに計算したのかもしれません。一人の狂人が正気に戻った、それは良いこと。しかし2,000頭の豚が失われた、それは大損害。差し引き、マイナス。この計算は、人間の魂の価値を正しく理解していないことを示しています。
イエス様はマタイ16:26でこう言われました。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」。一人の魂は全世界より価値がある。でも町の人々にはそれが見えなかったのです。
最も効果的な証し
解放された男はイエス様についていきたいと願いましたが、イエス様は許可されませんでした。代わりにこう言われました。
「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」(5:19)
なぜイエス様は彼を家族のもとへ送り返したのでしょうか。それは、最も効果的な証しは、自分を知っている人々の中でなされるからです。
デカポリスの人々は、かつて墓場で叫び、鎖を引きちぎっていたあの男を知っていました。だからこそ、正気に返った姿を見て、変化の大きさが分かった。見知らぬ人が「私は解放されました」と言うより、はるかにインパクトがあったのです。
この男は神学校に行っていません。聖書を詳しく知りません(異邦人だから)。イエス様と長く過ごしてもいません。でも彼には自分の体験がありました。「主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか」—これが証しの本質です。神学的に完璧な説明ではなく、神が自分に何をしてくださったかを語ること。
そして彼はデカポリス全域で証しし、「人々はみな驚いた」(5:20)。イエス様を追い出した地域が、この男の証しによって福音を聞くことになったのです。
今日の箇所からの適用
ヨセフとソロモンの対比
興味深いことに、ヨセフとソロモンは対照的な人物です。
| ヨセフ | ソロモン |
| 若くして試練を受けた | 若くして栄光を受けた |
| 苦難の中で神に忠実だった | 繁栄の中で神から離れた |
| 誘惑を退けた(ポティファルの妻) | 誘惑に負けた(外国の妻たち) |
| 最後まで信仰を保った | 晩年に堕落した |
繁栄は苦難よりも危険かもしれません。苦難の中では神に頼らざるを得ませんが、繁栄の中では自分の力で十分だと錯覚してしまうからです。
私たちへの問いかけ
- 心に留めているか? ヤコブのように、神の言葉かもしれないものを軽々しく捨てず、熟考しているだろうか。
- 心は「シャーレーム」か? 主への愛と、この世への愛が混在して、心が分裂していないだろうか。
- イエス様を「離れてください」と言っていないか? 経済的損失や不都合を恐れて、イエス様を歓迎しない領域が自分にないだろうか。
- 自分の体験を証ししているか? 神学的に完璧な説明ができなくても、神が自分に何をしてくださったかを、自分を知っている人々に語っているだろうか。
結び
夢を見る者ヨセフは、約22年の試練を経て、夢の成就を見ました。栄光の王ソロモンは、段階的な妥協を重ね、堕落していきました。解放された男は、自分を知っている人々の中で証しし、デカポリス全域に福音を広めました。
神の言葉を心に留め、心を分裂させず、主だけを神とし、神がしてくださったことを証しする。これが今日の箇所から学ぶ信仰の姿勢です。
主よ、私の心をシャーレーム(全き)にしてください。

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