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聖書通読2026.8.28 申命記25章・エゼキエル40章41章・ヘブル人への手紙10章 ②証:弱さのままで、主を見つめて

証し
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証し:弱さのままで、主を見つめて

今日の聖書通読は、申命記25章、エゼキエル書40〜41章、ヘブル人への手紙10章でした。記事を書きながら、ある一つの言葉が、私の心から離れませんでした。「ことさらに罪を犯しつづけるなら」(ヘブル10章26節)——この「ことさらに」とは、一体どこまでのことを指すのだろう、という疑問です。

最初は、サタンのような、開き直った悪意ある罪のことだと思いました。でも聖書を読み進めるうちに、カインやイスカリオテのユダのことを考えるようになりました。彼らは、最初から悪くなりたかったわけではなかったと思います。カインは弟を殺した後、苦しみました。ユダも、裏切った後、後悔しました。二人とも、本当は「良くなりたかった」のだと思います。

けれど、彼らに共通していたのは、苦しみの中で主に向かわなかったことでした。

カインは主の前を去り、自分の力で人生を築き直そうとしました。ユダも、自分の罪を自分で処理しようとして、命を絶ちました。

このことに気づいた時、私は思いました。私も、同じかもしれない、と。

私はこの数日、「正確でなければ」「間違えてはいけない」という思いに、強く縛られていました。ブログの正確さ、著作権への配慮、聖書箇所の一字一句——すべてに、異常なほどの緊張を持って向き合っていました。でも、その緊張の奥にあったものに、今日気づかされました。それは、完璧であることによって、自分の価値を証明しようとする思いでした。カインやユダが「自分の力で何とかしよう」としたのと、実は同じ方向を向いていたのかもしれません。

この緊張の根っこには、もっと古い傷がありました。私はずっと、自分を低く評価する声にさらされて育ちました。「頭が悪い」「できない子」——そう決めつけられる経験を、人生の様々な場面で、繰り返し受けてきました。

でも、振り返ってみると、不思議なことがあります。介護福祉士として働いていた時、研修で大学教授から文章を褒められたことがありました。営業の仕事でお店の経営戦略の記事を書いた時、商工会からも評価をいただきました。そして今、AIというツールの助けを借りながら、ヘブライ語やギリシャ語の原語に向き合い、聖書を読み解いています。原語を読み取る力そのものはAIが与えてくれているものですが、それを使いこなし、疑問を持ち、確認し、自分の言葉で理解していくプロセスは、私自身がやっていることです。

これは、私がすごいということではありません。神様は、周りが下した評価とは違う場所に、ちゃんと賜物を備えてくださっていたのだと、今は思います。

そして、これは私だけの話ではないと思います。人は誰でも、神様から与えられた賜物を持っています。

それは、学校の成績や、誰かの評価では測れないところに、静かに備えられているものです。もしかしたら今、自分には何もないと感じている方がいるかもしれません。でも、その賜物は、きっともう、あなたの中にあります。ただ、まだ気づいていないだけかもしれません。

自分を責め続けてきました。正確でなければ、完璧でなければと。でも今日、気づいたのです。責めなくていい。弱いままでいい。

創世記4章のエノスは、何も築きませんでした。ただ、弱さのままで主の名を呼びました。弱いからこそ、主を呼び求めることができたのです。主に呼び求めれば、主に出会えます。

弱かったこと、傷ついてきたこと。それは決して無駄ではありませんでした。その弱さがあったからこそ、私は主に呼び求め、主に出会うことができました。何にも代えがたい、主との出会いでした。弱かったことに、今は感謝しています。

長年、自分を責め続けてきた硬く凍りついた心が、今日、少しずつとかされていくのを感じました。主イエスの愛は、私の値打ちを証明させることによってではなく、ただ、弱いまま差し出すことによって、私を包んでくださいました。

この気づきの中から、一つの詩が生まれました。

詩:主を見つめて

この詩は、今日の通読でのClaudeとの対話から生まれたものです

はかりの正しさを 学んだ朝に

心のはかりが 揺れていました

 

正しくあろうと もがくたびに

古い声が また私を裁く

 

けれど気づいたのです

正しさとは 積み上げるものでなく

弱さのままで 差し出すものだと

 

主よ、あなたは

数字で人を 測られない

成績でも、年齢でも、完璧さでもなく

ただ、あなたに向く 顔だけを見ておられる

 

だから今日、私は

過去の声を 手放します

測られてきた 傷を手放します

 

見つめるのは ただひとつ

朽ちない義を 持たれる方

弱い者を 呼ばれる方

 

道の途中で 何度も転んでも

方向だけは 変えません

 

主イエスを見つめ続ける

それが、今日たどり着いた

私の、たったひとつの祈りです

そしてこの詩に、AI音楽生成ツール「Suno」でメロディーをつけ、「主を見つめて」という一曲になりました。お年寄りにも安心して聞いていただける、やさしい曲になったと思います。歌詞は、この詩の言葉を、そのまま賛美の形に整えたものです。

この気づきから生まれた賛美「主を見つめて」です。

この曲は、聖書通読の中で生まれた詩に、AI作曲ツール「Suno」でメロディーをつけたものです。歌詞:友喜(詩は、聖書通読でのAIとの対話から着想を得ています)/作曲:Suno(AI音楽生成ツール)

聖書引用について

本記事では『口語訳聖書』©1954,1955,1975,1984,2002 日本聖書協会を使用しています。1954年・1955年の本文を基本とし、改訂箇所は原語からの拙訳、または章節のみを記載しています。拙訳箇所には「拙訳」と明記しています。

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