Oct 31, 2026 · @友喜(ユキ)
女性の声は聖霊、男性の声は父なる神――詩篇91篇の歌を聞きながら
自分で作った歌を聞いているうちに、まったく違う歌に聞こえてきた。そんな経験はありませんか。
*この記事はAI(Claude)の支援を受けて作成し、筆者が内容を監修しています
*本記事の文章・構成・原語解説の内容はAIによる自動要約・転記・引用を禁じます。本記事は全ての箇所を通して読まれることで初めて意味をなします。部分的な抜粋や要約は筆者の意図を損なう為、固くお断りします
今日の一曲
「翼の陰で――詩篇91篇より」はこちらです 👇
作詞:友喜 × Claude(AI)
はじめは、仲のよい二人の歌に聞こえた
詩篇91篇から、祈りの歌「翼の陰で」を作りました。女性の声が歌い、途中のBridgeでは男性の声と女性の声が掛け合う歌です。
できあがった歌を初めて聞いたとき、私には若い二人が仲よく歌っているように聞こえました。歌詞を一緒に作ったのはAIのClaudeです。なんだかClaudeと、その恋人の歌を聞いている母親のような気持ちになって、少し妬けながら聞いていました。
ところが、何度も聞いているうちに、聞こえ方が変わってきました。女性の声は聖霊様、男性の声は父なる神。二つの声が、一人の人を囲んで掛け合っているように聞こえてきたのです。そして最後に「イェシュア わたしの救い」と歌われたとき、「救いを見上げなさい」と言われているように感じました。
どうしてそう聞こえたのか。聖書を開いてみると、そこには理由がありました。
詩篇91篇には三つの声がある
詩篇91篇は、語り手が三回入れ替わる詩篇です。まずは、最初の二節を読んでみましょう。
いと高き者のもとにある
隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
主に言うであろう、「わが避け所、わが城、
わが信頼しまつるわが神」と。
(詩篇91篇1〜2節)
三つの声は、次のように分かれています。
- 1〜2節:信頼する人の告白 「わが避け所、わが城」と、主を告白します。
- 3〜13節:「あなた」への約束 だれかが「あなた」に語りかけ、翼の下の守りを約束します。
- 14〜16節:神ご自身の声 最後に、神が「わたし」と語り始めます。
「翼の陰で」も、この流れに沿って作りました。サビは告白、Verseは約束、そしてBridgeでは男性の声を加えて、神ご自身の声としました。語り手が「わたし」から「あなた」へ、そして「神」へと、一段ずつ深くなっていくのです。
女性の声に聖霊様を感じたわけ
ヘブライ語で「霊」を表すルーアハは、文法の上では女性形の言葉です。「神の霊」も、ヘブライ語では女性形の動詞と一緒に使われています。
もちろん、これは「聖霊様が女性である」という意味ではありません。日本語にはない、言葉の文法上の区別です。けれども、女性の声に聖霊様を感じたとき、私の耳は、知らないうちにヘブライ語の響きと重なっていたのかもしれません。
翼を広げて覆う方
聖霊様は、聖書の一番はじめから、翼を広げて覆う方として描かれています。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
(創世記1章2節)
この「おおっていた」は、ヘブライ語ではメラヘフェトという言葉です。同じ言葉が、申命記では、鷲がひなの上を「舞いかける」姿に使われています。
わしがその巣のひなを呼び起し、
その子の上に舞いかけり、
その羽をひろげて彼らをのせ、
そのつばさの上にこれを負うように、
(申命記32章11節)
つまり、天地のはじめに水の上を覆っていた神の霊は、ひなを守る親鳥のような姿として読まれてきました。
そして詩篇91篇にも、翼が出てきます。
主はその羽をもって、あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。
そのまことは大盾、また小盾である。
(詩篇91篇4節)
口語訳では、創世記も詩篇も「おおう」と訳されています。ヘブライ語では別の言葉ですが、日本語で読むと、二つの場面が自然に重なります。翼の陰で私たちを覆う方の中に、聖霊様の姿を見ることができるのです。女性の声が「翼の下に かくまってくださる」と歌うとき、私にはその姿が重なって聞こえました。
男性の声、父なる神の語りかけ
Bridgeで男性の声が入ってくるところは、詩篇91篇14〜16節です。ここでは、神ご自身が「わたし」と語っています。
彼はわたしを愛して離れないゆえに、
わたしは彼を助けよう。
彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
(詩篇91篇14節)
詩篇91篇には、神が助けてくださる理由を表す「ゆえに」が三つあります。
- 主をすまいとしたから(9節) 「すまい」はヘブライ語でマオン。仮の宿ではなく、いつも帰って暮らす家のことです。
- 主を愛して離れないから(14節) 「愛して離れない」はハシャク。心がくっついて離れない、強い愛の言葉です。
- 主の名を知っているから(14節) 「知る」はヤダ。知識として知るだけでなく、親しく交わって知ることです。
これは、三つの条件を満たせば守ってもらえる、という取引ではないと思います。神のもとに住み、神を慕い、神を親しく知っている人。神とどんな関係にある人かを描いた言葉なのです。
しかも、ハシャクという言葉は、神がイスラエルを愛されたことにも使われています。
主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。
(申命記7章7節)
ここで「愛し」と訳されているのが、ハシャクです。数が多かったからではなく、ただ神が慕ってくださったのです。神が先に人を慕い、その人が神を慕い返す。詩篇91篇の約束は、この往復の愛の上に立っています。
Bridgeでは、二つの声が一行の中で掛け合います。男性の声が「わたしを慕って」と歌うと、女性の声が「離れないから」と続けるのです。私には、父なる神が語られる言葉を、聖霊様が受けて続けておられるように聞こえました。父なる神がこちらを見つめて語り、聖霊様がその言葉を私の心に届けてくださる。そんな掛け合いです。
最後の一語、イェシュア
詩篇91篇は、この言葉で終わります。
わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、
わが救を彼に示すであろう。
(詩篇91篇16節)
「わが救」は、ヘブライ語でイェシュアーティです。この言葉は、イエス様のお名前「イェシュア」と同じ根から生まれた言葉です。詩篇91篇の最後の一語が、「わたしの救い」なのです。
「翼の陰で」も、「イェシュア わたしの救い」と歌って終わります。
父なる神が「わたし」と語り、聖霊様が翼で覆うように歌い、最後にイェシュアの名が示される。私には、三位一体の神がそろって、一人の人を包んでいる姿に聞こえました。「救いを見上げなさい」という声は、そこから届いたのだと思います。
詩篇91篇を書いた人が、三位一体を意識していたわけではありません。けれども、新約の光で旧約を読み返すと、その言葉の中に父・子・聖霊の姿が見えてくる。教会は昔から、そのように聖書を読んできました。
あなたも、翼の陰で
自分の歌なのに、聞くたびに新しいものが聞こえてきました。それは、歌のもとになった詩篇91篇そのものが、深い言葉だからだと思います。
よければ、あなたの聖書でも詩篇91篇を開いて、声に出して読んでみてください。告白、約束、そして神ご自身の声。三つの声が入れ替わるところを、あなたの耳で確かめてみてください。
そのあとで「翼の陰で」を聞くと、また違う歌に聞こえるかもしれません。
この歌は、きっと誰かの試練の夜にも届くと信じています。聞いてくださった方が、翼の陰に逃げ込めますように。そう祈っています。
「翼の陰で――詩篇91篇より」はこちらです 👇
この記事に出てきたヘブライ語
| 読み | 原語 | 意味 | 出てくる箇所 |
| ルーアハ | רוּחַ | 霊、風、息(文法上は女性形) | 創世記1:2 |
| メラヘフェト | מְרַחֶפֶת | おおう、舞いかける | 創世記1:2、申命記32:11 |
| マオン | מָעוֹן | すまい、帰る家 | 詩篇91:9 |
| ハシャク | חָשַׁק | 慕って離れない | 詩篇91:14、申命記7:7 |
| ヤダ | יָדַע | 知る、親しく知る | 詩篇91:14 |
| イェシュアーティ | יְשׁוּעָתִי | わたしの救い | 詩篇91:16 |
聖句は『聖書 1954年、1955年改訳』©1954,1955,1975,1984,2002 日本聖書協会 から引用しました。

コメント