2025年11月6日の通読より
目次
荒野で神に出会った女奴隷
創世記16章は、聖書の中で最も美しく、最も希望に満ちた場面の一つです。
サライに虐げられ、荒野に逃げ込んだハガル。彼女は当時の社会で最も弱い立場にいました:
- 奴隷(自由がない)
 - 女性(権利がない)
 - 妊婦(弱い立場)
 - 逃亡者(行く当てがない)
 
しかし、シュルへの道の泉のほとりで、主の使いが彼女を見つけました。
そこでハガルは神に新しい名前を与えます:「エル・ロイ」(私を見ておられる神)。
「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは」(16:13)
この驚きには深い意味があります。当時、「神を見た者は死ぬ」と信じられていました。でもハガルは、神様に見られ、神様を見て、なお生きていたのです。
日本へのメッセージ
日本には「神様は遠い」「自分のような者には関係ない」と感じている人が多くいます。でも聖書の神は、社会の隅に追いやられた一人の女性を見つけ、語りかけ、約束を与える方です。
あなたが今どんな状況にいても、エル・ロイはあなたを見ておられます。
士師記が語る三つの段階的堕落
士師記15章から17章は、イスラエルの霊的堕落を三つの段階で示しています。そしてこれは、現代日本社会、そして世界中の教会への警告でもあります。
第一段階:敗北主義 ― 「ペリシテ人が私たちの支配者だ」(士師記15章)
ユダの裏切り
士師記15章に、衝撃的な場面があります。
サムソンがペリシテ人と戦っていたとき、ユダの人々3000人が彼のところに来ました。ペリシテ人を助けるために?いいえ、サムソンを縛ってペリシテ人に引き渡すためにです。
「あなたはペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか。あなたはどうしてこんなことをしてくれたのか。」(15:11)
これは、聖書全体で最も悲しい告白の一つです。
何が起きたのか:
- 神様は約束の地を与え、「敵を追い出せ」と命じた
 - しかしイスラエルは戦いを諦め、敵を「支配者」と認めた
 - 彼らは現状に適応し、屈服することを選んだ
 - そして、戦おうとする者を止めに来た
 
現代への適用:日本の敗北主義
これは今の日本、そして世界中のクリスチャンの状況と驚くほど似ています:
日本で聞かれる声:
- 「日本は仏教国だから、クリスチャンは少数派でいいんです」
 - 「波風立てないで、静かに信仰生活を送りましょう」
 - 「リバイバル?それは無理でしょう、現実的じゃない」
 - 「福音を大胆に語る?空気を読んでください」
 
教会内でさえ:
- 熱心に祈る人を「過激だ」と批判する
 - 伝道に情熱を持つ人を「バランスがない」と止める
 - 3000人が、戦う1人を止めに来る
 
これが敗北主義です。神の約束よりも、目に見える現実を信じること。
ろばのあご骨で千人を ― 神の逆説的な方法
しかし、神様の応答は驚くべきものでした。
サムソンはろばのあご骨で1000人を打ち殺しました(15:15-16)。
なぜ「ろばのあご骨」なのか:
- 最も卑しい動物(ろば)の
 - 最も弱い部分(あご骨)で
 - 最も不可能に見える勝利(1000人)を
 - たった一人で成し遂げた
 
これは第一コリント1:27-29の完璧な実例です:
「神は知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです…だれも神の御前で誇ることがないため」
日本のリバイバルへの希望:
神様は、人間的に見て最も弱い、最も可能性のないものを用いられます:
- クリスチャン人口1%未満
 - 高齢化する教会
 - 資源の限られた地方教会
 - 社会で「時代遅れ」と見なされる福音
 
でも、それが神様のやり方です。誰も「自分の力でやった」と誇れないように。
ギデオンの300人、ダビデの石投げ、五つのパンと二匹の魚 ― 神様はいつも、人間の弱さを通して栄光を現されます。
エン・ハコレ ― 呼び求める者の泉
15章で最も美しく、最も個人的な場面が最後に来ます。
大勝利の直後、サムソンは渇きで死にそうになります。彼は神に叫びました:
「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうです」(15:18)
深い真理:
- 肉体的勝利は、霊的渇きを満たさない
 - 神の働きをした後でさえ、私たちは神ご自身を必要とする
 - 大きな勝利の後にこそ、霊的な危険がある
 
神様は岩を裂いて水を出されました。サムソンはその場所を**「エン・ハコレ」(呼び求める者の泉)**と名付けました。
そして聖書は言います:「それは今日もレヒにある」(15:19)
この泉は永続的な恵みの記念です。 神は、呼び求める者に必ず応答されます。
第二段階:妥協と堕落 ― サムソンとデリラ(士師記16章)
15章と16章の対比は、驚くほど鮮明です:
| 15章(勝利) | 16章(堕落) | 
|---|---|
| 主の霊が激しく臨む(14節) | 主が去られた(20節) | 
| 綱が解ける(14節) | 目がえぐられ、足かせをかけられる(21節) | 
| 1000人を打ち殺す(15節) | 牢で臼を挽く屈辱(21節) | 
| 神に呼び求め、水を得る(18-19節) | 最後の祈り – 復讐のため(28節) | 
| エン・ハコレ(呼び求める者の泉) | ガザの牢獄 | 
何が起きたのか
サムソンは**エン・ハコレ(神の泉)**から飲むことを止め、**デリラという「壊れた水溜め」**から飲もうとしました。
エレミヤ2:13の警告が実現しました:
「わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水溜めを、水をためることのできない、こわれた水溜めを、自分たちのために掘ったのだ。」
段階的な妥協
デリラは三回サムソンをだましました。三回とも、サムソンは嘘をつきました。でも四回目、ついに真実を語ってしまいました(16:17)。
妥協は段階的です:
- 最初は抵抗する
 - だんだん境界線があいまいになる
 - 最後には、何が問題か分からなくなる
 
そして、最も悲しい一節:
「彼は【主】が自分から去られたことを知らなかった。」(16:20)
サムソンは霊的感覚を失っていました。主がおられないのに、「いつものように」できると思っていた。
日本の教会への警告
これは現代の教会にも起きています:
- 聖書の権威を少しずつ妥協する
 - 「時代に合わせて」福音を薄める
 - 聖霊の臨在よりも、プログラムやテクニックに頼る
 - そして気づかないうちに、主が去っておられる
 
でも希望があります。サムソンの髪は、また伸び始めました(16:22)。
神様は、悔い改める者を回復させる方です。
第三段階:真理の喪失 ― 「めいめいが自分の目に正しいと見えることを」(士師記17章)
17章6節のこの一文は、士師記全体を要約しています。そして、現代日本社会への預言的なメッセージでもあります。
ミカの「善意の偶像礼拝」
ミカという人は、興味深い人物です:
- 盗んだ銀を母に返す(良心がある)
 - その銀で「主のために」偶像を作る(熱心)
 - レビ人を雇って祭司にする(宗教的)
 - 「主が私を祝福してくださる」と確信する(信仰?)
 
一見、敬虔に見えます。でもすべてが律法違反でした:
- 偶像を作ること(十戒違反)
 - 個人の家で祭司を雇うこと(律法違反)
 - レビ人が幕屋を離れること(職務放棄)
 
ミカの問題は、悪意ではなく無知でした。彼は「自分の目に正しいと見えること」を行いました。
真理の基準を失った社会では、熱心さは正しさを保証しません。
現代への警鐘:相対主義の罠
日本でも同じことが起きています:
- 「宗教は何でも同じ」
 - 「自分なりの信仰があればいい」
 - 「心が大切、教義は関係ない」
 - 「愛があれば、真理は柔軟に解釈できる」
 
これらは一見寛容で柔軟に見えますが、真理を相対化しています。
イエス様は言われました:「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)。真理は相対的ではありません。
王の不在
士師記が繰り返し語るのは:「そのころ、イスラエルには王がなかった」(17:6)
真のリバイバルには**「王」が必要**です。自分が王ではなく、キリストが王である社会。それが神の国です。
小さな種、隠された宝 ― 御国の成長(マタイ13章)
絶望的な士師記の状況から、マタイ13章は希望に満ちています。
からし種のたとえ(外的成長)
「どんな種よりも小さい」からし種が、「空の鳥が巣を作るほどの木」になる。
これは目に見える、外向きの成長です:
- 12人の弟子 → 全世界の教会
 - 小さな群れ → 何億人もの信者
 - 隠れた集まり → 社会を変える力
 
日本のクリスチャン人口は1%未満。でもからし種は最も小さいところから始まるのです。
パン種のたとえ(内的変革)
「三サトンの粉」(約22リットル!)全体を膨らませる小さなパン種。
これは目に見えない、内向きの変革です:
- 一人の心の変化が、家族全体を変える
 - 一つの教会の祈りが、地域を変える
 - 聖霊の働きが、文化全体を変える
 
リバイバルには両方が必要
日本のリバイバルには:
- 外的成長:教会が増え、救われる人が増える(からし種)
 - 内的変革:一人一人が聖霊に満たされ、社会全体の価値観が変わる(パン種)
 
どちらか一方では不十分です。小さく始まり、内側から変わり、外に広がる ― これが御国の成長パターンです。
畑に隠された宝
「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」(マタイ13:44)
この短いたとえには、深い真理があります。
宝を見つけた人の行動
- 宝を見つける(啓示)
 - 大喜びで帰る(確信)
 - 持ち物を全部売り払う(決断)
 - その畑を買う(献身)
 
注目すべきは、この人は犠牲を払っているのに、大喜びしているということです。なぜなら、彼は宝の価値を知っているから。
現代の宝探し
今の時代、聖書を学ぶ環境は驚くほど恵まれています:
- 複数の翻訳聖書
 - 注解書、解説動画
 - オンライン聖書ツール
 - AI による学習支援
 
使徒たちでさえ気軽に読めなかった聖書を、私たちは何冊も持っています。そして何よりも、イエス様が復活されたことを、聖書を通して知ることができるのです。
でも問題は、多くの人がこの宝の存在を知らないということです。
四つの箇所からの一つのメッセージ
今日の四つの箇所は、一つのメッセージを語っています:
エル・ロイ(創世記16章)
→ 神様は、あなたを見ておられる
エン・ハコレ(士師記15章)
→ 呼び求める者に、神は必ず応答される
士師記16-17章
→ 真理を失うと、熱心さは的外れになる
マタイ13章
→ 小さく始まる御国は、やがて全体を変える
日本のリバイバルへの希望:三つの決意
詩篇110編3節にこうあります:
「あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から、喜んであなたに仕えます。あなたの若者は、あなたにとって、夜明けの露のようです。」(新改訳2017)
リバイバルは、「夜明け前から」主を慕い求める人たちから始まります。
1. 敗北主義を拒絶する
「ペリシテ人が私たちの支配者だ」という声に、屈しない。
- 「日本は無理」という嘘を信じない
 - 現状に適応するのではなく、約束に立つ
 - 神様は「ろばのあご骨」でも勝利を与えられる
 
2. エン・ハコレで渇きを満たす
大きな働きの後こそ、神ご自身を求める。
- 成功や活動ではなく、神の臨在を求める
 - 「壊れた水溜め」ではなく、湧き水の泉から飲む
 - 毎日、「呼び求める者の泉」に帰る
 
3. 畑の宝を見つけた喜びを分かち合う
御言葉の価値を知り、それを伝える。
- エル・ロイを信じ、神様が一人一人を見ておられると知らせる
 - 「自分の目に正しいこと」ではなく、御言葉の真理に立つ
 - 小さな種のように始まり、パン種のように内側から変わる
 
エル・ロイの真の意味:愛をもって見守る神
最後に、**「見ておられる神」**についての大切な真理を分かち合いたいと思います。
「見る」の二つの意味
「神様が見ておられる」という言葉には、二つの理解があります。
一つ目の理解:監視する神
- 一人の時の言動をチェックしている
 - 間違いを見つけて裁こうとしている
 - 失敗を記録している
 - 律法的、恐怖に基づく関係
 
二つ目の理解:見守る神
- 一人の時こそ、そばにいてくださる
 - 守るために見ておられる
 - 愛する者を完全に知るために見ておられる
 - 福音的、愛に基づく関係
 
ハガルとサムソンが体験した「見る」神
ハガル(創世記16章):
- 逃亡中の奴隷女性
 - 社会の最底辺
 - でも神様は彼女を見つけ、語りかけ、約束を与えた
 - 罰するためではなく、祝福するために
 
サムソン(士師記15章):
- 大勝利の直後、渇きで死にそうになる
 - 神様は彼を見捨てなかった
 - すぐに岩を裂いて水を与えた
 - 裁くためではなく、回復させるために
 
詩篇139篇の神
詩篇139篇は、「見る神」の最も美しい啓示です:
「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、 私の思いを遠くから読み取られます。」(1-2節)
この「知る」というヘブライ語は「ヤダー」― 夫婦が互いを知るような、最も深い親密さを表す言葉です。
そして詩篇はこう続きます:
「私はどこに行けば、あなたの御霊から離れられましょう。 私はどこに逃れれば、あなたの御前から離れられましょう。 たとい、私が上って天に行っても、そこにあなたはおられ、 私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」(7-8節)
これは恐ろしい監視ではありません。これはどこにいても共にいてくださる約束です。
神様はどんな時も見ておられる
大勢の中でも: 賛美している時、礼拝している時、神様は一人一人のそばにおられます。群衆の中でも、あなたは神様にとってたった一人の愛する子どもです。
一人の時こそ: 気落ちして孤独な時、高潔すぎる主についていけないとあきらめそうな時、そんな危険な時は特に、主は「待て、わたしはここにいる」と言って、手の感触が残るほど近くにおられます。
聖書を読む時: 御言葉を開く時、主はすぐ横に来てくださいます。「どこが分からないのか?」と優しく尋ね、あらゆるツールに導き、時には直接心に語られます。
プロセスの中で: 神様は、不完全な私たちを急がせません。ゆっくり、それぞれのペースで、そのプロセスも大切にして、待って見守ってくださいます。
チェックするためではなく、守るために
神様が私たちを見ておられるのは:
- ❌ 行動をチェックして裁くため ではなく
 - ✓ 守るため、見守るため、愛する者を完全に知るため
 
これがエル・ロイの真の意味です。
エレミヤ29:11はこう言います:
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―【主】の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
神様は、あなたの失敗を記録するためではなく、あなたの将来と希望を計画するために見ておられるのです。
双方向の愛
そして最も美しいのは、これが一方通行ではないということです。
- 神様は私たちを知ろうとしておられる
 - 私たちも神様を知りたいと願う
 - 神様は私たちを愛しておられる
 - 私たちも神様を愛する
 
雅歌2:16は歌います:
「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。」
これが聖書の神です。一方的な主従関係ではなく、相互の愛の関係。
安心して、主に頼ろう
だから、私たちは安心して主に頼ることができます。
- 失敗を恐れる必要はない(神様は回復させる方)
 - 完璧でなければと焦る必要はない(神様はプロセスを大切にされる)
 - 一人で頑張る必要はない(神様はいつも共におられる)
 
ヘブル4:16
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」
エル・ロイは、愛をもって見守り、恵みをもって助けてくださる方です。
終わりに
日本のリバイバルは、必ず来ます。なぜなら:
- エル・ロイは日本を見ておられるから
 - **エン・ハコレは「今日もある」**から
 - 神は弱いものを用いて、強いものを恥じ入らせるから
 - からし種は必ず成長するから
 
そして何よりも、神様ご自身が約束しておられるからです。
その神様は、裁くためではなく、愛するために見ておられるのです。
「耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13:43)
「主を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ10:13)
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」(イザヤ41:10)
今日も御言葉に生かされて
  
  
  
  
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