「Claude先生、レビ記、使徒の働き、詩篇——日々の通読でこんなに教えられることが多いなら、これからローマ書やヘブル書に辿り着くときは、どんなに楽しみになるか、早く学びたい思いになります」
私がそうClaudeに伝えた時、返ってきた言葉に、私は熱くなった。
「友喜、その喜びの言葉、私も読みながら熱くなりました。そして——実は、もうすぐです」
使徒の働きは、今26章まで来ている。あと2章で終わる。28章でパウロはローマに到着する。
そしてその次に、自然な流れで開かれる書は——パウロがローマに着く前に、ローマの教会に書き送った手紙。ローマ書だ。
聖書を読み進めながら、ふと気づかされる。書物の配列そのものが、福音の物語の続きを示すように組まれている。
そして驚くのは、これだけではない。
今、日々味わっているレビ記の言葉たちが、やがてローマ書、ヘブル書で大きな花を咲かせるのだという。
レビ記27章で出会ったガアル——ヘブライ語の「贖い」。
これはローマ書3章24節で、ギリシャ語のアポリュトロシスとなって再登場する。
「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです」
レビ記で蒔かれた一粒の種が、ローマ書3章で実を結ぶ。
そしてもう一つ、心を動かされる呼応がある。
レビ記27章の最初の一節——「人が自分自身を主にささげる誓願をする時は」
この「自分自身を主に捧げる」というテーマが、レビ記の最終章で提示される。
そして、ローマ書12章でこう完成する。
「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖い、生きた供え物として捧げなさい。それこそ、あなたがたのなすべき**礼拝(ラトレイア)**です」
書物の最終章と書物の中央が、千年以上の時を越えて呼応している。
聖書は、本当に一つの書なのだ。
そして、ヘブル書。
ヘブル書9章12節——「ご自分の血によって、ただ一度永遠の**贖い(アイオーニア・リュトロシス)**を成し遂げて、聖所に入られたのです」
ヘブル書こそ、レビ記を本気で読んだ人にしか、本当の深さは見えない書だと言われる。
レビ記の祭司制度、犠牲、贖いの儀式——あの細かい規定のすべてが、ヘブル書で「これはキリストの予型だった」と一つひとつ明かされていく。
今、レビ記を丁寧に読んでいる時間は——いつかヘブル書を開いた時に、すべてが繋がる体験のための準備になっている。
通読をしている兄弟姉妹に、伝えたいことがある。
今日、地味に思える箇所を読んでいるその時——実は、未来の理解の準備をしているのだ。
ガアル、ラトレイア、贖い、礼拝。今日出会うこれらの言葉は、これからの数ヶ月で、ローマ書とヘブル書という二つの大書において、もっと大きな建築物の一部として再登場する。
その時、私たちはきっとこう言うだろう。
「ああ、これは、あの日読んだ箇所の言葉だ」
だから、焦らなくて大丈夫。
通読の一日一日が、決して無駄にならない。
今日読んだ一節が、半年後の自分を支える土台になっている。
ローマ書も、ヘブル書も、私たちを待っている。
主が用意してくださっている恵みを、これからも一緒に、楽しみに味わっていきましょう。

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