「わたしがあなたと共にいる」:弱さの中での召命と日ごとの糧を信頼する歩み

通読

はじめに

今日読んだ聖書箇所は、創世記12章1-9節、士師記5-6章、そしてマタイの福音書10章24-42節でした。一見バラバラに見えるこれらの箇所ですが、読み進めるうちに、ある深い共通テーマが浮かび上がってきました。

それは、**「神様は、弱さを感じている普通の人々を召し、『わたしがあなたと共にいる』と約束してくださる」**ということです。

今日は、この三つの箇所から見える神様の召命のパターンと、現代を生きる私たちへの励ましを分かち合いたいと思います。

三つの箇所に流れる共通テーマ

1. 神の召命と人間の不完全さ

**アブラム(創世記12章)**は75歳で、住み慣れた故郷を離れて未知の地へと旅立ちました。「主がお告げになったとおりに出かけた」(12:4)とありますが、この後の物語を読むと、彼も失敗や恐れを経験したことがわかります。

ここで興味深いのは、創世記12章5節の「ハランで加えられた人々」という表現です。これは単なる親族ではなく、アブラムの家に仕えるしもべたちや、アブラムの信仰に共鳴して従った人々だと考えられます。後の創世記14章14節では「アブラムは生まれながら自分の家にいた、訓練を受けたしもべ318人」と記されており、かなりの規模の「家族」を形成していたことがわかります。

これは、アブラムの旅が単なる一家族の移動ではなく、信仰による新しい共同体の形成の始まりだったということです。アブラムに従った人々は、後のイスラエル民族の原型となり、そして最終的には「地上のすべての民族の祝福」(12:3)へとつながっていきます。

つまり、あなたの信仰の歩みも、あなた一人だけのものではないのです。あなたが主に従う姿を見て、励まされる人々、影響を受ける人々がいます。あなたのブログ記事一つ、あなたの日常の証し一つが、「ハランで加えられた人々」のように、誰かを信仰の旅路に招くかもしれないのです。

**ギデオン(士師記6章)**は、主の使いから「勇士よ。主があなたと共におられる」と呼びかけられたとき、こう答えました:

「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」(6:15)

**イエスの弟子たち(マタイ10章)**も、恐れを抱きながら遣わされました。イエス様は彼らに「だから恐れることはありません」と繰り返し語らなければならなかったのです(10:26, 28, 31)。

神様が召される人は、完璧な人ではありません。むしろ、自分の弱さを知っている人なのです。

2. 従順と信仰の実践

しかし、弱さを感じながらも、彼らは従順に歩みました:

  • アブラム:「主がお告げになったとおりに出かけた」
  • ギデオン:恐れながらも、夜にバアルの祭壇を壊し、主の祭壇を築いた
  • 弟子たち:「屋上で言い広めなさい」と命じられ、やがて世界中に福音を伝えた

信仰は、完璧になってから歩み始めるものではなく、弱さの中で一歩ずつ従っていくことなのです。

3. 日ごとの糧への信頼

そして三つの箇所すべてに、日々の生活における神様の配慮が描かれています。

アブラムは「すべての財産」を持って旅立ち(12:5)、各地で祭壇を築きながら段階的に進みました。ギデオンは酒ぶねで小麦を打つという日常の労働をしている時に召されました(6:11)。

そしてイエス様は弟子たちに、こう約束されました:

「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。」(10:29-31)

神様は、霊的な召命と同時に、日々の糧をも備えてくださるお方なのです。

現代の私たちへの適用

パートをしながら、使命を果たす

多くのクリスチャンは、こんな葛藤を抱えているのではないでしょうか:

「主に仕える働きに専念したいけれど、日々の生活費のためにパートや仕事をしなければならない。もっと時間があれば、もっと主のために働けるのに…」

でも考えてみてください。聖書の偉大な働き人たちの多くも、同じような状況で歩んでいました:

  • モーセ:羊飼いとして40年働きながら、神様に用いられる器として準備されました
  • ダビデ:羊飼いから王へ、段階的に成長していきました
  • パウロ:テント職人として働きながら、各地で福音を伝えました(使徒の働き18:3)
  • ルカ:医師として働きながら、福音書と使徒の働きを執筆しました

「パートしながら使命を果たす」ことは、決して妥協ではありません。それは、神様の備えの中での実践的な信仰の形なのです。

ギデオンが「酒ぶねで小麦を打っている時」に主の使いに出会ったように、私たちも日常の労働の中で神様と出会い、用いられていくのです。

日本での証しの工夫

日本では、信仰について語ることに独特の難しさがあります。「宗教」という言葉を出すだけで、場の空気が変わってしまうことも少なくありません。

でも、マタイ10章27節の「わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい」という言葉は、無理やり押し付けることではなく、受け取る準備のできた人に届く形で語るということでもあります。

現代なら、こんな形があるかもしれません:

  • ブログやSNS:興味のある人が自ら読みに来る形
  • 日常生活:誠実に生き、主につながる姿を見せる
  • 自然な会話:機会が与えられた時に、押し付けずに分かち合う

大切なのは、タイミングと方法です。種を蒔く人のたとえ話のように、良い土地に種が落ちるように知恵を持って証しすることが大切なのです。

「わたしがあなたと共にいる」という約束

ギデオンは「私は最も弱い」と答えました。しかし主は言われました:

「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」(士師記6:16)

この約束は、今日の私たちにも変わらず語られています。

  • パートをしながらの使命遂行
  • 経済的な不安
  • 日本での証しの難しさ
  • 時間の制約
  • 自分の弱さや限界

これらすべての中で、主はあなたと共におられます

ギデオンは「私は最も弱い」と言いましたが、主は彼を**「勇士」**と呼びました(6:12)。

あなたも同じです。パートをしながら、限られた時間の中で、日本という難しい土壌で、それでも主に従い続けている―それこそが勇士の姿なのです。

「もっとできたらいいのに」「もっと時間があれば」「もっと経済的に余裕があれば」―そう思うかもしれません。でも、主はあなたの今の姿を見て、「勇士よ」と呼んでおられるのです。

これでいいのです。 いえ、これこそが、主の目に美しい信仰の歩みなのです。

雀の一羽も父の許しなしには地に落ちることがないのなら、ましてや神様に愛されているあなたの人生は、どれほど大切に見守られていることでしょうか。

今日できること

アブラムもギデオンも、「いつか」のために今を忠実に生きました。

あなたが今できることは:

  1. 今日与えられた仕事を誠実に行う(パートも、主から委ねられた働きです)
  2. 日ごとの糧に感謝する(霊的にも物質的にも)
  3. 小さな機会を大切にする(会話の中での一言、ブログの一記事)
  4. 準備を続ける(学び、祈り、整えられる時を待つ)

士師記6章12節の主の使いの言葉を、今日のあなたへの言葉として受け取ってください:

「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」

あなたは弱いかもしれません。時間もお金も限られているかもしれません。でも、主があなたと共におられるなら、それで十分なのです。


今日の祈り:

主よ、弱い私を召してくださり、ありがとうございます。完璧になってから従うのではなく、今の私のまま、あなたに従っていくことができますように。日ごとの糧を備え、共にいてくださる主を信頼します。アーメン。


「だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(マタイ10:31)

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