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聖書通読 2026.8.27 ② エゼキエル書38章・39章(2026.8.27通読分より)ゴグとマゴグ——エゼキエル38-39章、時系列の謎を読み解く——

エゼキエル書
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【関連通読】エゼキエル書38章・39章(2026.8.27通読分より)

エゼキエル38-39章を読むとき、多くの人が同じところで立ち止まります。38章8節と11節では、イスラエルはすでに「久しく荒れすたれた」状態から回復し、「安らかに住んでいる」と描かれています。ところが39章25-29節になると、今度は「わたしはヤコブの幸福をもとに返し」「わが霊をイスラエルの家に注ぐ」と、これから起こる回復が語られるのです。

もうすでに安らかに住んでいるはずなのに、章の最後でまた「回復させる」と言われる——この時間の流れの矛盾のように見える構造が、多くの読者を混乱させます。

結論から言うと、この混乱は聖書解釈の失敗ではなく、古代の預言文学が持つ独特の語り方を理解すれば筋が通るものです。今日はまずこの構造の謎から取り組みます。

38-39章の内部構造を読み解く——二つの読み方

38章8節と11節では、イスラエルはすでに「久しく荒れすたれた」状態から回復し、「安らかに住んでいる」と描かれています。ところが39章25-29節になると、今度は「わたしはヤコブの幸福をもとに返し」「わが霊をイスラエルの家に注ぐ」と、これから起こる回復が語られます。この一見矛盾するような構造には、大きく二つの読み方があります。

読み方A:総括・結びとして読む

39章25-29節を、物語の「次の場面」ではなく、38-39章全体を振り返る総括・結びとして読む立場です。

証拠とされるのが26節の言葉遣いです。

「彼らは、その国に安らかに住み、だれもこれを恐れさせる者がないようになった時、自分の恥と、わたしに向かってなした反逆とを忘れる」

この「安らかに住み」という表現が、38章8節・11節の「安らかに住む民」と同じ言葉であることから、39章25-29節は「すでに安らかに住んでいる」状態がなぜそうなれたのかを、戦いを経た後に振り返って説明している箇所だ、と理解します。

エゼキエル書はこの後40章から、神殿の幻という別テーマに入るので、39章の終わりはゴグ預言全体を締めくくる「扉を閉じる言葉」として機能している、という読み方です。

読み方B:二段階の回復として読む

一方で、38章の「安らかに住む」とゴグ戦争後の回復を、そのまま時系列として読む立場もあります。むしろこちらの方が、多くの読者にとって自然な読み方かもしれません。

この読み方では、38章8節・11節の「安らかに住む」は、あくまで外的・軍事的な安全を指しています。イスラエルは国として帰還し、平和に暮らしてはいるものの、まだ霊的な刷新が完成した状態ではありません。そこにゴグの侵略と、神による地震・裁きが起こり、その試練を経て、39章25-29節で語られるより深い、霊的な回復へと進んでいく——という二段階の流れです。

この読み方を支える有力な材料が29節にあります。

「わたしは、わが霊をイスラエルの家に注ぐ時」

という表現は、明確にまだ起こっていない未来の出来事として語られています。「霊を注ぐ」は、エゼキエル書の他の箇所(36:26-27、37:14「枯れた骨の谷」の幻)でも、イスラエルの内面的な刷新を指す言葉として使われており、これは単なる「振り返り」ではなく、本当に時間が先へ進んでいることを示唆します。

どちらが正しいのか

正直なところ、テキストだけでは決め手に欠けます。26節の「安らかに住み」という言葉の一致は、「同じ状態を振り返っている」とも、「戦いを経て、今度こそ本当の平和になった」という継続・深化の意味とも読めるからです。

ただ、29節が未来形で語られている点を重く見るなら、読み方Bの方がテキストへの負荷が少なく、素直な解釈と言えるかもしれません。この記事では、どちらか一方に決めつけず、両方の可能性を持ちながら読み進めたいと思います。[C1] 

時系列ではなく、テーマ配列
エゼキエル38-39章の構造
38章
ゴグの侵略の予告
「これから起こる」ことの宣言
8,11節「安らかに住む民」
39章1〜24節
ゴグの敗北とその後
結果、そして神の目的の宣言
39章25〜29節
総括・結び
「なぜ安らかに住めているのか」を振り返って説明
26節「安らかに住み」— 38章と同じ言葉
※時間としては38章より「前」の出来事(回復のいきさつ)を、最後にまとめて置いている
たとえるなら——時代劇の最終回のナレーション「その後、この村には平和が訪れた。あの戦いを経て人々が団結したからである」。物語の時間では「その後」だが、語られる位置は全体の締めくくり。

いつ起こるのか——3つの立場

エゼキエル38-39章の成就時期については、聖書を字義通りに大切にする福音派の中でも、大きく3つの立場に分かれています。それぞれの根拠と、抱える難しさを見ていきます。

立場1:患難期前後・字義通りの未来預言説

先日紹介した既存記事や、アーノルド・フルクテンバウム博士の解説はこの立場に立っています。メセク=モスクワ、トバル=トボリスク、ゴメル=ドイツ、ベテ・トガルマ=トルコ、といった地名の対応を根拠に、現代の国際情勢と重ね合わせて、近い将来、実際にこの戦争が起こると読みます。

この立場の強みは、38:8「久しく荒れすたれたイスラエルの山々」「国々から導き出されて」という描写が、離散していたユダヤ人が実際に国家として帰還した1948年以降の現代イスラエルと、驚くほど符合して見える点です。歴史上、これほどこの預言に「当てはまって見える」時代は他になかったとも言えます。

一方でこの立場の難しさは、地名の比定そのものに一定の推測が入る点です。メセク=モスクワという語源説は、ヨセフスの記述や19世紀の学者の説に基づいていますが、旧約学者の中には古代アナトリア(小アジア)周辺の民族とする、より地理的に近い比定を取る人も少なくありません。「ロシア=ゴグ」という同定は、聖書本文が直接述べているというより、地名研究からの推論という側面があります。

立場2:千年王国後説(黙示録20章との同一視)

黙示録20章7-9節にも「ゴグとマゴグ」という言葉が登場し、千年王国の終わりにサタンが解き放たれて諸国民を惑わし、聖徒の陣営を攻める場面が描かれています。この立場は、エゼキエル38-39章のゴグ・マゴグを、この黙示録20章の出来事と同一の戦いとして読みます。

この立場の強みは、「ゴグ・マゴグ」という固有名詞が聖書中でこの2箇所にしか出てこないことです。同じ名前が使われているのだから同じ出来事だ、という読み方には一定の説得力があります。

ただし難しさもあります。黙示録20章のゴグ・マゴグは「地の四方の民」と表現され、特定の地域や国名は挙げられていません。一方エゼキエル38章は、メセク・トバル・ペルシャ・エチオピヤ・プテ・ゴメル・ベテ・トガルマという、かなり具体的な地名を列挙しています。名前が同じだからといって、時代も攻撃対象もまったく異なるこの2つの記述を同一の出来事とするのは、無理があるという指摘も根強くあります。

立場3:歴史的すでに成就・象徴的解釈説

この立場は、ゴグ・マゴグをアッシリアやバビロンなど、イスラエルを脅かした古代の敵国の型(あるいは象徴)として読みます。エゼキエルの時代、イスラエルの民にとって「北からの侵略者」は現実の恐怖でした。この預言は、そうした敵対勢力すべてを象徴する形で、「どんな強大な敵が来ても、最終的に神が民を守る」という神学的メッセージを伝えているのだ、と理解します。

この立場の強みは、エゼキエル書全体の文学的性質と一致する点です。エゼキエル書には他にも象徴的な幻(枯れた骨の谷、車輪の幻など)が多く含まれており、38-39章もその流れの中で読めるという見方です。

一方でこの立場の弱さは、38章の描写がかなり具体的で、単なる象徴と片付けるには詳細すぎるように見える点です。特定の地名、特定の攻撃の動機(略奪)、そして戦争の結果としての天変地異——これらを純粋に象徴として処理するのは、字義通りに聖書を読む姿勢を大切にする人たちにとっては物足りなさが残ります。

率直な所感

正直なところ、個人的にはどの立場にも完全には割り切れない部分があります。38:8の「久しく荒れすたれたイスラエルの山々」「国々から導き出されて」という言葉が、現代のイスラエル国家の姿とあまりにも重なって見えるので、まだ先の出来事として読みたくなる気持ちは強くあります。ただ、地名の同定そのものには確定的な答えがなく、「ロシア」「ドイツ」といった具体的な現代国名まで断定するのは、聖書が語っている以上に踏み込んでいる可能性がある、という慎重さも同時に持っていたいと思います。

BFP(Bridges for Peace)が指摘するように、終末論は「主がこの預言を成就されるまで、誰もが完全に理解することはできない」領域です。立場が違う人を安易に間違っていると決めつけず、謙遜に研究し続ける姿勢こそが、この箇所を読むうえで一番大切なことなのかもしれません。

なお、字義通り・ディスペンセーション主義的な読み方は、決して根拠の薄い立場ではありません。聖書全体をできる限り字義通りに読むという一貫した解釈原則に立ち、イスラエルへの契約(アブラハム契約、パレスチナ契約など)が教会に置き換えられることなく、今も文字通り有効であるという理解に基づいています。「預言され、それが実際に起こることで神が神であると証される」という筋書きは、申命記18:22やイザヤ48:3-5にも見られる、聖書自身が繰り返し用いる神の自己証明の型と一致しています。地名比定に一定の推測が伴うという技術的な弱さは、この枠組み全体の弱さを意味するものではありません。[C2] 

いつ起こるのか——3つの立場
エゼキエル38-39章の成就時期をめぐる解釈
立場1 患難期前後・字義通りの未来預言説
根拠
地名の対応(メセク=モスクワ等)と現代イスラエルの国家的回復が重なって見える
弱点
地名比定に推測が入る。「ロシア=ゴグ」は聖書本文の直接記述ではなく研究者の推論
立場2 千年王国後説(黙示録20章と同一視)
根拠
「ゴグ・マゴグ」という固有名詞は聖書中この2箇所のみ。同名=同一の出来事と読む
弱点
黙示録20章は地名を挙げず「地の四方の民」と表現。エゼキエルの具体的地名列挙と一致しにくい
立場3 歴史的すでに成就・象徴的解釈説
根拠
ゴグを古代の敵国(アッシリア・バビロン等)の型として読む。エゼキエル書全体の象徴的性質と一致
弱点
38章の描写は具体的すぎ、純粋な象徴として処理するには詳細すぎるように見える
どの立場も、真剣に聖書と向き合ってきた人々の間で今も議論されている

登場する国々について

エゼキエル38章に登場するメセク、トバル、ペルシャ、エチオピヤ、プテ、ゴメル、ベテ・トガルマといった地名と、現代の国名との対照、そして戦争の流れの詳細については、すでに図解付きで詳しく解説した記事があります。

📊 詳しくはこちら 👉 【図解】エゼキエル戦争の全貌 https://tehiri-mu.com/ezekierusyo-2640

その記事では、メセク=モスクワ、トバル=トボリスク、ゴメル=ドイツ(ゲルマン民族)、ベテ・トガルマ=トルコといった地名比定を、ヨセフスの「ユダヤ古代誌」やフルクテンバウム博士の研究を根拠に、字義通りの解釈で詳細にまとめています。今日のこの記事では、その内容を前提としたうえで、「いつ」という時期の問題と「どう読むか」という解釈の枠組みに絞って掘り下げました。

他の聖書関連の記事も、こちらから合わせてご覧いただけます。

📚 ブログ記事一覧はこちら 👉 https://tehiri-mu.com/page/2

結論・適用——確定しない箇所を、どう信仰をもって読むか

ここまで見てきたように、エゼキエル38-39章には、確定した答えを持てない部分がいくつもあります。38-39章の内部構造については「時系列ではなくテーマ配列である」という読み方でかなり筋が通ることが分かりましたが、この預言が「いつ」「どのように」成就するのかについては、字義通りの未来預言説、千年王国後説、象徴的解釈説と、真剣に聖書と向き合ってきた人々の間でも意見が分かれます。

こうした箇所を前にしたとき、私たちに求められる姿勢は、次の3つに集約されると思います。

1. 研究し続けること

分からないことを分からないままにしないで、聖書の言葉に丁寧に向き合い続ける姿勢です。地名の比定も、文脈の構造も、調べれば調べるほど新しい発見があります。「難しいから触れない」のではなく、「難しいからこそ丁寧に読む」という向き合い方が大切だと思います。

2. 謙遜であること

自分の立場を持つことは大切ですが、それを絶対化して、違う立場を取る人を間違っていると決めつけないことです。BFP(Bridges for Peace)はこの点について、次のように述べています。「それは、私が間違っていることを意味するかもしれませんし、あなたが間違っていることを意味するかもしれません」。この謙遜さこそ、終末論という霧の深い領域を歩くときの杖になります。

📖 引用元:BFP Japan「終末論の3つの提案」より https://www.bfpj.org/know/teachingletter/?id=158

3. 目的を見失わないこと

エゼキエル38章23節、この預言全体の目的がはっきりと書かれています。

「そしてわたしはわたしの大いなることと、わたしの聖なることとを、多くの国民の目に示す。そして彼らはわたしが主であることを悟る」

この預言の中心は、いつ・誰が・どこで、という詳細ではありません。神が最終的にご自身を全世界に示し、人々が主を知るようになるという一点です。ゴグ・マゴグがロシアであってもなくても、患難期前であっても後であっても、この核心は変わりません。

もしこの記事を読んで、終末についての疑問がかえって増えたとしても、それは決して悪いことではないと思います。分からないことを認めながら、それでも聖書の言葉を信頼し続ける——それこそが、聖書が私たちに求めている読み方なのかもしれません。

本記事の聖書引用は、日本聖書協会「口語訳聖書」(1954/1955年)を使用しています。著作財産権は消滅していますが、著作者人格権は存続しているため、該当箇所は口語訳を引用せず、原語から拙訳で言い換えることで対応しています。該当箇所は拙訳と明記してあります

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 ※本文中には、現代では使われなくなった表現が含まれる場合があります。これは原典の時代背景を尊重し、口語訳の著作者人格権に配慮したものです。


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