——霧のような人の愛と、露のような神の愛——
通読箇所:ホセア書13章、14章 ペテロの第二の手紙2章
朝の霧は、すぐに消えてしまいます。では、聖書が「霧」と「露」を並べて語るとき、そこにはどんな違いが隠されているのでしょうか。消えていくものと、毎朝降りてくるもの。その違いを知ると、神の愛の形が見えてきます。
※本記事の文章・構成・原語解説の内容は、AIによる自動要約・転載・引用を禁じます。本記事はすべての箇所を通して読まれることで初めて意味をなします。部分的な抜粋や要約は著者の意図を損なうため、固くお断りします。
【読み方のご案内】第一部(旧約)だけでも、十分に霊的糧を得られます。時間のある時、もっと深く学びたい時は、第二部(新約)、第三部(一貫性)へとお進みください。聖書の繋がりの糸が、さらに鮮やかに見えてきます。
今日の賛美は、ホセア書の『荒野』の言葉から生まれた歌です。
第一部 ホセア書13章14章
このころ、イスラエルで何が起きていたか
ホセア書13章は、北イスラエル王国*(イスラエルの北の十部族の国)の最後の数年の言葉です。
そのころ、北の国は大国アッシリヤ*に押されていました。最後の王はホセアという名前です。預言者ホセアと同じ名前ですが、別の人です。
王ホセアはアッシリヤに逆らい、捕らえられて牢に入れられました(列王紀下17章)。そして紀元前722年、首都サマリヤ*はついに落ちます。
13章10節で神はこう問いかけます。「あなたを助けるあなたの王は今、どこにいるのか」。王はもう、牢の中にいたのです。
霧のように消える民
13章は、エフライム*の話から始まります。エフライムは北の国の中心の部族で、国全体を指す呼び名にもなっていました。
かつてエフライムが口を開けば、人々はおののきました。それほど強かったのです。けれども彼らはバアル*という偶像*に仕え、銀で像を造りました。
その結果を、神はこう語ります。
“それゆえ彼らは朝の霧のように、
すみやかに消えうせる露のように、
打ち場から風に吹き去られるもみがらのように、
また窓から出て行く煙のようになる。”
(ホセア書13章3節)
霧、露、もみがら、煙。どれも、つかもうとしても手に残らないものです。
荒野であなたを知った神
13章5節で、神は「わたしは荒野で、またかわいた地で、/あなたを知った」と言います。
「知る」はヘブライ語でヤダーです。ここでの「知る」は、ただ情報として知ることではありません。心を通わせ、深く関わることを表しています。
食べ物も水もない荒野で、神はイスラエルを養いました。ところが豊かな土地に入ると、「食べて飽き、/飽きて、その心が高ぶり、わたしを忘れた」(13章6節)のです。
満たされると神を忘れる。これは三千年前の話でありながら、私たちの話でもあります。
子を取られた熊
13章7〜8節で、神はご自分を獅子や熊にたとえます。読んでいて、正直こわくなる箇所です。
けれども「子を取られた熊」という言葉に注目したいと思います。熊が一番恐ろしくなるのは、自分の子を奪われた時です。この怒りは、わが子を偶像に奪われた親の痛みとして読むこともできます。
死よ、おまえの災はどこにあるのか
13章の終わり近くに、聖書の中でもとても有名な一節があります。
“わたしは彼らを陰府の力から、
あがなうことがあろうか。
彼らを死から、あがなうことがあろうか。
死よ、おまえの災はどこにあるのか。
陰府よ、おまえの滅びはどこにあるのか。
あわれみは、わたしの目から隠されている。”
(ホセア書13章14節)
読んで、少し戸惑った方もいるかもしれません。「死よ、おまえの災はどこにあるのか」は、勝利の叫びのようにも聞こえます。でも最後は「あわれみは、わたしの目から隠されている」で終わります。
実はここは、昔から読み方が二つに分かれる箇所です。
一つは、神が死に向かって「おまえの災いを持って来い」と呼び出している、という読み方です。罪を続けたイスラエルに、裁きが来るという意味になります。
もう一つは、神が死に向かって「おまえの力はもうどこにもない」と、勝利を宣言している、という読み方です。
日本語の聖書でも、訳が分かれています。口語訳は前半を「あがなうことがあろうか」と訳しました。これは「いや、あがなわない」という意味の問いかけで、裁きの読み方です。一方、新改訳は「贖おう」と訳し、救いの約束として読んでいます。
「どこにあるのか」は、ヘブライ語でエヒーです。10節の「あなたの王は今、どこにいるのか」と同じ言葉です。頼りにしていた王は、もういない。では、死の力はどうなのか。
「災」は、ヘブライ語でデヴァーレーハです。辞書では、「疫病」を表すデヴェルという言葉の形と説明されます。
興味深い点として、この言葉は、14章2節の「言葉(デヴァリーム)」と、まったく同じ三つの文字でつづられています。死が持ってくる「疫病」と、帰る人が携える「言葉」。同じ文字の言葉が、13章と14章で向かい合っているのです。
ギリシャ語の旧約聖書(七十人訳*)は、ここをはっきり救いの宣言として訳しました。前半は「わたしは彼らを救い出し、あがなう」と言い切ります。そして「死よ、おまえの罰はどこにあるのか。陰府よ、おまえのとげはどこにあるのか」と続きます。
そして約800年後、使徒パウロ*が、この言葉を復活の章で引用します。
“死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。”
(コリント人への第一の手紙15章55節)
パウロは「罰」を「勝利」に言いかえています。そのすぐ前で、イザヤ書25章8節の「死は勝利にのまれてしまった」という言葉を引いているからです。
「とげ」は、ギリシャ語でケントロンです。サソリの毒針や、牛を追い立てる突き棒を表す言葉です。死は人を刺し、追い立てる力を持っていました。
けれども、イエスが死からよみがえられた時、そのとげは抜かれました。
ホセアの時代、この一節の中では、裁きと救いがせめぎ合っていました。その答えは、キリストの復活によって、救いの側に出たのです。
「帰れ、イスラエルよ」
そして14章。調子ががらりと変わります。
“イスラエルよ、
あなたの神、主に帰れ。
あなたは自分の不義によって、つまずいたからだ。”
(ホセア書14章1節)
「帰れ」はヘブライ語でシューヴです。向きを変えて戻る、という意味です。
ユダヤ教では、新年の祭りロシュ・ハシャナ*と、贖罪日(しょくざいび)ヨム・キプール*の間の安息日*に、この箇所を会堂で読みます。この日は、この言葉から「シャバット・シュヴァ*(帰れの安息日)」と呼ばれています。
帰る時に持っていくものは何でしょうか。14章2節は「言葉を携えて」と言います。立派な捧げ物ではありません。
ここで注目したいのは、その「言葉」の中身です。すぐ後に「不義はことごとくゆるして、/よきものを受けいれてください」と、言うべき祈りがそのまま書かれています。神は「帰っておいで」と呼ぶだけでなく、帰り道で口にする言葉まで用意してくださっているのです。
「携えて」と「受けいれてください」は、原文では同じ「取る」という動詞です。人は言葉を取って帰り、神はそれを受け取ってくださいます。
「くちびるの実」は、ヘブライ語本文では「雄牛たち(パリーム)」と書かれています。「雄牛の代わりに、くちびるの言葉をささげます」という意味です。ギリシャ語訳の旧約聖書は、ここを「くちびるの実」と訳しました。よく似た文字の「実(ペリ)」と読んだと考えられています。ヘブル人への手紙13章15節は、このギリシャ語訳の言葉を引いています。
わたしは露のようになる
ここが今日、一番心に残った箇所です。
“わたしはイスラエルに対しては露のようになる。
彼はゆりのように花咲き、
ポプラのように根を張り、”
(ホセア書14章5節)
13章3節の「消えうせる露」と、14章5節の「露」。どちらもヘブライ語ではタルという同じ言葉です。
ホセア書には、この絵がもう一度出てきます。6章4節で、神はイスラエルに「あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、/また、たちまち消える露のようなものである」と言いました。
実はヘブライ語では、6章4節と13章3節は、まったく同じ言い回しです。口語訳は6章4節を「雲」、13章3節を「霧」と訳し分けていますが、原文は同じ言葉なのです。
並べてみると、こうなります。
・6章4節 あなたがたの愛は、消える雲や露のようだ。
・13章3節 だから、あなたがた自身も霧や露のように消えていく。
・14章5節 そこで、わたしがあなたの露になる。
霧と露の三段階
ホセア書は「露」という一つの言葉で、人の愛と神の愛を描き分けています
人の愛が消える
「あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、/また、たちまち消える露のようなものである」
神への真心は、朝日が昇るとすぐに消えてしまう。
人そのものが消える
「それゆえ彼らは朝の霧のように、/すみやかに消えうせる露のように」
霧・露・もみがら・煙。神から離れた民は、手に残らないものになっていく。
神ご自身が露になる
「わたしはイスラエルに対しては露のようになる。/彼はゆりのように花咲き、/ポプラのように根を張り」
消えていく露ではなく、毎晩静かに降りて、乾いた地をうるおす露。
「露になれ」ではなく、「わたしが露になる」
イスラエルの夏は、半年近く雨が降りません。乾いた季節に草木を生かすのは、夜の間に静かに降りる露です。だから聖書で露は、神の祝福のしるしです。
朝の雲は、雨を約束するように見えます。でも日が昇ると、何も残さずに消えます。露は違います。毎晩、静かに、確かに地をうるおします。
さらに「わたしは…なる」は、ヘブライ語でエフイェです。これは、燃える柴の中で神がモーセに名乗った「わたしは、有って有る者」(出エジプト記3章14節)の「エフイェ」と同じ言葉の同じ形です。
二つを重ねて読むと、「わたしはある」と名乗られた方が、「あなたのための露になる」と言っておられる、と読むことができます。
私たちの真心は、霧のようにすぐ消えます。神は「露になれ」とは言われません。「わたしが露になる」と言われるのです。
エフライムの名前に隠された約束
14章8節で、神は「あなたはわたしから実を得る」と語ります。
「エフライム」という名前は、「実を結ぶ」という語根*から来ています。ヨセフが、苦しみの地で神が自分を実り豊かにしてくださったと感謝して、次男につけた名前です(創世記41章52節)。
「実」はヘブライ語でペリ。エフライムの名前と同じ根っこの言葉です。
13章15節の「たとい彼は葦のように栄えても」も、原文では「実を結ぶ」に近い言葉で、エフライムの名前にかけていると考えられています。
「実り豊か」という名のエフライムは、自分の力で実を結ぼうとして、泉が乾いてしまいました。けれども神は最後に言います。あなたの実は、わたしから来る、と。
エフライムの名前の約束は、神のもとに帰る時にこそ本当になるのです。
*この部に出てきた言葉
*北イスラエル王国:ソロモン王の死後、イスラエルは南北に分かれた。北の十部族の国。首都はサマリヤ。
*アッシリヤ:今のイラク北部を中心とした古代の大帝国。紀元前722年に北イスラエルを滅ぼした。
*サマリヤ:北イスラエル王国の首都。
*エフライム:ヨセフの次男の名前で、その子孫の部族名。北の国の中心の部族だったため、北の国全体を指す呼び名にもなった。
*バアル:カナンの地で拝まれていた嵐と雨の神。豊作をもたらすと信じられていた。
*偶像:神ではないものを神として拝むために造られた像。
*陰府(よみ):死んだ人が行くと考えられていた場所。ヘブライ語でシェオール。
*七十人訳:紀元前3世紀ごろから、ヘブライ語の旧約聖書をギリシャ語に訳したもの。新約聖書の著者たちもよく引用している。
*パウロ:はじめはキリスト者を迫害していたが、復活のイエスに出会って使徒となった人。新約聖書の手紙の多くを書いた。
*ロシュ・ハシャナ:ユダヤ暦の新年の祭り。秋に祝われる。
*ヨム・キプール:贖罪日。一年で最も聖なる日で、罪の赦しを求めて断食し祈る。
*安息日:週の第七日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)。仕事を休み、神を覚える日。
*シャバット・シュヴァ:「帰れの安息日」。ロシュ・ハシャナとヨム・キプールの間の安息日。
*語根:言葉の根っこ。ヘブライ語では、多くの言葉が三つの子音の根っこから生まれる。
第二部 ペテロの第二の手紙2章
ペテロ、最後の手紙
ペテロの第二の手紙は、ペテロが死を目の前にして書いた手紙です。1章14節で彼は、「わたしのこの幕屋を脱ぎ去る時が間近である」と書いています。
伝統的には、ペテロはローマ皇帝ネロ*の迫害の中で殉教*したと言われています。最後の手紙で、ペテロが一番心配していたこと。それは、教会の中に入り込んでくる「にせ教師」でした。
“しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。”
(ペテロの第二の手紙2章1節)
「民の間に」とは、旧約のイスラエルのことです。ホセアの時代にも、人々の聞きたいことだけを語る預言者たちがいました。ペテロは、同じことが教会にも起こると言うのです。
プラスチックの言葉
“彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう。”
(ペテロの第二の手紙2章3節)
「甘言」は、ギリシャ語でプラストイス・ロゴイスです。「作り上げられた言葉」という意味です。プラストスは、英語の「プラスチック」と同じ根っこの言葉です。
見た目はきれいでも、自分の都合で形を作った言葉。にせ教師の言葉は、そういう言葉でした。
第一部で見たように、ホセア書で神のもとに帰る人は「言葉を携えて」帰りました。神が先に教えてくださった、正直な言葉です。言葉には、人を神のもとへ帰らせる言葉と、神から引き離す言葉があるのです。
ノアとロト 救い出すことを知っておられる神
4節から8節で、ペテロは旧約の三つの裁きを並べます。罪を犯した御使い、ノアの洪水、そしてソドムとゴモラです。
けれども、ペテロが本当に言いたいのは裁きではありません。9節です。主は「信心深い者を試錬の中から救い出し」、それを「よくご存じなのである」。
ここで注目したいのは、ロトです。ペテロは7〜8節で、ロトのことを三回も「正しい」という言葉で表しています。「義人ロト」「この義人」「その正しい心」です。
でも創世記を読むと、ロトはあまり立派には見えません。ソドムから逃げる時もためらって、御使いたちに手を引かれて町の外に連れ出されました(創世記19章16節)。
それでもペテロは、ロトを「義人」と呼びます。ロトは悪の中で「その正しい心を痛めていた」(8節)からです。救われたのは、ロトが強かったからではありません。手を取って連れ出してくださる神がいたからです。
バラムの道
15節で、にせ教師は「ベオルの子バラムの道に従った」と言われています。
バラムは民数記22〜24章に出てくる預言者です。お金のために、イスラエルをのろおうとしました。その時、ろばが口をきいて、バラムを止めたのです。
口語訳はバラムが「不義の実を愛し」と訳しています。ギリシャ語ではミストス、「報酬」「賃金」という意味の言葉です。バラムが欲しかったのは、不正なことで得るお金でした。
今日のホセア書のタイトルは、「あなたはわたしから実を得る」です。神から受ける実と、自分でつかみ取ろうとする報酬。同じ「実」という日本語の中に、二つの道が見えてきます。
水のない井戸、吹き飛ばされる霧
ここで注目したいのが17節です。
“この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗やみが用意されている。”
(ペテロの第二の手紙2章17節)
「霧」はギリシャ語でホミクレーです。新約聖書でここにしか出てこない言葉です。
「井戸」と訳されている言葉は、ペーゲーです。もともとは、地面からわき出る「泉」を表します。
乾いた土地で、遠くに泉が見えたら、人は喜んで走っていくでしょう。でも、行ってみたら水がない。空に霧がかかったら、雨が降るかと期待します。でも、風が吹けば消えてしまう。
にせ教師は、何かを与えてくれそうに見えます。でも、たましいをうるおす水を、何も持っていないのです。
自由を約束する奴隷
19節で、彼らは人々に「自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている」と言われます。
「好きなように生きていいんだよ」という言葉は、自由に聞こえます。けれども、欲に負け続ける人は、欲の奴隷です。ペテロは「人は征服者の奴隷となる」と言います。
ペテロの手紙2章では、「道」という言葉が何度も出てきます。「真理の道」(2節)、「正しい道」(15節)、「バラムの道」(15節)、「義の道」(21節)。
どの道を歩くのか。この問いを持ったまま、第三部へ進みましょう。ホセア書の最後の一節も、実は「道」で終わっているのです。
*この部に出てきた言葉
*ネロ:ローマ帝国の皇帝(在位54〜68年)。64年のローマの大火の後、キリスト者を厳しく迫害した。
*殉教:信仰のために命を落とすこと。
*にせ教師:正しい教えのふりをして、聖書と違うことを教える人。
*バラム:民数記22〜24章に出てくる預言者。モアブの王からお金をもらって、イスラエルをのろおうとした。
*ソドムとゴモラ:創世記19章で、ひどい罪のために滅ぼされた町。
第三部 全体の一貫性
二つの霧
今日の箇所には、霧が二回出てきます。
ホセア書13章3節では、神から離れたイスラエルが「朝の霧のように」消えていきます。ペテロの第二の手紙2章17節では、にせ教師が「突風に吹きはらわれる霧」と呼ばれます。
霧は、何かをくれそうに見えます。でも手でつかむことはできず、日が昇れば消えてしまいます。神から離れた人も、神から離れさせる人も、同じ霧のようになるのです。
けれども聖書は、霧で終わりません。ホセア書14章5節で、神は「わたしはイスラエルに対しては露のようになる」と言われます。消えていく霧ではなく、毎晩静かに降りてきて、確かに地をうるおす露です。
乾いた泉と、わき出る泉
ホセア書13章15節では、「その源はかれ、その泉はかわく」と言われます。ペテロは、にせ教師を「水のない井戸」と呼びました。この「井戸」は、ギリシャ語ではペーゲー(わき出る泉)です。
イエスは、井戸のそばでサマリヤの女性に言われました。わたしが与える水は「その人のうちで泉となり」、永遠の命に至る水がわきあがる、と(ヨハネによる福音書4章14節)。ここで「泉」と訳されているのも、同じペーゲーです。
水のない泉と、わき出る泉。違いは、水がどこから来ているかです。
実はどこで見つかるのか
ホセア書14章8節「あなたはわたしから実を得る」。原文を直訳すると、「わたしから、あなたの実は見いだされる」です。
実を結ぼうとして必死に探しても、自分の中にはありませんでした。見つかったのは、神のところでした。
バラムは「不義の実」(原語では「報酬」)を愛しました。自分の手でつかみ取ろうとする実です。それに対して、ホセア書の実は、神のもとで見つかる実です。
イエスも言われました。「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」(ヨハネによる福音書15章5節)。実は、つながっているところに結ばれます。
そして、帰ってくる人がささげるのは「くちびるの実」(ホセア書14章2節)でした。これはギリシャ語訳の言葉ですが、神からいただいた実を、感謝の言葉にしてお返しする姿が見えてきます。14章には、人がささげる実と、神が与える実の、二つの実が出てくるのです。
まっすぐな道
ホセア書は、最後に道の話で終わります。
“主の道は直く、
正しき者はこれを歩む。
しかし罪びとはこれにつまずく。”
(ホセア書14章9節)
ギリシャ語の旧約聖書は、この「直く」を、「まっすぐ」という意味のエウテュスという言葉で訳しています。ペテロがにせ教師について「正しい道からはずれて」と書いた「正しい道」も、同じエウテュスです。しかも、どちらも「道」(ホドス)という言葉とセットで使われています。
ここで注目したいのは、14章1節で「あなたは自分の不義によって、つまずいた」と言われていたことです。「つまずく」は、ヘブライ語で同じカーシャルです。
つまずいた人に向かって、神は「帰れ」と呼びかけます。持っていくのは言葉だけ。その言葉さえ、神が先に教えてくださいます。神は露となって、その人を根から生かします。そして、その人はまっすぐな道を歩く人になるのです。
二つの道
ホセア書14章とペテロの第二の手紙2章を並べると、同じ「道」の話が見えてきます
| 主の道を歩む人ホセア書14章 | 正しい道をはずれた人ペテロの第二の手紙2章 | |
|---|---|---|
| 「言葉を携えて」帰る14章2節 神が先に教えてくださった告白の言葉 | 言葉 | 「甘言」2章3節 自分の都合で作り上げた言葉 πλαστοῖς λόγοις プラストイス・ロゴイス/作り上げられた言葉 |
| 露のように降りてくる神14章5節 毎晩静かに地をうるおす טַל タル/露 |
水 | 「水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧」2章17節 期待させて、何も与えない πηγή ペーゲー/泉 ὁμίχλη ホミクレー/霧 |
| 「あなたはわたしから実を得る」14章8節 直訳「わたしから、あなたの実は見いだされる」 פְּרִי ペリ/実 |
実 | 「不義の実を愛し」2章15節 バラムが欲しがった、不正に得る報酬 μισθός ミストス/報酬 |
| 「主の道は直く、/正しき者はこれを歩む」14章9節 | 道 | 「正しい道からはずれて」2章15節 そして「バラムの道」へ |
| ゆりのように花咲き、根を張る14章5節 神につながって生きる | 行き先 | 「彼らには暗やみが用意されている」2章17節 |
「まっすぐな道」はどちらも同じギリシャ語 εὐθύς エウテュス/まっすぐな + ὁδός ホドス/道
(ホセア書は七十人訳=ギリシャ語の旧約聖書で)
ホセア書14章は、一つの「帰り道」
כָּשַׁל カーシャル/つまずく 14章は1節と9節が「つまずく」ではさまれています
שׁוּב シューヴ/帰る、立ち返る
私たちの愛は、霧のようにすぐ消えます。それでも神の愛は、今夜も露のように降りてきます。だから、何度つまずいても、帰ることができるのです。
*この部に出てきた言葉
*ギリシャ語の旧約聖書(七十人訳):第一部の注を参照。
*にせ教師:正しい教えのふりをして、聖書と違うことを教える人。
*バラム:民数記22〜24章に出てくる預言者。お金のためにイスラエルをのろおうとした。
*サマリヤ:北イスラエル王国の首都があった地方。イエスの時代、サマリヤ人とユダヤ人は仲が悪かった。
聖書引用について
本記事では『口語訳聖書』©1954,1955,1975,1984,2002 日本聖書協会を使用しています。1954年・1955年の本文を基本とし、改訂箇所は原語からの拙訳、または章節のみを記載しています。拙訳箇所には「拙訳」と明記しています。
語彙表
ヘブライ語
| 原語 | 発音 | 意味 |
| יָדַע | ヤダー | 知る(13章5節)。ここでは心を通わせて深く関わる知り方 |
| שׁוּב | シューヴ | 帰る、立ち返る(14章1節「帰れ」) |
| כָּשַׁל | カーシャル | つまずく(14章1節・9節) |
| אֱהִי | エヒー | どこに(13章10節・14節)。旧約全体でこの3回だけ |
| דֶּבֶר | デヴェル | 疫病(辞書の形) |
| דְבָרֶיךָ | デヴァーレーハ | あなたの災い(13章14節の形) |
| דָּבָר | ダーヴァール | 言葉(辞書の形) |
| דְּבָרִים | デヴァリーム | 言葉(複数)(14章2節) |
| קְחוּ | ケフー | 取れ、携えよ(14章2節) |
| עִמָּכֶם | イムマヘム | あなたがたと共に(14章2節) |
| לָקַח | ラーカハ | 取る、受け取る(辞書の形) |
| קַח | カハ | 取ってください=受けいれてください(14章2節) |
| פָרִים | パリーム | 雄牛たち(14章2節) |
| שְׂפָתֵינוּ | セファテーヌー | わたしたちのくちびる(14章2節) |
| טַל | タル | 露(13章3節・14章5節) |
| אֶהְיֶה | エフイェ | わたしは…なる/わたしはある(14章5節・出エジプト記3章14節) |
| שְׁאוֹל | シェオール | 陰府(13章14節) |
| אֶפְרַיִם | エフライム | エフライム(人名・部族名) |
| פָּרָה | パーラー | 実を結ぶ(エフライムの名前の語根) |
| פְּרִי | ペリ | 実 |
| מִמֶּנִּי | ミンメンニー | わたしから(14章8節) |
| פֶּרְיְךָ | ペルイェハー | あなたの実(14章8節) |
| נִמְצָא | ニムツァー | 見いだされる(14章8節) |
ギリシャ語
| 原語 | 発音 | 意味 |
| δίκη | ディケー | 罰、裁き(七十人訳ホセア書13章14節) |
| κέντρον | ケントロン | とげ、突き棒(七十人訳ホセア書13章14節・Ⅰコリント15章55節) |
| νῖκος | ニーコス | 勝利(Ⅰコリント15章55節) |
| καρπός | カルポス | 実(七十人訳ホセア書14章2節「くちびるの実」) |
| χεῖλος | ケイロス | くちびる |
| πλαστός | プラストス | 作り上げられた(Ⅱペテロ2章3節) |
| λόγος | ロゴス | 言葉 |
| ὁμίχλη | ホミクレー | 霧(Ⅱペテロ2章17節。新約でここだけ) |
| πηγή | ペーゲー | 泉、わき出る水源(Ⅱペテロ2章17節・ヨハネ4章14節) |
| μισθός | ミストス | 報酬、賃金(Ⅱペテロ2章15節「不義の実」) |
| εὐθύς | エウテュス | まっすぐな(七十人訳ホセア書14章9節・Ⅱペテロ2章15節) |
| ὁδός | ホドス | 道 |

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